ドラッグというもの

なにか言いたいんだけど何から言っていいか分からないんだよな。
本当に大したことじゃないんだけどさ、頭の隅にずっとモヤモヤしてるものがある。
大した事なくても永遠と頭の片隅でモヤモヤされると気になるものがあるね。
大したことない人生を送ってきた俺にとってドラッグは本当に大きな変化だったよ。
もとより、ドラッグというもの自体に興味はあったし、一般的な怖いとか、危ないとか、そういう価値観も同時にあった。
初めてお酒を飲んだ時もそうだった。家に置いてあったテキーラを興味本位で飲んでみた。14歳の時かな?どのくらい飲んでいいのか分からずコップ一杯300ml位のテキーラ飲んだよw
凄い鼓動が早くなるのが分かって頭が痛くて気持ち悪くてくっそ吐いた。ほろ酔い1缶ですら気持ち悪くなるのに、本当に急性アルコール中毒で死ななくて良かったよw吐くまではお酒ってこういうもんなのかとか思ってたよ。 吐いてからは後悔。要するに、BADだよね。ボディにも効いてそりゃあもう苦しかったよw
タバコを吸った時もそう。17歳だね。 1度吸ったら辞められなくなる位の知識で、今思うと自暴自棄だったのかもしれないけど別にいいかと思って兄に貰ったタバコを吸ったね。分かるかな、咥えてから火を付けるっていう動作が出来ないんだよ。どうやったら火種が安定するか分からないからさ。初心者あるあるなのかな?w手に持ってもう片方の手で先の方が黒焦げになるまで焼いてから咥えたよ。多分ふかしてたね。 でも超むせたのを覚えてるね。むせすぎてマジ吐くかと思ったよ。
お酒は飲めなかったからかタバコにはかなりハマったね。少しはお金があったときは一日2箱吸うくらいの時もあったね。
もちろん体に悪いのは分かってたし吸う意味はと言われると別になかったといえばなかったね。当時高校生で煙草を吸ってたわけだし隠れてコソコソ一人で吸ってたからタバコで繋がる友達なんかもとくにはいなかった。高校生の終わりくらいにはたばこでのコミュニケーションを広げてったけどそれまではかなり時間がかかったしバレて学校に通報されれば停学は免れないからそれが怖くてタバコ吸ってるなんて周囲の人間には言えなかったなw
ていうか今書いてて思ったけど俺まだ19歳なんだよな。なんか達観してるけどまだ普通に違法なんだよ。でも周りの人間まだ誕生日来てなくて19なのに平気でお酒飲んでる奴たくさんいるし、なんか罪悪感とかどっかいっちゃったよ。
どんなつなげ方していいのか分からないけど、周囲の人間の感覚ってドラッグにおいて大きな要素になりえると思うんだ。
日本の国民性なのか全世界共通でそうなのか分からないけど、みんながいいと思うなら良い、悪いと思うなら悪い。っていうのは一般的な価値観だと思う。多数派の意見は正しいことが多いっていうのもそれはそれで事実だと思う。でもドラッグに関してはちょっと違うこともあるんじゃないかな、って俺は思う。
アルコールを飲むことで毎日沢山の人間が亡くなっているし、タバコもそう。みんな娯楽としてルールの中で決められたように当たり前に楽しむものなのかもしれないけど当たり前に体には悪いし、みんなそれを分かってる。
沢山の人間が亡くなっている事もみんな知っているはず。
じゃあ、LSDの話をしよう。
サイケデリックは本当に言葉として言い表すのが難しいと思う。
その人の人生とか、経験とか、そういうもので大きく変わってくるし、一概にみんながどういうことを経験するのか、お酒やタバコと同じく個人差があると思う。
前に合法のLSDがニュースになったよ。飛び降り自殺した女性が1D-LSDを使用していたとかなんとか。
「新しい自分になる」って言って飛び降りたんだって。もし今彼女が新しい自分になれたのなら俺は心から彼女を祝福したい。
多分、傍から見たらヤバイドラッグをやって錯乱して飛び降りたと見るのが普通だろうし、実際にそうかも俺には分からない。
でも腐っても人なんだ。その女性がどんな目的でLSDを摂取したのか俺には分からないけど、結局最後の最後まで彼女は自分で選択することをやめなかったことに関してはよっぽど大きな意味があると個人的には思う。
ちょっと不謹慎なのかな。理解はしてもらえないだろうし、そうみられてしまうのも分かってはいるけど俺にも俺なりにサイケデリックに対する考えがあるということをどうしても伝えたいんだよ。
例えばさ、お酒を飲んで死ぬって一般的に何を想像すると思う?
