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Tempalay『惑星X』の日記

※下記要素が含まれます。
・自作ぬい及びぬい撮り

心に余裕のない日が続いているせいか、メンバーがステージ上に現れてようやく「ライブを観るのか!」という実感が湧いてきた。そう実感できたことがとてもうれしかった。

当たり前だけど武道館でライブができるくらい有名だから好きだとか、誰かが良いと言っていたから好きなわけではない。
そうは思っていても、たまに「本当に好きなのか?」と自分自身を疑ってしまうので、頭で考えるのではなく心や身体で実感できたことがうれしかった。

この「実感」というものは、お金で買ったり権力で得たりすることはできない。1億円支払ってもピカソの絵に感動できるわけではない。

綾斗さんの「感動してほしいだけなんだよーわしは」という投稿が好きでブックマークしている。
私が実感と呼ぶものが、綾斗さんが言うところの「感動」なのではないかと考える。頭じゃなくて心や身体で得るもの。
「綾斗さんが『感動してほしい』と言っているから感動しよう」と思ったって、お金を支払ってもピカソの絵に感動できないのと同じで無理なのだ。

風邪を引くと、健康のありがたみを実感する。風邪を引いたことで、身体の存在が意識される。
人は、何かを実感したときにはじめて生きていることとを感じるのではないか。
余裕のない日々の中で参戦した『惑星X』は、私は確かに生きていると実感させてくれたライブだった。

今回行ったライブ

・10/3(木) Tempalay『惑星X』@日本武道館(東京)

ライブ前の日記

武道館のある九段下駅のすぐ隣に神保町駅がある。本好きとしては行かないわけにはいかない。
ちなみに今月末には神保町ブックフェスティバルがある。楽しみ。

本の町であることを感じさせてくれる駅

と言っても、この日は東京堂書店を見るだけで終わってしまった。買いたい本はたくさんあったけれど、バッグに物販で買う予定のものが入らなくなるので諦めた。

13時半開始の物販に並ぶ前に東京堂書店の目の前にある「Tea House TAKANO」さんで昼ごはんを食べることにした。

Tea House TAKANO

チーズトーストだけでお腹いっぱいになってしまったが、ティーハウスに来たのにスコーンを食べないなんて……と思い、追加注文した。

スコーン

スコーンが冷めないようにお皿の上に熱いプレートが敷いてあるし、もちろんクロテッドクリームとジャムも付いてくる。最高!

セイロン

お土産も買って帰った。神保町大好き。

グッズ購入

半蔵門線で九段下駅に移動し、グッズの列に並んだ。着いたときには既に長い行列ができていて、ほしいものが買えなかったらどうしようと焦った。

4人いるので4人で撮る

思念体に身体を奪われた人類のような絵がとても良い。SF小説のイベントに着ていきたい。

艦内備蓄用パン(5年保存)・惑星Xの塩など

備蓄用パンは2029年まで保存できるらしい。
缶の蓋に穴を空ければ貯金箱として使うこともできるので、先にパンを食べてしまうか悩む。でも、せっかくだから防災用品に追加しようかな。

アヒルちゃんにぴったり

塩はパッケージにTempalayと書かれていなかった。

惑星Xの塩

グッズであることを知らない人が見たら、違法なものを買っているのではないかと思われそうだ。怪しすぎる。

佐渡の塩

家に普段使っている塩もあるし、使い終わるのに何年かかるかな……。

Sticker Set

ステッカーセットは画像で見る以上にかわいくて(透明だと思わなかった!)、もう1セット買えば良かったと思った。やはり1セットしかないともったいなくて使えない。
色味もすごくかわいいので、しばらくこのまま飾っておこうと思う。

オンラインガチャ

9月30日(月)に発売開始したオンラインガチャは5回分購入した。
仕事終わりに「そういえば始まってるんだった!」と思い、とりあえずチケットを購入したら、その後すぐに売り切れてしまい驚いた。

マグネットセット(ブルー)

