親子問題について。考える道筋
今回はこちらを文字化しました。
本日は親子問題ですね。親子問題について語ります。
臨床上、親子問題を患者さんが持ち出したときに、我々臨床家はどのようなアプローチで考えていくのか、どのようなアプローチで患者さんの心の引っかかりを解決していくのか、ということをざっくり解説してみようと思います。
うつ病、適応障害、発達障害、パーソナリティ障害、依存症、何でもいいのですが、どんな疾患でも患者さんとある程度仲良くなってくると、治療者と関係性が深くなってくると、親子問題を語ることがあります。
ありますというか、多くの患者さんは親子問題を語ります。
治療上必要なこともあれば、本人の自己理解のために必要なこともあるし、遠回りのように見えることもあれば、案外その問題について語り合うことは治療の近道であることもあったり、とても興味深いテーマです。
どういうアプローチでその問題を整理していくのか、考えていくのかは、ある程度やり方があるので、今回皆さんと共有したいと思います。
一番最初に出会う人間
どうして親子問題を患者さんは語るのかというと、人間というものはどのようにできあがっているか、ということに関わります。
人間は、知識、経験、記憶がもたらす影響と、遺伝による生まれつきのもの、この二つでできあがっています。
「新雪の丘」と書いていますが、一番最初に出会う人間は母親です。
一番最初に人間関係ができる、その相手は誰かというと母親なんですね。
そして、一番最初に三者関係になる嫉妬の対象だったり、ライバル関係になるのは、兄弟であったり父親だったりします。
とにかく一番最初の人間関係、その人のロールモデルというか、一番最初に「人間ってこうなんだ」と理解するベースは親子関係、家族関係です。
これに尾ひれはひれがくっついたり、修飾したり減らしたりしながら世界観ができ上がっていきます。
そして、その人の遺伝子の半分は父親からもらい、もう半分を母親からもらっているというのが基本的な親子関係です。ですから似るのです。
父親の特徴と似ているところもあるし、母親の特徴と似ていることもある。
親の中の発現していない遺伝子もあるので、お父さんの親族の誰々さんに似ているねとか、お母さんの親族の誰々さんに似ているね、といった形でそれらがミックスされて新しい人間が生まれます。
とにかく自分を理解しようと思うと、過去の記憶や元になった遺伝子、設計図を与えた二人の人間を考えていくのはとても重要な要素になります。
親子問題
親とは何なのか、自分はどういう存在だったのか、とよく考えますが、衝突するきっかけ、「イベント(出来事)」を中心に、自分とは何か親とは何かと考えていきます。
このイベントとはどういうものだったのかと考えると、一つは「正常な衝突」です。
親子は絶対問題が起きます。
自立をするとかしつけをされるとか、人生のタイミングタイミングで親と子供は衝突します。
衝突することで成長し、衝突することで自立を促します。
だから衝突しない親子はあり得ません。
衝突しなければ成長が起きません。
親というのは子供にとっての障害であり、守るべき壁でもあるので、これが正常の範囲なのかそうでないのかは、その人が親子問題を語る上でとても重要な要素です。
正常の範囲での親子の衝突であれば、そのような理解をしていけばいいし、そのように二人で解説していくとか、治療者と会話をしていけば良いのですが、それが正常な範囲で収まらない場合があります。
正常な範囲でない、普通の親子では起きない問題が起きるから、精神科医がいるのです。
例えば、子供の方に問題がある、病的なものがある、精神科的な病気の問題がある場合もあれば、親の方に問題があることもある。
子供がうつになって受診しているときでも、案外子供は正常心理の中で親を理解しようとしているのですが、親が歩み寄ってくれない理由が親自身の精神疾患的な問題だったりすることもあります。逆もしかりです。
互いに歩み寄りがなかったり、妥協点を見つけられなかった場合というのは。精神疾患の問題が絡んでいることもあるということです。
全部が正常な衝突ではないということです。
親子とは?
