スマホ依存症とひきこもり
今回はこちらを文字化しました。
本日は「スマホ依存症とひきこもり」というテーマでお話しします。
「スマホ依存症」と「ひきこもり」というのは一見別の病気で関係性がないような感じがすると思いますが、実際の臨床ではひきこもりの人はスマホ依存になっていることが多いですし、スマホ依存の人はひきこもりになってしまうことが多いです。
ですから、結構親和性の高い病気なのです。
スマホ依存症とひきこもりというテーマで、臨床的な雑感をお話ししたいと思います。
■スマホ依存症とは?
スマホ依存症とは、スマホをずっと触っている、スマホを触っている時間があまりにも長いために触っていないと不安になってしまう、ダメだと思っても使ってしまう、スマホの触りすぎで社会的な問題を引き起こしているものです。
仕事中にスマホを触ってしまう、スマホを触りすぎていて寝る時間が少なくなり、学校に行けなくなる、仕事に行けなくなる、常にSNSの通知が気になってしまい会議中などスマホを見てはいけない時にも見てしまう、といった状態です。
スマホ依存症はひきこもりとの親和性が高いです。
それは、家にこもっている間にずっとスマホを見続けてしまうからです。
スマホは楽しいので、放っておけば1日ぐらい平気で経ってしまいます。
10時間くらい経ってしまい次の日になり、次の日になったらまた昨日と同じようなことを繰り返します。
気がついたら1年、2年と経ってしまうのがスマホ依存の怖いところです。
依存症と言うと、皆さんはよくアルコールやドラッグを想像すると思います。
体の外にある物質で、それを摂取したら欲しくて仕方がなくなるものを依存と言う気がすると思います。お酒を飲んでいる人が、お酒がなくなると手が震えて「また欲しい」となってしまうのが依存症や違法薬物への依存のイメージだと思います。
ですが、スマホ依存のような「行為依存」も起こります。
例えばギャンブル依存だったり、買い物依存だったり。マニアックなところで言うと過食嘔吐や自傷行為も行為依存です。
覚せい剤であれば、薬を飲んだり摂取したりするとワッとドパミンが出て気持ち良くなり、またやりたくなってしまいます。
買い物やギャンブルも同じです。
ギャンブルで勝ったときや買い物をした時の高揚感、ワッとドパミンが出る感じがたまらなくてもっとしたくなる。
スマホ依存も同じです。
SNSの通知が来たり、ゲームの中でスコアが上がったり、ポルノ動画をずっと探したり、ギャンブル、株など色々なことができます。
音やフリックの感じも気持ちが良いので、スマホを触っているとドパミンが出たり、次の行動をしたくなります。それで依存症になってしまいます。
スマホの中でも、SNS依存、ゲーム依存、ギャンブル依存、性依存だったりさまざまなものがあります。
それらを組み合わせることで、強い依存性を引き起こしていたりします。
■スマホ依存の何が悪いか
スマホ依存の何が悪いかというと、やはり時間の無駄なのです。
時間の無駄遣いをしてしまうということです。
多くの人も嫌だと思います。
「ついついTikTokを1時間見てしまった、この時間は無駄だったな」とか、「ゲームをしていた時間は無駄だったな」と思うと思います。
確かにその通りで、時間の無駄遣いです。
成長するチャンスを逃してしまいます。
スマホも勉強になるから良いじゃないかと言いますが、実際はスマホで得ているものはアニメやゲームの知識だったり、政治やインフルエンサーのゴシップだったり、ゲームのスコアやSNSの「いいね」だったり、結構不毛というかあまり役に立たないものが多かったりします。
逆に役に立つものは何かと言うと、自分自身の理解や群や社会の理解、人生の思索・理解、コミュニケーション能力を磨く、経験や失敗を繰り返すことだったりします。
スマホを見ている間に、他の人は誰かと恋愛をしたり、そこでうまくいったり失敗したり、デートをしているときに不用意な発言をして相手を怒らせて喧嘩になり失恋をして傷ついたり、仕事や何かに挑戦して失敗して傷ついていたり、成功体験を得られたり、色々なことを得ています。
ですが、スマホをいじっていると何も得ていません。
関係のないアニメの知識、アニメを見ていた時間、自分に「いいね」が付いている、他の人に「いいね」が付いている確認の時間で終わっていて、両者の間がどんどん開いてしまいます。
成功体験が詰めないので自信がなくなっていきますし、リアルなコミニケーションがないので、コミニケーション能力が伸びず「自分は発達障害なのかな」と思い、どんどん社会から離れてひきこもってしまうということが起きてしまいます。
「いいね」の数やゲームのスコアというのは、ただの画面上の数字です。
ただの画面上の数字が少し変わるだけで、本当の成長がないものに時間を費やしてしまうことがよくあります。
臨床上はそれで学生時代を無駄にしてしまう、留年してしまう、学校に行けなくなってしまう人が結構います。
ですからスマホ依存は危険ですし、怖いなと思います。
■スマホ依存の方が幸せ?