マグネットを貼る場所がないので、とりあえず机の脚に……。

"惑星X"ポスター

特賞を除いて一番ポスターがほしかったので当たってうれしい。当選後すぐにポスターフレームを買って、ライブから帰ってきて飾った。
5回分しか買えなかったけれど、満遍なく当たったので満足だった。

2月1日の『目撃者X』でもらった惑星幹部バッジを持っている人は幹部証がもらえるということで、オンラインガチャブースで受け取った。

幹部証

反対の面にはシリアルナンバーが入っていた。

幹部証(反対の面)

今の会社を辞めても、幹部ポストがあるので安心だ。

配信を観るか否か

この日のライブは生中継されていたし、アーカイブ配信もされている。
配信を見れば、MCの内容を書き起こしたり、どんな演出だったか確認したり、演奏する皆さんの表情を見ることもできる。配信を見たい気持ちもあるけれど、色々悩んで買わないことにした。

『Booorn!!』の前のAAAMYYYちゃんが第二子を授かったというお話とか、綾斗さんの「やめなくて良かった」というお話とか、夏樹さんがお子さんのことを「私のかわいい子(娘?)」と表現したこととか、綾斗さんのコメントに「?」となる駿さんとか、それを見て笑う夏樹さんとか正確に思い出して文字起こししたい!
でも配信を観てしまったら、ライブを観たときの記憶が上書き保存されてしまう。どんどん忘れてゆくけれど、今持っている生の感覚を失いたくない。

私は非常にわがままで面倒くさい人間だ。
覚えていたいけれど忘れてしまっても良くて、忘れたくないけれど知識のように覚えていたいわけじゃない。
でも、何と言っていたか思い出したい。しかし、他人のライブレポートを読んで知るのも違う気がする。そこまでするなら思い出せなくても良い。自分にとって大切なことは自然と覚えているものだとも思う。

数日前から今井むつみ先生の『学力喪失 認知科学による回復への道筋』を読んでいる。知識には「生きた知識」と「死んだ知識」があるらしい。

例えば英単語を100個、辞書を読み意味を暗記した。しかし、それを使って英文を作れない。これは、「死んだ知識」と言えるだろう。

今井むつみ『学力喪失』31頁

「生きた知識」の例として、一流のプロ棋士について挙げられている。プロ棋士は将棋の盤面を一瞬見ただけで、その盤面を完璧に再現することができる。
駒の一つ一つがどこにあるかをいちいち記憶したわけではなく、盤面を見た瞬間に、その盤面の「意味」が分かるそうだ。
つまり、双方がどのような流れでこの局面になり、この先どのように展開していくのかが理解できるのだ。
盤面を見た瞬間に、記憶にある膨大な量の棋譜の知識の中から、この盤面に関する棋譜が、心に「浮かび上がって」くる。
今井先生は「生きた知識」を「様々な状況においてすぐに取り出せて問題解決に使える知識」としている。

昔、とあるミステリ作家のイベントに行った際、ファンの方々と交流する機会があった。中にはその作家さんだけでなくあらゆるミステリ作品に詳しい方もいて、先生の作品を全て読んですらいない私なんかがいて良いのか……と、気後れしたことを覚えている。

何年に何という小説を出した、どの小説が何の賞を受賞した、この小説に解説を書いている等々。その作家さんが好きだから、ミステリというジャンルが好きだから知っている。おそらく、その方は知るために知っているのではなかった。
中には「詳しいと思われたい」とか「古参ぶりたい」という気持ちから暗記のように知ろうする人もいるだろう。

「生きた知識」と「死んだ知識」について読んだときに思ったのが、なぜだかこの出来事だった。
詳しいと思われたいから知ろうとするのは、テストのために暗記するような「死んだ知識」に似ている。

配信を観てMCを文字起こししたら、せっかく心と身体で実感できた感動が、頭で覚えた死んだ感動になってしまうような気がする。
『惑星X』ではライブの途中から撮影がOKだった。数分の間に撮影するかすごく悩んで、結局やめた。
もちろんライブを撮影した人や、配信を見て文字起こしする人がいたら、その人達に対して「あなたの感動は死んでますね」と思っているのではない。
なんなら私は中国巡演増加演出~春巻編~の日記でMCの文字起こしをしている。

