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Twitter発信動画についての所感その⑤:「伝達」に必須な音と文字という2つの要素
どうも、四角かったスヌーピーのぬいぐるみを酷使しすぎてもはやはぐれメタルみたいになっているテツです。
今回も動画についての所感を述べていければと思います。
一回目からどの記事も基本伝えたいことは変わっていないつもりです。
音に忠実、ジャンルに忠実にと、基本「忠実であること」に重きを置いています。
だからこそ、基本とは何かを知る必要があるのです。見落とされがちな部分ですので、これらの記事によって、基本に向き合うきっかけになればとも思います。
さて、今回の動画です。
https://twitter.com/EIzo_human/status/1621518088880656384?t=gigxhQeszn6KIU7P-HPZaA&s=19
これは...何でしょうかね...?ここに来て何故作ったのか思い出せない動画が来てしまいました。
一つ言えることは、これは素材選びから動画を作ったということです。
普通はこういうテーマが作りたいからと素材を選んでいきますが、これは「壁から何かが突き出している素材」縛りで動画を作っています。
ここに来て非常に抽象的な動画になってしまいましたが、これには理由があったことを今気づきました。
間奏部分なんですよね。だからハッシュタグにも#文字PV を入れませんでした。
僕が動画を作るとき、音楽を重視するという話をしました。
もちろん、歌詞も着想の源です。では歌詞がない場合はどうするか?
要するにここが宙ぶらりんになるわけです。
歌詞は言わば共通言語です。それがなければ「俺はこう感じたんだけど」という、より抽象的な解釈になります。
これを踏まえると、いかに無音の動画を作る事が難しいかが分かると思います。映像は文字や音がないと如何様にも解釈が可能な媒体です。
子供の頃、NHKの「日本語であそぼ」がやたら怖かった記憶があります。
あれは番組自体を言葉遊びで構成することによって、解釈を子供に委ねるという、滅茶苦茶高度な事をしています。
最近だと「デザインあ」が話題になりましたよね。
こうすると「何か怖い」という、制作者側も意図していないような解釈をする人が出てくるということです。
伝達方法として、映像「だけ」というのは非常に頼りないのです。
逆に言えば、すべてを動画内で説明しなくてもいいということですね。説明するだけなら、パワーポイントみたいな他に適しているツールがありますし。
扱うメディアの特性は理解しましょう。これを知るだけで、ポートフォリオに抽象的で幾何学的な動画を入れ込んでしまうなんていう、悲劇を未然に防げます。
↓今回のaepファイル↓
https://xgf.nu/W1giC