きものがきものを呼ぶ

きものを着ていると知れると、あちこちから「これももらって」「こういうのがあるんだけど」ときものや反物を頂戴する機会が激増する。それはそれはびっくりするくらいの激増だ。
日舞をやるのできものを着る叔母のお友だちのお姑さんが亡くなられ、そのお姑さんも日舞の先生だったので3棹ぶんもきものがあるということで、お友だちが、叔母にきものを譲ってくれることになった。「姪御さんがきものを着るなら姪御さんの分も」とどっときものがやってきた。
赤の他人から譲っていただける、しかも踊りの先生だから趣味がめちゃめちゃいい。呉服屋さんと相談して、単は春夏の長羽織に直すことにした。

義理の大叔母(祖母の弟の妻の姉)が亡くなった後そのままになっていた箪笥を開けてみたら、きものはもちろん反物や、和裁をよくする方だったので、仕掛中のものなどを多数いただいた。
世代は祖母と同じくらいだろうが、祖母の粋さとはまた違う、コケットリーを感じるようなものが多く、どれもどんなときに着ていたのだろうかと故人に思いをはせた。

ついには、呉服屋さんから「和裁の先生が『こんなのを着るのはあの人くらい』ともらった」仕掛品をいただいた。
アイボリー地に松竹梅と様々な菊に山道の文様が渋い紅型で染められた上に、手描きで銀色がのった、迫力ある艶やかなものだった。
和裁の先生にしてみたら、仕立て直しを頼まれるきものが毎回はんなりと正反対なうえ、方向性が全く定まらないこいつに着せとけ、みたいなことなのかもしれない。
これもまた単の長羽織にすることにした。
母には「もうこれくらいで止めておきなさい」と釘を刺されたが、もちろん終わることはなかった。

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