私は無駄に真面目で嘘をつくことができない。会社の懇親会で社交辞令とか言えない。言おうとすると気持ちが悪くなる。
思ってもないのに「その腕時計、似合ってますね」とは言えない。「へえ~」とか「すごいですね」なら言えるかも。
だから自分に嘘をつくこともできない。疑問に思ってしまったら、考え続けてしまう。とにかく頭でっかちなのだ。

だからこそ、「生」への憧れが強いのかもしれない。強烈な体験への羨望。人生を変えてしまうくらいの衝撃。
私がアントニオ・ダマシオや、伊藤亜紗先生、三木成夫先生の本に惹かれる理由も分かる気がする。うまく言えないけれど、頭が全てだと思いたくない、身体に頭を破壊されたいのだ。
時にTempalayの音楽は、Tempalayのライブは、私の頭を叩き割ってくれる。

今は頭の支配から逃れるため、アーカイブ配信は観ない。でも、もし武道館公演がBlu-rayとして発売されたら買うし、観る。
日記を書いて自分の気持ちに整理がついたら、頭の支配も緩くなっているはずだ。そうしたら公式のライブレポートも読みたい。

ということで私の書くことは脆弱な記憶頼りだ。間違ったこともたくさん書くだろう。
でも感じたことに変わりはない。偽りはない。ここが私には最も重要なのだ。

セットリスト

01.のめりこめ、震えろ。
02.人造インゲン
03.続・Austin Town
04.とん
05.ああ迷路
06.未知との遭遇
07.my name is GREENMAN
08.Booorn!!
09.どうしよう
10.Festival
11.カンガルーも考えている
12.大東京万博
13.今世紀最大の夢
14.脱衣麻雀
15.シンゴ
16.EDEN
17.GHOST WORLD
18.預言者
19.深海より
20.革命前夜
21.SONIC WAVE
22.新世代
23.愛憎しい
24.NEHAN
25.ドライブ・マイ・イデア
26.そなちね

【アンコール】
27.続・New York City
28.Last Dance

ライブの感想

民間宇宙探索船・武道艦に乗って惑星Xを目指すというコンセプトで、ライブ会場に入ると「惑星Xツアーガイド」というパンフレットが配られた。

100年後にこのパンフレットが発見されてほしい

ステージの両脇に縦長のスクリーンが設置されており、最初は探索船のエンジン部(?)が投影されていた。
轟音と共に探査船が打ち上がり、次第に無重力空間へ突入する。ペンやくまのぬいぐるみがふわふわと浮かび上がり、飛行機の中から外を眺めているようで面白かった。
打ち上げ時、音だけでなく揺れもすごくて、アトラクションに乗ったような気分になった。音だけであそこまで会場を揺らせるものなのかな?

飛行が安定すると、ツアーガイドが登場し機内アナウンスが始まった。そういえば離陸前の注意事項も機内アナウンス風で良かったな。
ツアーガイドさんが人なのになんだか地球人っぽくない奇妙さがあり、非常に良かった。
違和感を抱きつつ映像を観ていると、次第にノイズが混ざりはじめた。ホラー好きなのに怖がりな私はちょっと怖いくらいだった。

Tempalayメンバーや、演出を担当したアラタさんやイッサさん、集さんなどは年齢が近い。
だから、子どもの頃に見聞きしたものとか、TVやインターネットに対するイメージとかも似通っているのではないかと思った。
80年代後半~90年代前半に生まれた綾斗さんたちが漠然と抱くものが映像に表れていたように感じて面白かったし、やっぱりちょっと怖かった。

背筋さんの『近畿地方のある場所について』は、ネット記事や新聞記事などの短い文章がオムニバス形式で多数収録されている。
背筋さん自身『近畿地方』を「ネット小説の書き方をしている」(出典:好書好日)と仰っていたが、あの頃のインターネットの空気のようなものが詰まっている作品だと感じた。