・生み育てる
そもそも親子とは何なのかということを考えると、親子とはどんな機能かというと、生み育てる機能を持っているものです。
ほ乳類は親が子供を育てるように進化してきました。
最初に生命が生まれたときは、生命を増やすためには分裂する方法を選びました。
ウィルスは自分のコピーを延々と作っていきますよね。
ゾウリムシも分裂するという形です。
そこには親子というものはありません。コピー元とコピー先があるだけです。
そうではなくて、そこに「親子」ができたというのは、遺伝子をただ交えたというのではなくて、子供を「育てる」という風になったんですよね。
だから産みっぱなしだったら魚と一緒で、そこからほ乳類は育てるようになっていった。
ですから、親子とは何かとうと生み育てるものです。
もともと人間は群れで育てたと言われています。
チンパンジーやオランウータンの社会というのは群れで育てますよね。
親子もあるのですが、それは僕らの親子とはちょっと違って、もっとゆるやかなつながりで群れ全体で子供を育てるという機能があった。
だんだんこの共同体的な機能は減っていって、群れ全体で育てるというものから親子だけで育てる、核家族になってきた。
生んだその人たちだけで育てるということになってきています。
江戸時代は村で育てたりしていましたし、捨て子も多くありました。
子供を捨てて誰かに育ててもらう、名づけ親をつくって面倒を見てもらうなどしていました。
子供は7歳までに結構死んでいたんですよね。
きちんと養育できなかった、栄養の問題があった、親の目が行き届かないうちに死んでしまった、事故に遭ったなど、いろいろなことがあったりします。さらわれたり。
育てられない親もいたので捨て子をしてしまう、そういうこともいろいろあったようです。
村全体で育てていたものが、親族、親戚の中で育つようになったり、地域のおじさんたちが見たりとかそういう形でやっていて、だんだん親子だけで育つようになってしまう。
昔だったら近所のおじさんがいて、悪いことをやってたら、子供たちに対して「コラ!」と叱ったりちょっとゲンコツ食らわすみたいなことがありましたが、もう今はないですよね。
虐待と言われるかもしれないし、よその家のおじさんが見ず知らずの子供たちに対して説教するのは減ったわけです。ほとんどないですよね。
親も「自分たちで育てなければいけない」という風になってきているという感じです。
昔だったら死ななければいいというか、7歳まで死ななかったらラッキー、みたいな感じでした。江戸時代とかまでは。
それがだんだん子供の事故があってはいけない、虐待があってはいけない、しっかりしつけなければいけない。しつけが親の責任になった。
教育も親の責任になった。正しい教育、大学まで行かせるのが親の責任だとか、子供がやりたい勉強をさせるのが親の責任だみたいになって、どんどん子供を育てるハードルも上がってくる。
そういうことが起きています。
それはなぜかというと、子供というものが、社会の共有財産ではなくて、私物になったからなんですよね。
親のものというか、そういうものになったので、よりエネルギーを注ぐようになったわけです。
皆でシェアしている車だと思ったら、別にベンツとかそういう高級車ではなくても良いのですが、「これは自分だけのもの」と思うとお金をかけたい人はかけます。
そういう感じになってきているということです。
子供を育てるのは難しいです。
正解もどんどん変わっているという感じです。
社会変化がすごく早くて、10年単位で全然変わってきていますね。それはよく思います。
80年代の時の高校生と90年代、2000年代の高校生は全然在り方が変わってきています。
大学ひとつとっても捉え方が変わってきています。
大学に行けるというのがエリートの証明だったのが、大学が当たり前になってくる。
学歴至上主義だったのが、学歴よりも転職回数がある程度多い方がいいとか、専門家の方がいいとか、いろいろ変わってきています。
そういう中で何が正解かというのはとても難しいし、いろいろな意見が出てきているということです。
・無条件の愛情
あとは無条件の愛情を注ぐという機能もあります。
血のつながりがあるというのはとても重要で、そういう人間関係はやはり親子関係以外あり得ません。
性格が違うとか、相性が悪くても一つのコミュニティを作っている。
利害関係がなくても一緒にいる、この関係性は親子関係以外ではないので、一つの人間の在り方、人間とは何かを理解する上での重要なファクターになっていると思います。
こういう経験があるかないかで、その人たちの人間観というのは結構大きく変わります。
無償の愛を受けてきた子供たちと、無償の愛を受けられなかった子供たちというのは、やはり人間観、世界観は全然違うかなと思います。
親はどんな人間? 子育ての苦手・失敗
親はどんな人間なのかとか、子育てはどうして失敗したのか、苦手だったのかを考えるのも重要です。
憎いから子供をきちんと育てられなかったとか、憎いから子供を無視したということよりは、その人の「弱さ」を理解するのが大事です。
お母さんもうつ病だった、お母さんも発達障害があった、だから子供のことにリソースを割けなかった、メンタルリソースを割けなかった、注意が行き届かなかった、ということもあるわけです。
あとは夫婦問題とか家族の問題があって、子供に目が向かなかったこともあると思います。
旦那が浮気していて、旦那さんのことで心身が滅入ってしまっていて、子供に愚痴を言ってしまった、子供に過干渉になってしまった、そういうこともあります。
いろいろなパターンがあります。
あとは、世代や社会的な問題もあるでしょう。
社会的な事故に巻き込まれてしまった、貧困の問題があったとか。
あとは世代間の価値観もあります。
親の世代ではこれが正しいと思っていたけれど、どうやら違うなとか、いろいろあります。
だから親はどんな人間なのか、という理解はとても重要です。
子供はどんな決断?
最終的には、子供はどんな決断をするのかということになります。
親と和解するのか、離別するのか。
許せないから裁判を起こしても絶縁するのか、そうではなくて許せるのか、これは人によって様々あります。
受けてきた虐待の程度も違うので、正解はないなと思います。
自分は結婚するのかしないのかも親の影響をとても受けます。
こんな思いをしたくない、させたくないという意味で独身を貫く人もいるし、自分はそういうことになりたくない、愛情ある家族にしたいんだということで、かえって依存みたいになることもあります。
バランス良く人と付き合える人もいるし全然違います。
そういうことに無自覚に虐待してしまうパターンもあれば、結婚はするけれどやはり満たされなくてもっと欲しいとなって不倫関係に発展してしまう、そういうこともあったりします。
何をその人が選ぶのかというのは正解はないと思いますが、いろいろな影響を受けて未来が決まっていくというところはあります。
ということで、今回は親子問題を考えるにあたってどういうことを考えていくのか、どういうアプローチをしていくのか、ということをざっくり解説してみました。