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古賀及子・マンスーン「内省したり反省したりする私たち」を聞いた

12月10日(日)に下北沢のBONUS TRACKで開催された「日記祭」へ行ってきた。
今年で第4回だという「日記祭」のことも、主催者の「日記屋 月日」さんのことも全く知らなかった。イベント前日、下に載せたマンスーンさんのポストをたまたま見掛けて行くことにした。

トークショーに行くまで

ライブの感想を綴った日記を書き始めてから約1年半が経つ。自分の文章をライブレポートと言いたくないので頑なに日記と呼んでいるが、月に数本の文章を日記と称して良いものか悩むところだ。

日記を始めてから参戦したTempalayと綾斗さんのライブの感想は全て文章にしているが、最近になってどうして私は日記を書くのか気になるようになってきた(自分のことなんだけど)。
「時間を掛けて言葉にして何の意味があるのか」、「なぜ殆ど誰にも読まれない文章を書き続けるのか」、「敢えてインターネットに投稿する意味はあるのか」等々。
自分に突き付けた疑問に対して、「それでも私は日記を書くんだ!」って何かしらの意味を見い出せる日もあるし、「やっぱり無駄な時間だよな」と感じる日もある。

最近のそういう思いがあったからこそ、マンスーンさんのポストを見て「これは私が聞かなければならない、私のために開かれたトークショーだ!」と、盛大な勘違いをして下北沢へ向かった。

日記祭

日記祭への会場へは10時45分頃に到着した。

会場の雰囲気

日記祭目当てなのか、下北沢目当てなのか分からないが、駅から会場付近にかけてたくさんの人がいた。

会場の雰囲気

この日は13時から渋谷で用事があり、出展ブースを殆ど見られなかったことが悔やまれる。第5回が開催されたら、ゆっくり見て回りたい。

日記屋 月日

トークショーが終わったらすぐに渋谷へ向かわないといけなかったので、開場前に主催者の「日記屋 月日」さんへ行った。
どこを見ても日記に関係するものが置いてある!こんなお店があったなんて……BONUS TRACKには「本屋 B&B」さんや、「本の読める店 fuzkue」さんなど、他にも本好きが吸い込まれる店があったので今度ゆっくり散策したいと思った。

日記屋 月日

この棚を見て思ったのは「こんなに日記って売られていたの!?」ということ。本として売られている日記は、紀貫之『土佐日記』と、アンネ・フランク『アンネの日記』しか知らなかったかもしれない。

小沼理『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』

トークショーの開場時刻が迫る中、目に留まって選んだのが小沼理さんの『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』。
日記を書いてインターネットに載せるだけでも、何かしらの大義名分がないと恥ずかしいというか申し訳ないような気分になるのに、「書いて売ったらいいのに」とは!情けない自分に勇気を与えてくれる気がして買ってみた。

もつ煮と本の入った袋

本を買って外に出たら、もつ煮の試食をいただいた。時間があれば買って食べたかった。試食だけでもおいしかったです。

トークショーの感想

もっと聞いていたいと思うくらい、あっという間の1時間だった。
台本(?)はあったようだけれど、進行役がいるわけでもなく古賀さんとマンスーンさんがざっくばらんに会話を繰り広げる。
古賀さんに自身の日記を朗読されているマンスーンさんが「うわあ、読まれるのかあ」ってダメージを受けていたのが良かった。自分の日記を読まれるとか恥ずかしすぎて、想像しただけでも穴に入りたくなる(それでもインターネットに公開する私たち)。

一番聞けて良かったのが「水うまい」の話。
マンスーンさんの日記には「水うまい」という言葉が度々出てくるらしい。水を飲んでいなくても、書くことがないと「水うまい」と書くとか?
お二人は事前に本を交換して読んできたそうで、マンスーンさんが古賀さんの日記に対して「『サザエさん』を見ているみたい」「お子さん達も面白すぎて、笑いの学校にでも行かせているんじゃないか」と、感想を述べていた。
それに対して古賀さんが「みんな書いていないだけで、それぞれにユーモアがあって面白い経験をしていると思う」「日記を書くことによって出来事が浮かび上がってくる」というようなことを仰っていた。
そしてマンスーンさんの「水うまい」についても、日記を書くから水のおいしさに気付けるのではないかと。
※録音もしていないしメモも取っていないので、間違っていたらすみません。

