小説『青春ダブルダッチ』第二章②
【第二章・ダブルダッチ部】
「これがナワ。ダブルダッチってのは二本のナワを回して、その中で跳んだり、パフォーマンスをしたりするのよ」
二本縄を回す。
なるほど、二本も回せば大縄跳びよりも難易度が上がって面白くなるだろう。なかなか興味深い。
「じゃあ跳ぶところ見せるわね。サドジン、晶。
ターナーやって」
「そのターナーってやつもなんですか」
「あ、ごめん。例えばバスケでもセンターとかフォワードってポジションがあるでしょ。あれと同じでダブルダッチにも一人一人の役割があるの。ターナーはナワを回す人。他にもジャンパーとか言ったりするけど、まあそれは多分わかってもらえると思うわ。いいから見てみ」
おれはギャラリーの隅の方によって邪魔にならないようにして、言われるがままにパフォーマンスを見せてもらうことにした。
「音楽どうするよ」
「なんでもいいよ、早くしようぜ」
晶さんが流行の音楽を大音量で流し始めた。
そして、サドジンさんと晶さんが二本ナワの両端を握る。ここまでは小学校時代にやった大縄跳びとほとんど変わらない。変わっていることは二本のナワを使うことくらいだ。サドジンさんと晶さんはナワをピンと張って、そこからゆっくりとナワを回し始めた。
ナワを回しながら二人の距離をだんだんと縮めていき、ちょうど一人が中で跳んでも引っかからないくらいの高さまでナワの円は大きくなった。二人の回すナワは一本は左回転、もう一本は右回転。双縄が交互に地にあたり、小刻みに心地よい音を立てながら、一定のリズム、スピードでナワは回っていた。
「いくよ」
楓さんがサドジンさんと晶さんの二人に合図を送ると、二人は「ワン、ツー、スリー」とカウントを始めた。
「ファイブ、シックス、セブン、エイト」
二人の数えるエイトカンウントのエイトからワンに戻る狭間で、楓さんはふわっとステップを踏み出して、二本のナワが回るに飛び込んだ。
楓さんの足に二本のナワが一定のリズムで交互に迫り来る。それを彼女はものともせず、軽快なステップを踏みながら足をすくめようと襲い来るナワを軽々と跳んでみせた。
実に鮮やかだ。大縄跳びを飛ぶ時、もっと下手くそな飛び方をする。大縄跳びはみんな大げさに足を高く上げてやたらと疲れる跳び方をするが、楓さんは全然違った。地面から足がついたまま跳んでいるのではないかと錯覚するほど低く跳んでいた。跳んでいる、というよりナワと戯れ、踊っているようだった。
「すごい」
おれの口から思わず言葉が漏れた。うまく言葉にできないが、楓さんが二本のナワの中で跳ぶ姿は、本当に美しく、そして雄大だった。おれは語彙力がない。普段は気にもしなかったが、今この瞬間、おれの語彙がないことを悔やんだ。このパフォーマンスを形容できないなんて、とても悔しい。
「これはすごいですね」
「まだ驚くのは早いよ、良太郎くん」
ハーフの大がおれに言った。まだすごいことが起こるのかと聞いたら、そうだと大は答えた。おれは胸が高鳴った。これから何が起こるのだろうかとあれこれと予想を立てた。が、おれの期待は大きく裏切られることになった。悪い方向ではない。想像を遥かに絶することが目の前で起こったのだ。
楓さんは跳ぶのをやめてナワから出ると、今度は代わりにハーフの大がナワの中に飛び込んだ。すると大はしゃがみこんだ。おれは一瞬己の目を疑った。しゃがんだまま飛んでいる。もちろん、先ほどよりはゆっくりとナワは回っているが、大は引っかかることなく、しゃがみながら楽々と跳んでいた。
おれは息を飲んだ。開いた口が塞がらなかった。人間にこんなことができるのか。使っているのはたった二本のナワだけである。信じられない。大縄跳びだと完全に見くびっていた。ここまですごいことができるなんて思いもしなかった。