ただ、もう一方の話をすると、「スマホ依存の方が幸せなのでは?」という話もよく出てきます。
社会に挑戦をするのですが、社会から排除されてしまう人たちがいます。
その場合、スマホ依存の方が楽なのではないか、ひきこもってスマホを見ているだけの方が楽なのではないか、その方が本人にとって幸せなのではないかという話もあります。
伸びしろの違いがあるので、どこまでいっても社会に適応しにくい人たちもいます。
スマホの中ではニート同士のつながりもあるので、ニートの配信者、ニートの実況者、ニートの視聴者さんたちの緩やかなコミュニティもあったりします。
そういうことを僕も見ているので、本当の意味でスマホをなくして社会に戻っていくことが幸せなのかというと違うような気もします。
■人生は無意味か?
人生というのはそもそも意味があることなのか、無意味なのか、何をもって幸せと言うのかという話があります。
脳内麻薬や安心感を得るという意味ではスマホ依存の方が良いかもしれませんし、スマホ依存といっても食費とスマホ代しか掛からないのでそもそもお金はそれほど掛かりません。
ゲーム依存で課金をしすぎる、ギャンブル依存で課金をしすぎるということがなければ、実家暮らしでひきこもっているだけだと食費とスマホ代だけなので、大した金額ではありません。
月5万円としても年間60万円、10年で600万円、20年で1200万円です。それほどお金は掛からないといえば掛からないのです。
そういう中でコツコツとゲームをしたり、スマホを使って勉強したりというのも良いじゃないか、社会に何かを還元することだけが人生の意味ではないだろうと言われれば、まあそうかなとも思います。
人生は結構難しいので、不幸のまま人生を終える人たちもいます。
必ず皆が幸せになるというものでもありませんし、そういう悲劇はあります。
昔の人たちは神様ということを考えました。
神様は人間を平等に作ったと言っても、なぜこんな不幸な目に遭っている人がいるのか、子供の時に障害を負い、親もなく、貧困のまま奴隷のように使われてそのまま亡くなってしまう子供たちも昔はいました。
そこに幸福というものはあったのだろうか、と昔の人たちはよく考えたそうです。
現代においても人間は必ず幸福を享受できるのかというとそういうわけではなく、運・不運があります。
どういうことなのだろうと考えます。
■森の外で暮らす
僕はよく「森の外で暮らす」という表現も使っています。
必ずしも働いて社会の中で生きなくても良いと思っています。
精神科の患者さんの中には、病気や障害のために生活保護を受け、社会や組織という森から外れて穏やかに暮らしている人たちがいます。
決して豊かではありません。病気もありますし、生活保護のお金しかありません。
ですが、スマホを使ったり図書館で本を借りたり、無料のコンテンツを楽しみながら自分の人生を誇り高く生きている人たちもいます。
幸せとは何なのか、一面的に捉えるものでもないといつも考えています。
■一番の不幸は否定し合うこと
スマホ依存をせずに自分の人生を生きられる、成長するといったことに自分の時間を使えると良いと思います。
人間が作った依存させるアプリに支配される、ギャンブルなどに支配されるのは人間の幸せだとは思いません。
かと言って、社会に出なければいけないということでもありません。
一番の不幸は否定し合うことです。
自分はこれしかない、お前はこれしかできない、という否定はよくありません。
「働く」ということを疑いながら、常識を疑いながら自分らしい人生を送るのが一番良いと思います。
ひきこもっているからダメだ、働いていないからダメだ、ということでもありませんし、働いているから偉いということもないと僕は思います。
ただやはり、自分がスマホ依存で嫌だなと思うのであれば、距離を取って自分らしく生きるのが目指すのが重要だと思います。