2000年代に生まれた人は、生まれたときからインターネットが身近にあるから、その不気味さが感覚的に分からないはずだ(同様に1990年代の人は、2000年代の人の感覚が分からないのだとも思う)。
『惑星X』の冒頭の映像は90年代生まれの人が抱く、漠然とした恐怖感が表現されていたように思う………だからちょっと古めかしい(もちろんいい意味で)。
やっぱりそれは綾斗さんたちが平成初期(あるいは昭和の終わり)に生まれて、そういう空気の中で幼少期を過ごしたからなのではないかと感じた。

どうやって映像が終わったか忘れてしまったが、綾斗さんたちが登場してようやく私はライブを観るのだということが実感できた。
1曲目の『のめりこめ、震えろ。』は久し振りに聴いた気がする。やっぱりかっこいい。

曲がはじまると左右のスクリーンにメンバーや映像が映し出された。
肉眼では皆さんの髪型や服装が見えないくらい席が遠かったのでスクリーンを見たら、綾斗さんの髪型がかっこよくて十度見(?)くらいしてしまった。
いつもAAAMYYYちゃんやOCHANさんや駿さんは三つ編みをしたり、髪を巻いてみたり色んなヘアアレンジをしているのに、綾斗さんはそこまでアレンジすることがなかった(気がする)ので「高野友里さんありがとうございます」の気持ちだった。

7曲目の『my name is GREENMAN』までアップテンポの曲が多くて、疾風の如く過ぎ去っていってしまった。
左右のスクリーンだけでなく、ステージの背面にも横長のスクリーンと照明が交互に設置されていた。
映像も照明も今日この日のために用意されたものだから覚えておきたいと思ったのに、忘れてしまうなあ。
『未知との遭遇』だったか、『脱衣麻雀』だったか、今までに聴いたことのないアレンジで演奏が始まり、それがとっても良かった。

8曲目の『Booorn!!』の前に最初のMCがあった。そこでAAAMYYYちゃんが二人目のお子さんを授かったことや、サポートメンバーとしてermhoiさんと和久井沙良さんが入ることが告げられた。
綾斗さんによると、ライブ当日になるまでAAAMYYYちゃんが参加できるかどうか分からなかったらしい。AAAMYYYちゃんが「昨日本当に産まれるかと思った」と仰っていて、そんなにギリギリのタイミングだったのかと驚いた。
AAAMYYYちゃんがどうしても出たいということで、サポートメンバーありの今回のライブが実現したのだ。

綾斗さんは公式Xの「授かることになりました」という文言がなんかおかしいと仰っていて、夏樹さんかAAAMYYYちゃんも「これから(未来に)授かるみたい」と仰っていた。

文章も少しおかしいし、ライブの二日前にお知らせが投稿されたことからも、ライブをやること自体が本当にギリギリの決断だったのだろうなと思った。

身重な体でライブを続けるAAAMYYYちゃんにも「母、強すぎる」と思うし、AAAMYYYちゃんを支える綾斗さんや夏樹さん含めた周りの方もすごい。
綾斗さんはTempalayのことを「仲悪い」とか言うけれど、仲が良い/仲が悪い以上の関係性を感じさせるMCだった。

『愛憎しい』の前の綾斗さんのMCでは、この10年を振り返り「愛憎」と表現されていたが、さらっと表現できない悲喜交々が「愛憎」の一言に詰まっていた。
"((ika))"ツアーと異なり、『愛憎しい』の冒頭を綾斗さんの生の声(加工されていない声)で聴けたのもうれしかった。

アンコールの後にメンバーがステージ前方に出てきて手を繋いでお辞儀するとかもないし(それをやる人を揶揄しているわけではない)、MCも殆ど普段のライブと変わらないし、そういう意味で10周年という特別感はなかったけれど、あまりにも人間臭い「愛憎」の一言がTempalayの10年間を物語っていたように思う。