大は驚きを隠せないおれにまだまだだよと言わんばかりの表情を浮かべ、今度は立ち上がったかと思ったら、逆立ちをして腕で跳びはじめた。なんという腕力だろうか。縄跳びはてっきり足で跳ぶものばかりだと思っていた。腕で跳ぶなんて、未知の世界の出来事としか思えない。
大は五回ほど腕立てしたまま跳んだら、流石に辛くなったのかナワの外に出た。
「どうだ」
おれは無意識のうちに拍手をしていた。目の前で起こっていたことに驚きと感動を禁じ得なかった。奇跡かなにかとしか思えなかった。
「これがダブルダッチか」
「そうだよ。すごいだろ。世界一カッコいいスポーツさ」
大は得意げな様子で言った。
正直ここまでとは思っていなかった。予想はしていた。だがおれの予想なんて瞬く間に破られてしまった。大縄跳びなんて……そう思ってナメていたが、これは別次元のスポーツだ。これは縄跳びなんてレベルじゃない。たった二本のナワで異次元の世界を作り出す、奇跡とも呼べる代物だ。
「驚いてるわね、良太郎くん」
部長の楓さんはうふふと笑った。それにしても良太郎くんなんて呼ばれるのは妙な気分だ。坊ちゃんと長らく呼ばれてきたから、下の名前で呼ばれるなんて違和感が拭えない。
「感動しましたよ、ダブルダッチに」
「だろー」
サドジンさんがおれの肩に腕をかけた。でかい体だ。
「さてさて、今度はお前が跳べよ」
「おれですか」
おれは戸惑った。ダブルダッチがどういうものかよくわかった。でも、一度見たきりであんな軽やかに跳んだりできるわけがない。
「いや、おれは……」そう言いかけた時、ギャラリーの扉が開いて、急ぎながら誰かが入ってくるのがわかった。
「ごめんなさい、遅れました」
「リコ、遅いよ」
入ってきたのはショートヘアの女子だった。真っ白いシャツに運動用の短いズボンを履いている。
「どうしたの?」
「すみません、生物部のカメレオンが逃げ出したそうで。手伝わされてました」
またか、とおれは思った。生物部から生き物が逃げ出すのはもう今年四回目だ。
「あら、この人は」
リコ、と呼ばれていた女子はおれを不思議そうな目で見てきた。綺麗で大きな目だ。紫水晶の宝玉みたいだ。
「あ、見学の人」
「総務委員会の一年生の与田良太郎です。坊ちゃんって呼ばれてます」
「あら、どうもご丁寧に」
おれが頭を下げるとこの女子も丁寧に頭を下げてくれた。
「ダッチ部入るんですか?」
「いえ、その……」
「わぁー、すごい。足の筋肉とかやばいですね」
リコさんはおれの足を見て感心していた。バスケ部時代、毎日ゆうに十キロは走っていた。辞めてからも、体が動いてしまい、毎日走っていた。多分現役の頃と筋肉量は変わらない。
「どうもです」
おれは少し照れてしまった。バスケ部にはおれよりも筋肉のついたやつは沢山いる。筋肉がないとけなされることはあっても、褒められることは珍しい。なんだか嬉しくなった。
「その、良太郎くんでしたっけ?よろしくお願いします。私、福田梨子。一年四組です」
「どうも」
彼女は満面の笑みをおれに浮かべてきた。明るくて気さくな人だと思った。花の咲いたような笑顔である。いつまで見ていてもいいなと思えた。
「梨子、これから良太郎くん跳ぶから、跳び方教えてあげて」
梨子さん楓さんに元気よく返事すると、おれの近くに寄ってきた。近い。いくらなんでも近い。おれの体まで五十センチのところに寄ってきた。
「えっと、跳ぶの始めて」
「無論。今日初めてダブルダッチを見ました」
「あ、そう。簡単よ、まずねぇ、ターナー二人が回してくれてるナワあるでしょ」
「はい」
「そこにタイミングよく入ればいいのよ」
