浅田家
huluで、
やっと観ることが出来ました。
せこいですが、
無料になるのをずっと待ってました。
映画館で観たかったのですが、
残念ながら映画館に足を運ぶことが出来ず仕舞いで、
楽しみにしていたのです。
嵐のファンでもあるのですが、二宮君の演技が好きなんですよね。「硫黄島からの手紙」から。
今回は、写真が一つのテーマとなっていたので、写真についてひたすら考えなければならない出来事が多々あって、考察を続けて来たので余計に、この映画に興味があったのです。
メールが現れて、手紙が廃れ、
電子書籍が現れて、紙媒体の本が廃れ、
写真が現れて、絵画が廃れ、
動画が現れて、写真が廃れ、
オンラインが発展し、人間が会うまでもなくなる。
廃れてはいないのかも知れませんが、「便利」という名の下に、本来のそれぞれの働きを見失いつつあると感じるのです。
しかし、その本来の働きも、「便利」という名の下に現れたものの働きが露わにならなければ、見つめ直すことは出来ないからなのです。
写真と動画。
この違いは一体何だと思いますか?
僕としては【持続、永続、余白】があるかどうかなのです。
その証拠に最後の手前のシーン。
明確化するのは、ネタバレになるので控えますが、痺れました。
良い映画でした。