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患者さんを尊重するようになった体験談

今回はこちらを文字化しました

今日は「患者さんを尊重する」というテーマでお話しします。
僕の体験談というか、雑感です。

コメント欄を見ていると「益田先生は謙虚ですね」と言ってくれます。ありがたいです。
「患者さんと向き合っているんですね」「ちゃんと尊重してますよね」と言ってくれるのは、大変ありがたく思っています。

また、どうしてそのようにできるようになってきたのか、どうしてそういう風に思うようになったのか、ということも聞かれます。

今回は、僕だけでなく、医師はこのようなことを考えている、ということを皆さんにお話ししたいと思います。

■医師であることの重圧

精神科医に限らず、医師は重圧があるなと思います。
命に関わる仕事なのでやはり重圧はあります。

精神科医ならば人間の正常心理を理解して、脳科学も理解して、その上で正常か異常かを会話だけで判断します。異常があった場合それを病気と呼び、病気の人には適切な薬を処方し、適切な福祉を導入します。
そして、患者さんにはどんなに忙しくても共感し、傾聴し、時間を持って相手と向き合い、話をしっかり聞きます。
その上で、優しい言葉で励ましてあげる。
といったことが求められます。

まあ無理じゃないですかそんなこと、ハッキリ言って。

できることもありますが、できないこともあるわけです。
全部を治療することもできませんし、忙しければ忙しいなりになることもあります。時間をしっかりとってあげるといっても、たっぷり取れないこともあります。

どの患者さんにも平等に接することができれば良いのですが、患者さんの数に対して精神科医が圧倒的に足りていません。
患者さんの数が400万人に対して精神科医は1.5万人です。
僕なんて、5分診療+αでも年間800~900人しか診られません。週5でやっていてもそれくらいしか診ることができませんから、どう考えても足りません。
10分診ようと思ったら、年間800人が400人になるわけです。

ですから無理なのですが、ホワイトボードに「初公開」と書いたように、ちゃんと無理だと教えてくれる人はそんなにいません。
そんなことは教科書に書かれていませんから。

YouTubeだから「そこまでできないよ」と言えますが、他では言ってくれません。
飲み会の席でもそんな当たり前のことは馬鹿らしくて言えません。
後輩に対しては「そこまで頑張れないし、できないんだよ」と言いますが、ハッキリ言って若い医師は僕の話は聞いてくれません。「それは、益田だからできないんでしょ」と思うわけです。
あまり心に響かなかったりします。

誰かは言ってくれるかもしれませんが、やはり自分を追い込んでしまうということはあります。
患者さんの苦しんでいる姿や家族が必死に訴える様を見てしまうと、つい頑張らないといけないのではないかと、重圧に押しつぶされそうになるのが人間らしいのではないかと思います。

■不安だから自己暗示をかける

不安だから自己暗示をかけるということもあります。

「自分はこの重圧に耐えられる人間なんだ。それは、自分が優秀だからだ」
「自分は優秀で、相手は優秀ではないんだ」
「自分は猛勉強をして医学部に受かったんだ。でも、彼らはそれをできなかったから弱いんだ。だから貧しいんだ」
などと自己暗示をかける。

自分は大丈夫、優れていると思うことで、不安や重圧のプレッシャーから逃れようとします。
そして、自分はすごいのだというように振る舞うと、ある種の患者さんは不安を押し消すことができます。
「こんなに偉そうに自分は優れていると言ってくれる人だから、さぞかし優秀なのだろう」と妙な共謀関係が成立することもあるのです。

昔の精神科医は権威がありましたから、ある部分これが成立していました。
現代の医師は自分の限界性をきちんと把握していますし、限界性はこのインターネット時代には隠せません。
ですから権威は崩れ去っています。だから尊重をします。

ですが、この辺の移行がきちんとできておらず、こちら側の限界性を伝えたり相手を尊重していても、相手に「何なんだこいつは、役に立たないんじゃないか」と思われることもあります。

■「森」に返す

医師は大した仕事をしていないなと僕はよく思います。
精神医学は万能ではなく、科学のようで科学ではありません。

診断して薬を飲めば治る感じがすると思いますし、全てが解決するような気がすると思います。
外科のように患部をとれば完治すると思うのですが、そういうものではありません。
あくまで対症療法のようなところがあり、精神医学だけでなく実はどの医学もそうだったりします。

僕は自分の仕事をどのような仕事だと思っているかと言うと、「キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)」のことをよく思います。

麦畑の周りが崖になっていて、麦畑にいる子どもたちが崖に落ちないように麦畑に戻してあげるのがキャッチャー・イン・ザ・ライです。
僕はよく「島」をイメージします。
島の中央に森があり、周囲は砂浜で、その周りは海に囲まれています。

森の中にいると周りのことはあまり見えていません。
森の中には果物があったり、それぞれ仕事をしたり遊んだりしています。
これがいわゆる普通の社会です。

患者さんたちは、この森から出てしまっている人たちです。
出てしまっているので、森に帰してあげるのが僕らの仕事なのかなと思います。

うつ病、統合失調症、躁うつ病など、何かの病気を発症した場合、薬を飲んで休息することで、また働けるようになります(森に戻れる)。
発達障害や知的障害などのハンディキャップがある人には、福祉を導入して森に帰してあげる。
場合によっては砂浜でいられる場所を作ってあげる。
適応障害や、急性ストレス反応の人であれば、休んでもらってまた戻す。
虐待や心の傷を負っている人には、世の中には優しい人もいるということを伝えてまた戻してあげる。

森の中がどうなっているとか、人間の心がどうなっているとか、別に全部は知りません。
どうすれば不安がなくなるのか、どうすれば心の苦しみがなくなるのか、ということは知りません。当たり前です。精神科医はお釈迦様ではありません。

ですが、砂浜にいる人たちをまた森に戻してあげるというのは僕の仕事なんだろうと思います。
ですからそんなにすごい仕事というわけではなく、案内人という感じです。

■患者さんが教えてくれること

精神科医のみならず医師というのは、高齢の方を診ることが多いです。
自分よりも遥かに年上の方の治療にあたることが多いですし、自分の親よりも上の方を診ることも多いです。研修医の時は特にそうです。

そのような人たちを治療していく中で、感謝されたりします。
患者さんたちは、医師が大した仕事をしているのではないと皆知っています。医師は超人ではありませんし、ましてや医学部を出て2、3年働いただけの人間は超人ではありません。
それをわかった上でちゃんと感謝をしてくれる。ちゃんと「ありがとう」と言ってくれる。

そのようなことを経験すると、自分の重圧を取っていくことができます。
患者さんにそういうことを教わっていたんだろうなと思います。

そうすると、相手を尊重するということもできるようになります。
相手は、自分は大したことがないとわかっているけれど感謝してくれる、大切にしてくれるという経験が、患者さんを尊重することにつながります。

解剖実習のことも時々思います。
ドラマなどを見ていると、解剖実習というのは衝撃的なシーンですよね。
ご遺体にメスを入れされてもらい臓器の勉強をさせてもらうものですが、ご遺体の方は自分が死ぬ前に使ってくださいと表明します。
そのような体験が医学生の最初のうちに心に刻まれますし、そのような患者さんから学ばせてもらうという経験はすごく成長につながります。

今回は、患者さんを尊重するというテーマでお話ししました。
医者は偉い、優しい、というのではなく、やはり育ててもらったからだという話でした。

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