第1回 自分のやりたいことを伝える場所っていうのは、なければつくればいい
JOHN
1987年9月27日生まれ。日本体育大学「乱縄」出身。社会人ダブルダッチチーム「Bud」に所属。プレイヤーとして活動する傍ら、 「Double Dutch Night」「Double Dutch ONE’S」「radio.dd」など運営側としても活躍中。2017年4月に「株式会社 Comhearts」を設立し、三軒茶屋駅にほど近い場所で治療院「Emotion」 を営んでいる。
人との繋がりで成り立つタイプの人間
イケポン(以下I):JOHNさん、本日はよろしくお願いいたします。このコーナーではダブルダッチでの活動とお仕事の繋がりをいろんな方に聞いていこうという企画です。
大半の人が、ダブルダッチをプレイヤーとしてやっている期間よりも、仕事をしていく期間の方が長いですし、ダッチと仕事の繋がりが見えるようなコンテンツがあったら見てくれる人が多いんじゃないかなと思っています。 まず社会人のダブルダッチプレイヤーについてどう思いますか?
JOHN(以下JOHN):社会人のプレイヤーは増えているよね。最近ダッチをやるために転職する子が出てきたのはすごい事だなって思う。
数年前までは大学を卒業してもダッチを続けるって事自体があまりなかったと思うけど、それだけ根付いてるんだなって。僕らが現役生の時にはなかった事だからさ。
I:ダッチのためにどういう仕事の選び方をするかという点もですが、ダッチの活動をする中でどういう立ち位置だったのか、どういう役回りだったのか。
日頃何を大切にし、何がきっかけで今のお仕事につながったのか教えていただけませんでしょうか。
J:役回り、立ち位置はどうだろう、、、。きっかけだったり、まとめ、決断する事は結構あるかな。
後は、みんなに任せることが多いかもしれない。大切にしている事は、僕は完全に人との繋がりで成り立つタイプの人間なので、結果すごい千野さん (OVER THUMPZ)にお世話になっているね。この仕事をしてるきっかけも千野さんだし。
I:そうなんですね。
J:ダブルダッチだって「社会人でもできるよね?」って相談したのがBud
大学2年くらいのレップレ終わりで 「JOHNこういうの興味ないの?」 って。
I:そうだったんですね。以前JOHNさんはファミリー整骨院で治療のお仕事をされていたと記憶していますが、最初に整骨院のお仕事をされたのは、ファミリー整骨院ですか?
J:いや、もう一軒別の整骨院を挟んでからファミリー整骨院にいったね。
I:ファミリー整骨院はダンサー向けの整骨院だったんですか?
J:ダンサーがメインのお客さんだったけど、そうじゃない方ももちろんいたね。そこで出会った人もいっぱいいたし。今でもその繋がりはあって、僕が社会人でダッチやりはじめたのもその繋がりがあったからこそだと思う。
僕らの世代ってさ、今だと不思議に思われるかもしれないけど、ダッチのプロになるか辞めるか、どっちかっていう世代だったから。社会人でも続けるっていう感覚がなくて、それっておかしいなって思ってて。ダンサーって当たり前のようにやってるじゃない。
で、ダブルダッチだって「社会人でもできるよね?」って相談したのがBudだね。その時はOVER THUMPZの皆さんにも相談に行ったり、チームの結成時には挨拶にもいったもんね。
今はさ、社会人チーム作りましょってコンテストにもこれだけいっぱいチームがいるわけだけど、当時はそれがなくて。今ではメンバーも学校の先生になったり、子供がいたり、以前と同じようには活動していないけど。
BudがあったからDelightのゲストや、ナイト(Double Dutch Night)をやらせてもらったりと、全部が繋がってる感じかな。そういう1つ1つが全部繋がって、会社だったり、今に至るって感じだね。
だからBudのみんなにはほんと感謝してるかな。
治療を通して人の心を動かせればな。と思っている。
I:Emotionを開業するに至った経緯を教えていただけませんでしょうか?
J:もともと今のスタッフとは専門学校時に、「後々一緒にやれたらいいね」って話はしてたんだけど、そういうのって言う人はたくさんいても、なかなか形にできないのが現実で。だけど、自分がお店を出すなら信頼できる仲間とやりたいなって思ってて誘いました。 今一緒にやってるメンバーはみんなナショナル(日本代表)チームなどで働いていたメンバーだから本当に心強いよ。
I:専門学校に行かれていたんですね。
J:僕たちの資格って当時大学では取れなくて大学4年間とプラス専門学校があるんだよね。在学中からファミリー整骨院で働いていたんだけど、しばらくしてパーソナルトレーナーの勉強がしたくなり、パーソナルジムでの仕事を経験したり。
そこはすごい特殊なジムだったのだけど、体の構造や動かし方を勉強したことで自信になって、「もう自分たちでできるね」って段階にいったかな。
I:体のケアの道に進みはじめたのは、いつ頃からなんですか?
J:ダッチやってる時から興味はあったよ。ケガを直したいって感覚よりは困ってる人を助けたい。っていう感じで。大学3年の時にはもう決めていました。
I:パフォーマンスで心がけていること、治療で心がけていること、それぞれに通じる部分はありますか?
J:僕はパフォーマンスって人の心を動かすかどうか。ってところがすごい大切だと思ってて。
技ができることは確かにすごいんだけど。その先にある、人の心を動かしてはじめて納得が出来るというか。僕らの治療やパーソナルトレーニングもそれと同じ感覚があって。一回治療して治った「やったー」というよりかは、治療を通して人の心を動かせればな。と思っている。
けどなかなかそういう考え方の整骨院やパーソナルジムってなくて。自分が素直にやりたいことができないなら、作っちゃった方がいいじゃん、って事で作ったかな。どうしても治療院って治すことが中心になるから。より自分のやりたいことを伝える場所っていうのは難しかったんだよね。
I:ダッチの時は特に好きなものをつくることに対する制約がほとんどないから、目一杯好きなものを作れてそれに歓声がもらえる。それが会社や組織に属してしまうと、ダッチの時とのギャップを感じることは多いですよね。
J:そうだね。僕の場合はその制約とかが結構苦手で、だから自由にできる場所が欲しかったのもあると思う。昔から親にも「想像力豊かにいろいろ作りな」って言われてたくらいだからね。それが小さいころから作るってところのベースになっているんだと思う。たぶん将来は自分で事業を興すんだろうなって思ってたよ。だからサラリーマンっていう選択肢は全然なかったね。
I:それは大学にいた時からですか?
J:うん。なので就活したことがないんだよね。ファミリー整骨院も誘っていただいて入ったし。
I:なるほど。
J:人との付き合いだなあ。
※2018年4月15日の記事です。
(第2回に続く)
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