第2話 勝つために試行錯誤の日々
(第1話の続きです)
翔太:そのあと、後にWE LOVE DOUBLE DUTCHになるWEST JAPAN CUPに大学3年のときでたの。そこで表彰はされなかったけど、審査員のTKCさんに総評で「狂ってチームが印象に残った」って言われて、超喜んで。
モエ:現役生らしい反応!
俊輝:「こんなん俺らすぐできる」とか先輩たちの動画を見て言っていたのに、実際に認められると嬉しかったんだろうね。
翔太:そうそう(笑)で、そのあとに『Double Dutch Challenge in 東京』に出て、初めて優勝。
俊輝:いっぱい景品もらって嬉しかったね〜
翔太:それでどんどんテンション上がっていって、コンテストに出たらダメだった。
俊輝:残ったと思ったけどね。MIKIさんとかになんでなんすかって泣きながら噛み付いたの。初めてのコンテストで一抜けして負けたときは涙も出なかったけど、3年生のコンテストは涙がでたね…。
モエ:やっぱり思い入れが違いますよね…。
俊輝:そんなときにDOUBLE DUTCH DELIGHTが初開催されることになって、3人でチャレンジすることにした。
翔太:実はこれまで、俺らは3人だけは避けていたの。3人だと勝てないって思って。
俊輝:常にメンバー探しをしていたよね
翔太:色んなチームに合併しようと誘ったけどダメで…。腹くくって最後まで残った3人ででたんだよね。笑
モエ:チームメイトの3人のことは好きだけど3人だけだと厳しいって思っていたんですね。
翔太:ワールドもできないしね。当時3人の技がダブルダッチ界に少なかったから、俺らが開発しまくったよね。
俊輝:ほんとに3人って小さいじゃない。これをどう広く見せるか、リリースをしたりみんなの目線を散らしてステージを大きく見せられるように考えてデモづくりしたなあ。で、NDDLの予選会として生まれたDOUBLE DUTCH DELIGT に出ることにした。昔、実はNDDLは推薦だったんだよね。
モエ:え!そうだったんですか!
俊輝:「行きたい」って言った人が行くっていうシステムだったから、だいたい日体大の3年4年が何チームか行くって感じ。誰でも出れる大会だったんだよ。
モエ:へ〜〜!
俊輝:それじゃ良くないから、初めて予選をやろうってなったのがDOUBLE DUTCH DELIGHTだったの。最初はEASTもWESTもなくて、いきなり本選だった。
モエ:いきなり!!
俊輝:そのときは30チームもなかったかな〜。
翔太:実はEASTとWESTを作る構想はあったんだけど、反発があってなくなったんだ。関西方面の大学が「これまで好き勝手にNDDLへ行けたのに、予選があるなんて聞いていない!」ってなって。
当時は乱縄が一強だったからね。DSPもD-actも立ち上げたばっかで、1位〜5位まで全部乱縄って状態だった。だから、予選なんかしたら乱縄しかNDDLに行けなくなってしまう・・・って感じでね。
俊輝:最初は反発もあるよね。僕たちは打倒乱縄って考えていた。
翔太:それで、オープン部門が関東だけの開催になって、実質の本選になっちゃったわけ。
俊輝:で、勝ったはいいんだけど・・・
翔太:そっからが面白いんだよね(笑)
(第3話に続く)
▼ダブルダッチマンサポーター
おかもん、ガスト、jumprope_aya_jp、まーくん、田中祐輝、盛山凌、すぎやまみつき、Fat man 肘 Crew、SPASCURRY、ほか匿名5名