小原綾斗47都道府県ガタリ旅 福岡編(第一部)の日記
24日の熊本公演には落選してしまったので、この日はホテル待機日だった。せっかくなので24日の日記も書いておく。たぶん一番長い。日記ってこんなに長く書くものではない気がする。
今回行ったライブ
・2/25(土) 小原綾斗47都道府県ガタリ旅~冬の九州ぶらり温泉巡り編~@いとの森の歯科室(福岡) ※第一部のみ
24日の話
23日にフォロワーさんと夜ごはんをご一緒させていただいた際、去年の4月のライブで綾斗さんがお客さん全員にお酒を奢ってくれて、その日からお礼の手紙を書きたいのに未だに書けないみたいなことを言ったら、書いたら読んでくれると思うとおっしゃってくれて(優しい)、急遽お手紙を書くことにした。
佐賀駅から博多駅に向かう中、昨年作ったノートに手紙の内容を書き始めるも「はじめまして」から全く進まない。
Twitterというフランクなコミュニケーションが可能なツールがあるものの、私は(引用)リプライすら送れないし、検索に引っ掛からないようにカタカナでお名前を書くこともあるくらいなのに、いきなり手紙とか全日本段階を踏むのが下手くそ選手権にランクインできる。
手紙を書きたいという気持ちだけはずっとあったものの、私が文章を書くとファンレターを通り越し、怪文書になりかねない。「ファンレター 文例」で検索するも全く参考にならなくてびっくりした。ビジネス文書を書く時は頼りになるのに!
ということで、24日はずっとホテルにいて、25日の出発ギリギリの時間になるまで書いていた。
子供の頃から小説に出てきそうなことに憧れがあるので、「ホテルに缶詰め状態って、文豪みたいだ……!」という点では楽しかったけれど、書けなさすぎてしんどかった。
25日のライブ終了後、スタッフさんにお渡しできたけれど、果たして渡していただけるのか……渡していただけたとしても読んでいただけるのか……読んでいただけたとしても気持ち悪かったらどうしよう、やっぱり文末に「読後かならず焼却のこと。封筒もともに焼却して下さい。必ず」(太宰治『燈籠』の手紙に出てくる文章)って書けば良かったかとか、色々考えてしまう。
綾斗さん、酒場族で那覇→石垣へ移動の際に色々と那覇のホテルに忘れてきちゃった!っておっしゃっていたから、もし置き忘れていたらホテルの清掃員さんに捨ててほしい。
不安すぎて負の妄想が止まらないので24日の日記はここまでにする!今思うと4月のお酒のお礼を書いてない!くしゃくしゃ!
ライブ前の日記
場所を見ず申し込む私が悪いのだけれど、福岡会場は車がないと行きにくい場所にあった。法的に運転できるだけの私(ペーパードライバーということ)は公共交通機関を用いて会場へ向かうことにした。
バスの時間まで余裕があったので、バス停近くのSAZANAMiというカフェに入ったら、13時から17時まで山口達也さんという方のBGMライブがあるらしい。今回の遠征旅行、ずっとタイミングが良くて震えちゃう。
14時30分開場だったので、13時からの本番を聴くことはできなかったけれど、リハは聴くことができた。
25日の終演後、ホテルに戻ってパッキングをしながら聴かせていただいたのだけれど、ライブが終わってしまいさみしい気持ちに沁みるような音色で良かった。
Instagramをフォローすると引けるおみくじに、最近よく考えていることが書いてあってびっくりしてしまった。
何かを良いなとか、好きだなと思うのって、知識や情報量の多さではないと思う。その人がどう感じたかというか……。
私は「なぜ」を考えてしまいがちで、Tempalayの音楽や綾斗さんの歌詞にしても「なぜこんなに惹かれるのだろう」って言葉で考えてしまう。でも、「なんかいいなあ」の、言語化できない「なんか」が大切な気もするのだ。
カフェのあちこちにしろくまがいるので、お会計の際に「もしかして、しろくま好きですか?」と聞いたら(唐突に質問する奇妙な客)、くまがお好きということだった。いつか個展を開きたいとか。
しろくま好きなので「置物を売ってたら買いたかったです」とお伝えしたら、ポストカードをくださった……!
megane coffeeさんとのコラボTシャツのイラストで、店主さんが描かれたらしい。コーヒーと、絵と、立体と。お店も素敵で音楽イベントもある……福岡県にお住まいの方はぜひ!