なにより綾斗さんの口から「やめないで良かった」という言葉を聞くことができて本当にうれしかった。
「やめるまで続ける」という言葉は、私が好きな『死ぬまで生きる日記』みたいな言い回しだなと思った。どうか「やめるまで」が「死ぬまで」と同じ意味になりますように。

知識に「生きた知識」と「死んだ知識」があるように、言葉にも「生きた言葉」と「死んだ言葉」がある気がする。
同じ「ありがとう」でも、上っ面の言葉なのか、心から思っているのかって相手に伝わってしまうものだ。それって言葉が生きているか死んでいるかの違いなのだろうか。

Tempalayメンバーの中でも特に綾斗さんは取り繕わない方だなと感じる。
Xに「武道館に会社招待の媒体系マジでいらん、来なくて良い。それよりも人生世話になった方々に1人でも多く良い席から観てほしい。」と投稿されているのを読んだときは「そこまで本心を書いて大丈夫なの!?」と思わなくはなかったが、お人柄や大切にしたいものが伝わってくる発言だった。

どうしてその投稿から人柄が伝わってくるのだろう。もし「本心をありのままにさらけ出した方がかっこいいと思われる」という思いから綾斗さんの発言を丸パクリした人がいたとしたら(武道館でライブする人しか使えないが)、その邪な考えはバレるはずだ。
何がその発言に対する印象を支えているのかというと、日頃の行動なのだと思う。そして信頼とは行動によってしか積み重ねることができないものだとも思う。

以前、「そんなにがんばってて大丈夫?」と心配されたことがあった。もし私が遅刻や早退ばかりする人だったら、そんなことは言われないだろう。
他人からがんばりというかたちで行動が見えたから、そう言われたのだ。というか相手の心を読むことができない以上、私たちは他人の行動や言動でしかその人を推し量ることができない。

私はただのファンなので、行動と言ってもステージ上の姿やインタビュー記事の発言しか知らない。でも見聞きする行動の積み重ねがあるから、綾斗さん、AAAMYYYちゃん、夏樹さんの発言に「偽っていない」という信頼が持てるのだろう。
三人は、明らかに私よりは取り繕っていないので、その偽り度低めの姿(?)を見ると「もっと肩の力を抜いて良いのだ」と安心する。
私の中でずっと疑問の「ありのまま」や「自分らしさ」とは、取り繕わないことなのかもしれない。

音楽活動に限らず、何かを続けてゆくことは難しい。例えば毎日トイレ掃除をすると決めたとて、まず行動に移すハードルがあり、それを続けてゆく難しさがある。
「今日は残業だったから」「今日は微熱があるから」と、やらない理由を探すのは簡単だ。

当たり前だけど、綾斗さんが「やめないで良かった」と思えたのは、今日この日までやめなかったからだ。「やめたい」と思ったことがあったからこそ、「やめないで良かった」の実感もひとしおなのではないかと想像する。
一歩一歩の行動、その継続が「やめないで良かった」という景色を見せてくれた。行動と継続の人にしか見えない景色だ。

私は小学生の頃から学校が苦手で、何かと理由をつけては休んでいた。もはや理由すらなかったかもしれない。
新学期や新学年がはじまる度に「今回こそは通い続けよう」と思ってずっとできなかったので、学校と音楽活動とで異なるとはいえ、10年も続けるなんて純粋にすごいなあと思う。

今は有給休暇をうまく使いながら、欠勤せずに働き続けることができている。小学校6年間+中学校3年間+高校3年間+大学4年間の合計16年間働き続けることができたら100兆円ほしい。私にとっては偉業すぎる。

久し振りに教室へ登校したときの一日の長さ、一学期の長さ、月曜日の「また一週間がはじまるのか」という長さ。
永遠のように思える日もあるけれど、自分の人生や、地球の一生、宇宙の一生からするとほんの一瞬の仮初の永遠なのだ。

