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幼き頃の記憶【毎日note46日目】#207
ご機嫌よう。あんなです。
さっそくいきましょう。
記憶
記憶って時間が経っていくとだんだんと消えていくな。
例えば、
先週の水曜日のお昼ご飯何食べたっけ?とか、
いつか発表会で発表した原稿とか。
(当時は丸暗記してたなぁ。)
けっこう大事なものだったり、
あるいは大事じゃなかったものまで、
どんどんアプデ、変革していくものに飲み込まれたりして、
私たちの頭からだんだん記憶として薄れていく。
それともただ単に私の記憶力が悪いのだろうか?
これは否定してほしいところだが...。
たしかに中学の時の歴史の教科書を改めて見てみたら、
覚えたはずの日露戦争の年がいつだったか忘れていた。
なんてことが昨日あったりなかったり。
繰り返し聞いたり、反復しない限り、
私のような普通の人間には長期的に記憶を留めておくことは難しい部分がありそうだ。
だから、大切なことは何回も繰り返そう。
“勉強すればできるようになる”
は、このことかもしれない。
その中で、
今日のテーマの幼き頃の記憶。
冒頭で、“記憶がだんだん薄れていく”って記した。
その中でなのだが、
小さい頃の記憶で、
どうしても忘れていない、
これだけはなぜかずっと覚えているものがある。
皆さんにもあるだろうか?
例として挙げると、
私は幼稚園の時におゆうぎ会で、
槇原敬之氏の大人気曲でありSMAPが歌う“世界に一つだけの花”。
を、クラスのみんなで歌うという機会があった。
私はこの曲が大事な思い出として残るとともに、
その時見えていた景色まで鮮明とは言い切れないが、
ある程度ハッキリ覚えている。
おゆうぎ会終わってから歌う機会なんてなかったのに。
これは、1回自転車に乗れるようになったら一生乗れるようになるということに共通することなのかもしれない。
なんとも不思議だ。
情景が頭の中によぎってくるのだ。
一般的に
一般的にこのような記憶の仕方の違いを、
陳述記憶と手続き記憶に分けるらしい。
陳述記憶とはイメージや言語として意識上に内容を想起でき、その内容を陳述できる記憶である。陳述記憶はさらにエピソード記憶と意味記憶に分類される。一方、非陳述記憶とは意識上に内容を想起できない記憶で、言語などを介してその内容を陳述できない記憶である
(↑上記引用部分は手続き記憶を非陳述記憶と書かれています。)
要は、
エピソード的なので記憶したのは陳述記憶で、
体で身をもって記憶したことは手続き記憶。
ということだろう。と解釈。(合ってる??)
じゃあこの内容を踏まえて、
あれ?
でも、歌を歌うのって陳述記憶じゃね?
幼稚園のころもしかして踊りながら覚えてた?
そんな記憶はないが、、、
やはりあの頃相当練習やりこんで、
完全に考えずとも歌えるまでにしていたのか?
とにかく記憶はない。
最初に定義してたの間違ってたのか。。。
それにしても面白い、記憶というものは。
私も今円周率100桁暗記を目指しているが、
(今80桁)
手続き記憶に変えていけたら面白いなと。
踊りながらやったら覚えられんのかな?
ハハッ。
おわりに
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました♪
勉強に活かせそうですね。
それではまた!!!!!!!!!
追記(※2023年 5/7 15:12 )
いつか今やってることをすべて忘れてしまうとしても、今1番やりたいことと1番自分にとって大切なことをやっていれば未来に自分がどんな環境でも幸せでいられるようになっているはずだから。と信じたい。
↑ なんかゲシュタルト崩壊してきた。文章力なくて伝えたいことが伝えられない。苦...