ライブの話
ライブ会場へは、バス停から徒歩20分くらい。綾斗さんもMCでおっしゃっていたけれど、「本当にこの先に歯医者があるのか?」という道を進んでゆく。
バスを降りると長崎会場で整理番号が近かった子と再会して、もう一人いらっしゃったファンの方に同行させていただいた。次のバスだと開場ギリギリの時間になってしまうため、第一部の徒歩組は私達だけだった気がする。
会場に着くと綾斗さん達がいらっしゃって、皆して無言で固まってしまった。ブランコに座っていらっしゃったので、Twitterに載せていた写真を撮っているところだったのかな……。
またしてもタイミングが良かった。
会場が歯医者さんと知った時は「えっ?」って感じだったけれど、とってもとっても素敵なところだった。
綾斗さんがMCで「長崎からスタッフとして手伝いに来ている人もいる」というようなことをおっしゃっていたけれど、それくらい院長の原田愛先生が素敵な方なのだろうなと感じた。
しかも、会場費が0円だったらしい。ドリンク代もなくて「歯医者さんだから用意するのも大変だよな」と思っていたら、無料でソフトドリンクやビールをくれたし、Twitterに載っていたお子さん達が配ってくれたし……あれは、福岡県じゃなくて「いとの森の歯科室」という場所だった。
綾斗さん達のために、おでんとおにぎりとお布団も用意していたそうだ。第一部が終わった後に「これからおでん食べます!」って、嬉しそうだった。
これもTwitterの写真に載っていたけれど、お子さんの一人が綾斗さんや、TOMOさんの絵をその場でささっと書いて渡してくれたらしい。綾斗さんも「そりゃあ子供もすこすこ育ちますわな。すこすこ?」とおっしゃっていた(多分すくすく)。
長崎→佐賀→熊本→福岡で、がっつり観光もされているし、ライブも移動もあるしでお疲れだったとは思うけれど、「浄化される」と表現されていたようにすごくリラックスした状態で歌えたのではないかと思う。
福岡在住のファンの方と何名かお話しできたのだけれど、みんな来たことないとおっしゃっていた。このライブがなかったら、一生知らなかったし、行けなかったと思うので、こんな素敵な環境で曲を聴けたことをずっとずっと忘れないでいようと思う。
佐賀ではリクエストで『さらば』を歌ってくださったけれど、福岡(第一部)では曲目の一つに入っていた。
3公演を終えているからか、MCの話の運びが成長されていた気はするものの(生意気なことを書くな)、言うことを決めてきた感じではなくその場で感じたことをお話されているようだった。
数年前に『アナと雪の女王』が公開された時、「ありのまま」って言葉をたくさん聞いた。今でも「自分らしく」とか似たような言葉をよく聞く。Tempalayの『春山淡冶にして笑うが如く』にも「あなたらしく」という歌詞がある。
私はずっとこういう言葉の意味が分からなくて、「ありのままで良いんだよ」と言われても「???」という感じだった。その言葉でほっとできる人は、自分の心地よい状態をきちんと理解できているのだと思う。
今でも「自分らしさ」は分からないけれど、何か行動する際に少しも心がざわつかない状態が自分らしさなのかなと3公演の綾斗さんMCを聞いていてなんとなく思った(そんな話は一切していないが)。
昼食をどこで食べようってなった時に、自分はハンバーグが食べたいのに相手の顔色を伺って「お寿司を食べたい」って言ったら、少し心がざわってする。
相手がお寿司大好きって知っていて、お寿司をおいしそうに食べる相手を見るのが自分の幸せで「お寿司を食べたい」って言うのだったら、ざわってしない。
でも、自分の心に全くさざ波が立たないように生きるのは無理だしな。わがままになっちゃいそう。やっぱり分からないや。
なんていうか、その用意されてなさそうなMCがすごく「ありのまま」や「綾斗さんらしさ」に感じられて良かったのだ。
ツアーで回ってたら、MCがある程度決まってくる気がする。『かいじゅうたちの島』や『おかしな気持ち』の曲紹介の大筋は聞いたことがあったけれど、滔々と語るのではなく、その場その場で言葉を選んでいる感じが素敵だった。
第一部はまだ明るい時間帯だったので、綾斗さんの後ろから光が差して、言葉にできないくらい素敵だった。ずっと同じ明るさなのではなく、時折雲の切れ間から光が差すように明るくなったり、また雲がかかって少し薄暗くなるような感じ。うまく書けない……『陰翳礼讃』を書いた谷崎潤一郎とかに表現してもらいたい。
後ろから光が差すと座っている綾斗さんの輪郭がぽわっとぼやけて、それがまた儚げだった。その後少し暗くなって、また明るくなると、目が眩むように視界がぼやけてますます輪郭が朧気になってゆくので、消えちゃいそうでさみしくなった。
Tempalay公式さんが、Twitterにブランコに座った綾斗さんの写真を載せているけれど、あの写真みたいに柔らかい日差しがずっと部屋の中を満たしていて空想の世界みたいにきれいだった。
綾斗さんのつくる曲はなんだかどれも少しさみしくて、そこも好きなのだけれど、『かいじゅうたちの島』や『おかしな気持ち』、『温泉ゆきたい』、『遺言』などの歌詞と、場所から感じる感情とが合わさって本当に本当に良かった。
『大東京万博』の「死なないで 生きていてね」って歌詞とか、自分にもちゃんと言い聞かせてねって思ってしまうのは私だけだろうか!