『Booorn!!』では「永遠」と「一瞬」という真逆の言葉が歌われている。
私たちは「明日事故で死ぬかもしれない」とは思っても、「明日宇宙が終わるかもしれない」と思って生きる人は殆どいない。当たり前のように、寝て起きたら日々が続いてゆくと思っている。「ちょっとだけ永遠なふうに思えちゃう」。
何億年も先ではあるけれど、人類も地球も太陽も宇宙も終わる。宇宙にすら永遠は存在しない。惑星Xはあるのかないのかよく分からないけれど、あったとしてもいつかはなくなる。

一瞬が積み重なって永遠になると勘違いして生きている。そうしないと社会や経済は成り立たない。明日も世界は続いてゆくと思うから経済活動があるのだ。

『Booorn!!』に限らず、Tempalayの曲には一瞬に対する眼差しと永遠に対する眼差しの双方がある(『21世紀より愛をこめて』『のめりこめ、震えろ。』『TIME MACHINE』など)。そこには哀れみと慈しみの眼差しがあって、それがたまらなく好きだ。
『Booorn!!』でそんな風に感じて、『今世紀最大の夢』にも強く感じた。

今まで『今世紀最大の夢』には『地球の歩き方』の印象があるから旅のイメージが強かったが、人類への慈愛の気持ちのようなものも感じた。
映像と共に「●今世紀最大の夢 光るおもちゃ箱」「●おもしろおかしく奇妙に染まる」といったように歌詞が流れてゆくのも良かった。歌詞のはじめに●が付くと、雑誌の一言コメントみたいで良い。

『Booorn!!』や『今世紀最大の夢』のように、頭で色々考えてしまうこともあったが、『GHOST WORLD』や『革命前夜』や『新世代』は「やっぱりTempalayのライブは最高すぎる!」という気持ちで聴くことができた。本当に本当に楽しかった。

アンコール前の『そなちね』と、アンコール後の『続・New York City』と『Last Dance』は、2020年11月29日(日)のSTUDIO COASTのライブを思い出させた。本当に本当に大好きなライブ……。
最後の3曲は、STUDIO COASTと同じセットリストではあったけれど、規模も演奏もこの4年間で圧倒的にパワーアップしていた。この一瞬に立ち会えたことが幸せでしかない。

制作にMargtのお二人がいるし、『Last Dance』は絶対に入っているはずだと謎の確信を持っていたので、アンコールで聴くことができてうれしかった。
やっぱり『Last Dance』が大好きだ。『Last Dance』にも哀れみと慈しみの眼差しがある。

冒頭に余裕のない日々が続いていると書いた。もうすぐ試験があるし、慢性的に体調不良だし、仕事中はずっと肩肘張っているような感覚がある。
9月11日に投稿した『月見うどん』の感想日記に、「最近、少し音楽を聴けるようになってきた」と書いたが、やっぱりまた音楽が聴けなくなっていた。
日々の生活にぐったりしていて、だから綾斗さんたちがステージ上に現れるまで「ライブがはじまる」という実感すら持てなかった。
ライブに行くことは楽しみではあるけれど、TODOリストをこなすように過ごしてしまったらどうしようという不安があった。それくらい「楽しみ」という感覚に実感を持てなかった。

だから『GHOST WORLD』とか『新世代』とか楽しくて仕方なくて、このままずっと聴いていたいと思えて、『そなちね』が流れて寂しくなって、帰り道に「あっという間だった」と思えてうれしかった。
久々に感情を動かされたような気がした(イメージとしては綾斗さん達に肩を掴まれてガタガタ揺さぶられているような感じ)(カツアゲか?)(でもそれくらい物理的に揺らされている感覚だった)。

去年の10月、すごく気落ちすることがあった。その後に小原綾斗とフランチャイズオーナーの愛知公演を観て、「やっぱり好きすぎる!」と思ったことを覚えている。『惑星X』もそんな感じだった。

いつも猜疑心が強くて頭でっかちな私のことを音楽で揺さぶりをかけてくれて、私が日常生活を送るだけでは決して得ることのできない身体経験を教えてくれて、2022年からnoteをはじめて何度も感想を書いているのに、書き尽くせないくらいの感動を与えてくれて、色んなことにありがとうございます。
これからもずっと大好きだ!

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