心のあり方
逃げるなら逃げる
前に出るなら出る 徹しきること
それが覚悟というもの
徹しきれぬ者 それは弱き者
食に生きると決めたなら
正しいかどうかなどどうだっていい
感じるべきは楽しいかどうかだ
声が聞こえる
あっちだ、こっちだと
小さい頃はその声が
はっきりと聞こえていたような気がする
本能というか
ありのままの自分といえばいいのか
最近はなにかと考えすぎなような気がする
声が小さいときもあれば
たまに生き生きと聞こえる時もある
自分の中ではモヤがかかっているような感覚
強い人間は強くありたいと思う弱い人間であり
弱い人間は自分の芯がないから
強くありたいと虚像を作り
嘘の芯を大きく見せようとする
大切なのは真ん中を作ること
ぶれない心
核心っていえばいいのかな?
心の空間
困ったときに戻って来れる
心の在りどころ
あのとき
あの味
あの匂い
イメージがずっと心には残ってる
この培ってきた経験が逆に純粋な心を
奪っているかのような
松戸で1番
千葉で1番
日本で1番
何でもかんでも1番って
志を高くするのはいいことかもしれないが
目指すのは果たしてそこなのか?
果たして1番になった時は
なにを得られるのか
誰がそれを決めるのか
他人の評価も大事だが
自分の評価はどこを基準にするのか
1番になったときに
競い合える人がいなくなったら
つまらないんじゃないのか
資本では絶対に大手には勝てないし
そもそも個人の生業は比べる対象ではないとも思う
なにを望んでいるのか
心と体と思考が全部バラバラな気もする
大切なのは
"今"
じゃないのか?
"先の今"
はその時の自分が考えていればいいこと
まず楽しむことを忘れているんではないのか?
料理を誰かに食べてもらった時のこと
作ろうと思った時の気持ち
身体の使い方
目で見て鼻で嗅いで手で触れて
頭で考えるよりも先に
感性で動くような
まるで素材がこうして欲しいと
呼んでいるかのような
瞬間を見逃さないように
考えれば考えるほど
見よう見ようと目を凝らすほど
答えは見えなくなる
見つめても見えないなら目を閉じることも大切
ちょっと一休みも大切
自分の心の中は無限だ
一人で生きているかのような錯覚に陥っているが、一人で生きていける人間などいない
誰もが支えられながら生きているし、
そもそも生まれたこと自体が奇跡だと
これは月並みかもしれないが、
これを常に感じて、体現している人は少ない
それほど、見失いやすいこと
人生には祈るしかない瞬間があることを体感し、
そこには己以外のすべての他への
感謝があふれている
ありがとう
それが言えない人も増えてきたのも事実
"融通無碍"
ゆうづうむげ
今の自分には大切な言葉かもしれない
うちは仏教徒でもないですし
無宗教ですけど
昔の人の考えとか
本を読むとすごく勉強になります
食とは関係のない本を読めば読むほど
最終的に辿り着く答えはほとんど
強くありたいとおもう弱い人が
教えてくれているような共通しているものがあります
10月か
去年の自分と比べて
少しは人間として大きくなれたかなと
noteを見返しててちょっとだけ進歩したなと
じっくりとプレーンを食べよう
見つめよう
うむ、
doughmaker 店主