おじいちゃんになった綾斗さんがどういう歌詞を書くのかとってもとっても気になるので、ふらっと消えてしまわないでほしい。ただのわがままだけれど、ずっとファンに見えるかたちで活動していてほしい。
こういうことはご本人に言えないので、流れ星にお祈り……いや、私の住む都会は空気が汚くて明るい星しか見えないのでベテルギウスやシリウスに祈っておこう!
佐賀編の日記に書いたけれど『遺言』は綾斗さんが自分自身を俯瞰して書かれたような曲で(多分)、ただその眼差しがなんだかさみしく感じてしまう。
大樹さんと似てると思ったのはなんでだろう。
昨年12月23日のsaccharinのライブで「みんなのことを肯定してあげる(あげたい?)けれど、最後は自分で自分を肯定してあげなきゃいけない」とおっしゃっていた。綾斗さんは「どうせ死ぬ」ってよくおっしゃる。
「どうせ死ぬ」って言うのは悲観的な意味でなく、人はいずれ皆誰しも平等に死ぬということだと思う。
私は当たり前のことを理解というか納得?咀嚼?するのがすごく遅くて、去年か一昨年くらいにようやく「人間って死ぬんだ!」と知った。数年前に祖母が亡くなってお葬式に出たこともあるし、子供の頃からずっと動物と暮らしているので「死」という現象自体は理解している。
数学で公式を覚えても、文章問題として出されると公式の使い方が分からなくて解けないことがある。小学生でも知っているような「死」を理解することは数学の公式を覚えていることで、「人間って死ぬんだ!」ってアルキメデスが「エウレカ!」って叫んだばりの発見は、嘘、大袈裟すぎる。えっと、「人間って死ぬんだ!」って気付いたのは、文章問題を解けたのに似てるかもしれない。
綾斗さんや大樹さんは、人が死ぬってことを数学の公式を覚える感じじゃなくて、もう一歩先で理解というか納得というか飲み込んでいる感じがするのだ。
どの曲からも感じるさみしさっていうのは、諦観に少し似ているかもしれない。
大樹さんは!!!人間!!!というような方なので、生き様としては諦観から程遠いように思えるけれど、酒場族ツアーで綾斗さんは「たいちゃんは死に近い、生き急いでいる」みたいにおっしゃっていた気がするし、そういう側面があるのではないかと思う。
「儚げ」って言葉は、一般的には(?)か弱い少女や、カヲルくんみたいな子(急に具体的)に使うことが多いと思うけれど、綾斗さんに消えてしまいそうな儚さを感じたのはこのあたりにある気がする。
26日の大分公演には落選してしまい行けなかったけれど、Tempalay公式さんが載せていたスリーショット写真を見たら綾斗さんが子供みたいなお顔をされていて「良かった~~~」って泣きそうな気持ちになってしまった。
あの表情を見たら、このツアーを回ることが綾斗さんにとって温泉に入るような旅だったのだなと思う。実際の温泉にも入っていらっしゃったからか、お肌がつやつやしてたし、福岡の第一部はさすがに疲れているはずなのにお目目もぱっちりしていた気がする(って、長崎で知り合った子と帰りの電車でお話した)。
ライブ後の話
終演後、長崎で出会った子と一緒にバスで帰ろうと思い時刻表を調べていたら、お兄さんが「駅まで送っていきましょうか?」と、声を掛けてくださった。
!?
彼女さんと二人でいらっしゃっていたようで、二人までなら乗せられるとのこと……お言葉に甘えて駅まで送っていただいた。
帰り際にお名前を伺ってよろしいでしょうかと聞いたら、Instagramを教えてくださった。私のInstagramはROM用アカウントしかない。捨て垢感満載で申し訳なさすぎる。
5月のCircleに行くとおっしゃっていたので、もし私が行けたらビールとか奢らせてください。
長崎で会った子とは、途中の駅まで一緒に帰った。「嫌だったら全然断っていただいて構わないのだけれど、Instagramのアカウントを聞いても良いでしょうか」と、保険かけまくりで聞いたら(かっこ悪い)、教えてくれた。
改札までお見送りしに行ったら、帰り際に「さみしい」と言ってくれて、いや綾斗さんのライブが終わってさみしいなら分かるが私と別れるのがさみしいってどういうことだ!と、うれしかった。
長崎のライブで開演前にお話していたら、後ろから綾斗さんが来たので「わっ、来たよ」って肘でぐってやっちゃったのだけれど、それがうれしかったらしい。というか、そういうことを教えてくれるのが素直で素敵すぎる。「ありのまま」って、やっぱりこういうことか。
私も温泉に入ったかのようにほっこりする遠征旅行だった。
綾斗さん、そして関わってくださった方々、本当にありがとうございました。