Tempalayの「ドォォォン!!」ツアー東京公演の日記に、文章を書くと「私はこんなことを考えていたのか」って発見に繋がるときがあると書いた。
日記を書かなかったら、ライブを観ても「感動した」とか「あの曲が聴けて良かった」くらいしか出てこなかったと思う。書くことで、見えてくるものがある。
「水うまい」の話は、私が日記を書きながら感じていたことは他の人にとってもそういうものなのだと思えて安心感に繋がった。

何でもかんでも意味に繋げようとするのは良くないなと思いつつ、「日記を書くのに何の意味があるのか」とか思っちゃうんだよね。
でも日記を書くことが、「水うまい」って気付かせてくれたり、もっと日常を面白く、或いは色鮮やかに、はたまた今まで考えたこともなかったような見方をさせてくれるかもしれないって考えたら、意味があるって思えるし、もっと続けていこうって前向きな気持ちになれた。

今年の始めにオモコロを認識して、マンスーンさんのことを知ってからはまだ数ヶ月しか経っていない。古賀さんに至っては、この日のトークショーで知った。
マンスーンさんが140文字の日記を書いているということは、11月の文学フリマの告知でぼんやりと知った。
140文字という制限があるから、日記に書けることは非常に限られている。書けないことの方が多い。
私の日記も、その日に起きた全てのことを書いているわけではないが、1日の流れに沿って一つ一つ拾い上げて書いてゆくことが多い(特に遠征の日記は)。
「とりあえず覚えていることは全部書こう」みたいな意識があったのかもしれない。マンスーンさんの話を聞いたら、「全部書け(か)なくても良いんだ」って思えた。

更に、古賀さんのXを開いたら固定ツイートにこんなことが書いてあった。

「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと良い」!
「それでいいんだ」って、なんだか肩の荷がおりたような気持ちになった。

最後に質問コーナーが設けられた。すごく緊張したが、どうしても聞いてみたくて、①自分しか見ない日記を書いたことがあるか?、②もしあるとしたら自分しか見ない日記と、インターネットに公開する日記とでどういう違いがあるかの2点を質問させていただいた。

質問時点で緊張していたので回答の記憶が飛びがちだが、マンスーンさんは小中学生の頃に3日間くらい自分しか見ない日記を書いたと仰っていた気がする。
古賀さんは、2018年にインターネットに投稿し始めた日記がはじめての日記らしい。ただし今は、日々起こったことや、思ったことを箇条書きにした誰にも見せないメモ(裏日記)はあるとか。

マンスーンさんが、「インターネットに公開する日記という点で言うと、古賀さんは他人の目を気にしているのではないか?」と、話を広げてくださった。
マンスーンさんは書籍化に当たり何も修正を加えなかったが(誤字もそのまま)、古賀さんはたくさん加筆修正したらしい。「(加筆修正しないことで)当時の思いをそのまま残す」といったことに拘りはないそうだ。
そういう意味でインターネットに公開した日記を「作品」と表現されていた気がする。
マンスーンさんも全く人の目を気にしていないわけではないから「作品」ではあるそうだ。古賀さんには、「他人に見せるという『作品』の部分と、『(作品と称しつつも)こんなものを読ませてごめんなさい』といった申し訳なさのバランスがちょうど良いから、このままでいてほしい」みたいに言われていた。

今までライブの感想日記メインで投稿してきた。書くことを通してもっと色んな気付きや視点を得たいし、ちょっとしたことでも投稿してみようかと思う。カテゴリも分けてみようかな。なんだか考え始めたら楽しくなってきた!

トークショーで言及された本

お二人の本以外に、『作業日誌』と『富士日記』への言及があったと思われる。いずれも知らなかったので、いつか読んでみたい。

  • 古賀及子『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』

  • マンスーン『20180915-20221228』

  • 中原昌也『中原昌也 作業日誌 2004→2007』

  • 武田百合子『富士日記』