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iiie 1st Anniversary Party!!!(Day4)の日記

昨年に続き、今年もiiieで綾斗さんのライブを観ることができた。

今回行ったライブ

・2/4(日) iiie 1st Anniversary Party!!!(Day4)@iiie(大阪)

遠征準備

この日のライブは15時開演だった。泊まらずに行って帰って来ることができる時間だったので、年末のレディクレと同じく弾丸大阪遠征することにした。

迷ったのが帰りの時間だ。Day4は前半と後半の二部構成で、綾斗さんのライブは前半だった。
綾斗さんって夜型人間っぽいイメージがあるので出演するとしたら遅い時間に出そうなものだ。前半に出演するということは後半の時間帯は別の用事があって大阪にいらっしゃらないのか?と、ヘボ探偵(私)は想像した。
もし後半もiiieにいらっしゃるならその場にいたいと思ったが、敢えてお昼の時間帯に出演するということは、後半はいらっしゃらないはずだと考えライブが終わったらすぐ帰ることにした。

まあ、ヘボ探偵の推理なんて外れる。FLAKE RECORDSのDAWAさんが写真を載せていたが、4日の夜も大阪にいらっしゃったようだ。
後半、iiieにいらっしゃったかは分からないが、いらっしゃったとしても同じ空間に何もせずいるなんて緊張しすぎて無理だったわと気が付いた(前提条件から崩壊していた)。

電車が遅延したり開演が遅れたりする可能性を考慮して、帰りは少し遅めの新幹線を予約していた。しかし順調にライブが終わったため、お土産を買った後すぐに新大阪駅へ向かった。
時間に余裕が生まれてしまったので、予約を変更して早めに帰宅した。今回はじめて新幹線の時間変更をしてみたが、スマートEXは変更手数料がかからなくてありがたかった。

ライブ前の日記

ライブ前に少し時間があったので、toi booksさんを再訪した。

toi booksさん

新刊も古本も売っている本屋さんで、いずれも気になる本ばかり置いてある。店内の通路は、人と人とがすれ違えないくらい狭い。小さな空間にたくさんの本が詰まっていて落ち着く。

点滅社『鬱の本』

購入したのは点滅社の『鬱の本』。帰りの新幹線とその翌日に読んだけれど、このタイミングで買うことができて良かった。ライブを振り返りつつ、本の内容にも触れられたらと思う。

開場から開演までの日記

久々の狭い会場だったので、すごく緊張した。誰も私に注目していないと分かっていても、誰かの視界に入って認識され得る狭さや距離感、人混みが得意ではない。透明人間になりたい。
でもtoi bookさんのような狭い空間は落ち着く。何なのだろう、この違いは。お酒を飲む場所に馴染みがないからなのか(私はお酒が飲めない)。

ライブが始まれば緊張感は収まる。観客全員が綾斗さんに集中するからだ。
綾斗さんがステージ上に立つ5秒前に自分の座席やスペースに瞬間移動できたら良いのに。そうしたら延々とエリック・サティの『ジムノペディ 第一番』や、グレン・グールドの『ゴールドベルク変奏曲』を聴きながら心を落ち着かせる必要がなくなるのに!

本当は会場でかかっている音楽を聞きたかったが、人の話し声が苦手というか思考をジャックしてくるので諦めた。
嫌なことを忘れようとするとかえってそのことばかり考えてしまうように、話し声から意識を逸らそうとしても言葉に集中してしまう。
目のように耳を閉じることができたら良いのになあと思う。

開演後の日記

ライブはすごく良かった。でも、時間が身体をするっと通り抜けてしまったというか、記憶に残りにくかった。去年の10月程ではないが、あまり集中できなかった。ライブが始まる前に緊張しすぎていたかもしれない。
決してライブが良くなかったわけではなく(そんなわけなさすぎる)、ずっと私の調子がおかしいらしい。治ったと思ったのだけれど。
こういう書き方はしたくないが、たった1時間のライブのために往復の新幹線代3万円くらいをかけても全く惜しくないくらい価値を感じることなのに、目の前のことに集中できないのが悲しい。なんでこうなるのか。
「目が滑る」という表現がある。そんな感じ。目で、耳で追っているのに頭に入ってこないというか。
肉体に結び付いていないような、録画した映像を眺めているかのようなツルツルした記憶ではあるけれど、覚えているところや、ライブを観て考えたことを書いてゆきたい。
※最近はライブ終わりにメモを取っていないので、今まで以上に正確性に欠ける。

まず、今までに行った弾き語りライブの中で一番順調だったし、曲数が多かったように感じた。この日もアンプの電源が落ちたり(?)(楽器経験がなくてよく分からず)、歌詞を忘れてしまったりといったトラブル未満の出来事はあったものの、するすると進んで行った。
『引っ越し』『温泉ゆきたい』『くらえ』『遺言』『おかしな気持ち』『憑依さん』『Q』『深海より』『革命前夜』『今世紀最大の夢』『かいじゅうたちの島』……メモを取っていないので忘れてしまったけれど、たくさん歌ってくださった。

5月1日発売予定のニューアルバム『((ika))』についての話もあった。まだアルバムは完成しておらず、最近は制作があるから忙しいそうだ。
綾斗さんは、バンドのボーカルがソロライブでバンドの曲を歌って小銭を稼ぐことに嫌悪感があり、一人のライブでTempalayの曲を歌うことは控えているらしい。
でもこの日のライブは制作が忙しく準備が足りなかったとかで、たくさんTempalayの曲を歌ってくださった。
バンドの曲を歌うのが恥ずかしいからなのか、去年は許されていた動画撮影も駄目だった。撮影禁止の理由が権利関係云々みたいな堅苦しい理由でなくて微笑ましかった。