酔って線路に転落して死亡とか、急性アルコール中毒で死亡とか、自殺したくて直前にお酒を飲むとかだと思う。長期的なアルコールによる健康被害は除いてね。
そんなの日常茶飯事じゃないかな。シブヤメルトダウンっていうinstagramのアカウントがあるんだけど、毎日東京の繁華街とか電車でお酒(多分)でひどい状態になってる人たちを晒すアカウントがあって、俺もよく見てる。みんな興味あるなら見てみたら面白いと思うよ。ゲロだけ注意かな。
でもそんなの一々大ニュースにならないよね。酔っ払いが死んでもそれで終わりなんだ。
彼らにどんな選択肢があったのか甚だ疑問で仕方がない。彼らはお酒を飲んで死んだ事を後悔しているだろうか。まあ、大半はするだろうな。
元々死にたい人間が死ぬためにドラッグをやる例はどうだろうか。
明日死ぬことが決まっているなら地球上で一番強いドラッグをやってみたいと俺は思うかもしれない。一番とはいかなくても、覚せい剤くらいは。
時々ツイッターで覚せい剤のためのアカウントが流れてくるが、9割は人生に絶望しているように見える。というより俺が勝手にその人たちを人生の絶望に当て嵌めているだけなのかもしれないw
そんなアカウントを見たとき、時々もしこの人たちが覚せい剤をやっていなかったら今頃なにをしているのだろうかと思う時がある。
いや、もっとはっきり言うと覚せい剤がなかったら生きてすらいるのかと思うことがある。
何が彼らをそこまで追い詰めてるのか、あるいは俺が最初にタバコを吸った時のように彼らは覚せい剤を始めたのか。
一体どれほどの人間が死ぬつもりだったが覚せい剤の快楽を貪ることだけを目的に生きることを選択したのだろうかと思うこともある。
結局は覚せい剤をやっても何も見ることは出来ないのだと思う。それが覚せい剤が与える選択だと、彼らの生きざまを見てれば分かる。
LSDに話を戻すと、その話題性は何人の人間が死んだのかということよりも内容のショッキングさにあると思う。
俺だって死にたい時くらいあったけどいくらLSDを食べたからと言って飛び降りようとは思わない。俺はLSDを使っていたのは理由なんてないのかもしれないけど、最後に貪欲にもがくことを教えてくれたことを考えてみれば、新しい自分になりたかった訳でも今すぐそこから逃げ出したかった訳でも飛び降りたかった訳でもなんでもない。ただただ、生きたかったから、目の前にあるものを全て手に取るしかなかったんだと思う。
でもそうして道が開けた。俺は諦めなかった。死んだ人々は諦めた。それだけの話なんだと思う。
俺はLSDが完全に自我を失うようなものだとも思わないし、訳も分からず飛び降りてしまうような物だとも思わない。そもそも死にたいようなセットでLSDを摂取すること自体目的違いだと思う。死にたくて、最後にお酒を飲んだ人のお酒がLSDだっただけの話という例えが一番しっくりくる。
かといってLSDを神格化するようなつもりもない。これはあくまで物質であってLSDは人の脳みそにはなれない。
サイケデリック療法を試そうと努力する人と、接種すれば勝手に問題が解決すると思ってる人とでは雲泥の差だと思う。いつだって何をするにも心が先に動かなければなんの意味もないんだと思う。
うつ病の人が抗うつ剤を飲むだけでうつ病が勝手に治るわけでもないし、いつだって付きまとう問題は変わらない。考え方を変えたって仕方がないこともあるように、どうしようもないことも沢山あると思う。
あーもうまとめるのめんどくさい!
要するにさ、考え方の問題なんだよ!まだ俺にやる気があるなら今度続き書くよ。じゃあ、おやすみ


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