『今世紀最大の夢』は、テレビ大阪(?)に2週間で書いてくれと言われてつくったとか。2週間って。
その話の件だったか、最近クリエイティブが搾取される事件があったと芦原妃名子先生がお亡くなりになった件について触れられていた(先生のお名前は出されていなかったが、そのことだと思われる)。
そういう中、観客がこの場所を選んで来てくれて感謝しているというようなお話もあった。

「目撃者X」の日記に、作品を消費することについてつらつらと書いた。創作という行為は、売れている・売れていないに関わらず、どれも価値ある行為だと思う。
創作は世界を豊かにする。誰かの創作が、世界の大きさを100から101にしてくれる。その増えた1が、誰かの落ちてゆく気持ちを受け止めてくれるかもしれない。どこかにまだ見ぬ世界があるかもしれないと想像することで、心が軽くなる人もいるかもしれない。

前述した『鬱の本』には、84人もの鬱の話が書かれている。
自分がうまく表現できなかったことが言葉にされていたり、書いてあることに共感できたり、読んで良かったと思った。

我々はおそらく決して出会うことはないけれど一人ではない。同じように憂鬱な銀河からの脱出を夢見ながらも同じように憂鬱を愛しつつ、別々に最期を迎えるだろう。
天体望遠鏡で誰かが我々の銀河を見たとき、たとえ弱々しくても、青く、美しい、一つの光でありますように。

マツ『憂鬱な銀河』(『鬱の本』153頁)

この箇所が一番好きかもれない。たとえ出会わなくても、一人ではないって思える有り難さというか。私が創作に感じるのはそれに近い。

だが、この作品を読むと、なにかとても浄化される。そのつらさがちゃんと描かれているからだ。そのつらさを知っている人がいるからだ。いるからどうなんだ?と言われればそれまでだが、それでも私はこの作品を大切に思うし、何度も何度も読み返している。

頭木弘樹『『金髪の草原』の「記憶年表」』(『鬱の本』49頁)

ここも好き。「それでも私は」という部分が良い。
「それでも私は」と思う気持ちは大切にしなきゃいけない気がしている。

やっぱり作品を消費することについて、ずっと考えてしまう。音楽業界のことは全く分からないけれど、2週間で曲をつくれって酷いような気がしてしまう。そういうものなのだろうか。
一方で、仕事だから納期はあって当たり前だし、仕事だから利益のために新しいものを次々と生み出してゆかなければならない事情も想像できる。
流行の入れ替わりが目まぐるしい現代にあって、創作の価値や、創作に対する敬意は「悠長なこと」であり、そんなことを言っていたら稼げないって言われてしまうのかもしれない。

私は音楽やTV業界とは全く関係ないところで働いているが、どんな業種であろうと、どんな役職や地位であろうと、常に感謝の気持ちは忘れてはいけないなと感じる(自戒の念を込めて記載)。
「ありがとう」と言葉で伝えることや、感謝の気持ちを持って人に接することは大切だ(いや本当に自戒の念を込めて記載する)。
そこが欠けてしまうと、「やってもらって当たり前」や、「ありがたく思え」といった尊大な態度になってしまうのかなと思った。

職場でシュレッダーの紙ゴミがパンパンでランプが点灯しているのに見て見ぬ振りをする人がいる。分かるよ、面倒くさいよね。
私はランプに気付くと取り替える(ようにしている)。それは善の気持ちというより、もし取り替えなかったら後に見て見ぬふりをした自分のことを思い出して自己嫌悪に押し潰されそうになるからだ。
「ゴミでいっぱいにした人が取り替えろよ」と思いながら作業していると、たまに「ありがとうございます」と声を掛けてくれる人がいる。さっきまで脳内愚痴大会を開いていたのに「これくらいやりますよ」とか答えちゃったりする。別に感謝されたくてやるわけではないが、感謝パワーはすごいなと思う。
綾斗さんは、ライブの中で一回は感謝の言葉を述べられる気がする。それを聞くとうれしく感じると共に、私もちゃんと周りの人に伝えなきゃなと思う。

そういえば『温泉ゆきたい』を歌う前に、47都道府県弾き語りツアーについて触れられていた。約一年間言及がなかったので、忘れられていたわけではなかったのか……と、安心した。
綾斗さんのつくる曲って、モネの絵みたいに淡い色のものが多い気がする。個人的に『温泉ゆきたい』もそんな感じ……記憶はだんだんと薄れてゆくものだから、思い出というものは彩度もコントラストも高めのパキッとした色はしていなくて、淡くぼやけた色味をしている。
曲に記憶がにじみ出ているというか……ピントの合っていない古ぼけた写真のような曖昧さというか、判別できない揺らぎのようなものが好きだなあと思う。
ライブに行く度に色々考えて文章化を試みるのだけれど、ずっとうまく表現できない。

ところで、綾斗さんにご要望を提出できたら今後の弾き語りライブでも『Q』を歌ってくださいと書きたい。演奏がすごく良くて、何を歌うんだろうって思ったら『Q』で。また聴けたらうれしいな。

ライブの帰り道、近くの百貨店へお土産を買いに行った。

福寿園の「朝露」

福寿園に「朝露」という名前の緑茶が売られており、「 『遺言』の歌詞に出てくる言葉だ!」と思い、即購入。
しかし帰宅してからよくよく見てみると、「朝"霧"」ではなく「朝"露"」……相変わらずポンコツな私だった。