「そのタイミングがわかりません。いつ飛び込めばいいのか……」
「エイトカウント数えてみて」
おれはいち、に、さんと数えた。そしたら笑われた。
「英語よ」
リコさんも笑った。綺麗な笑い方をする人だった。口元に手を当てて、微笑む。おれは少しだけ胸騒ぎがした。英語、か。そういえば楓さんも英語でカウントしていた。我ながら間の抜けたことを。
「ワン、ツー、スリーって数えて」
「ワン、ツー、スリー、フォー……」
「で、エイトまで数えたらワンに戻って。ナワに跳びこむタイミングはフォーとファイブかエイトとワンの間。私が数えてあげるから、そこでナワに飛び込んで」
「えっ、あの」
「大丈夫。できるから。自分を信じて」
梨子さんは多少強引におれがナワまで一歩のところに連れて行くと、エイトカウントを数え始めた。
「いくよ、ワン、ツー、スリー、フォー……」
おれはナワに跳びこむのを躊躇した。いざ跳びこむとなると、引っかかってナワを止めてしまいそうな気持ちになる。恐怖に近い感覚だ。女の子に告白しようと思うけど、いざ好きな子を目の前にすると言葉が出なくなるのと構造は同じだ。
「ホラ、飛び込まないと」
梨子さんはおれに入るようにせがむが、おれは足が動かなかった。入ろうとする。でもやはり踏み出せない。ターナーをやっているサドジンさんと晶さんもおれに入ってこいと言うが、本当にナワに入れるのか不安になった。
一本ナワだと、なんとなくこのタイミングで、というのがつかめる。でも、二本になるとタイミングを示されてもいざとなると踏み出せない。
「早く、良太郎くん」
梨子さんが急かす。おれは焦ってしまった。目の前で回転するナワに、どのタイミングで飛び込んでも引っかかってしまいそうだ。
「行くんだ、良太郎」
サドジンさんも急かしてきた。えーい、ままよ……。おれが踏み出そうとしたまさにその瞬間、梨子さんがおれの手を掴んで、二人でナワの中に飛び込んだ。女子がおれの手を掴む。そのことに心臓が飛び出そうになった。
「梨子さん」
「はい、跳ぶことに集中」
梨子さんはおれの目の前でこなれた様子で跳んでいる。ダブルダッチって二人でも跳べるのか。などと感心している場合ではない。ナワの中に飛び込んだ(というより梨子さんに連れられて入った)からには、引っかかってはいけない。おれは足をすくめようと迫り来るナワを必死になって跳んだ。
先ほどの楓さんやおれの直ぐ目の前で跳んでいる梨子さんに比べたら、断然跳ぶのは下手くそだ。無駄が多いのはよくわかる。でも、おれは必死だった。なぜかナワの中に入ると引っかかってはいけないという義務感に駆られる。
「はい、頑張って」
跳ぶのは意外と大変だ。思った以上に神経を使う。風を切るように、無我夢中でおれは跳んだ。宙を舞うような感覚だ。不思議な気持ちになった。
大変だけど、不思議と楽しかった。ナワを一回跳ぶたびに、胸が高鳴った。世界が違って見えた。
先ほどまでの大体育館のギャラリーがまるで宇宙のように感じた。無に近い世界の中で、空を切り裂いて、風に乗る。
楽しい。実に楽しい。これがダブルダッチか。
本当に奇跡みたいなスポーツだ。今
初めて喜びを知ったような気分だ。
「あっ」
おれは跳ぶことに疲れてペースが乱れてしまい、ナワに引っかかってしまった。途端に元の世界に戻されてしまった。
「ごめんなさい」
「すごい、跳べたじゃないの。良太郎くん」
梨子さんはおれの隣で少し汗をかきながら、手を叩いた。周りのみんなも、すごいと言ってくれた。おれは不思議と満足していた。冒険から帰ってきたような気分だ。胸の底から満たされていた。バスケ部時代に味わって、永らく忘れていたものが僕の中で蘇った。
「楽しい……」
疲れてその場に座り込んでいた。汗もかいていた。でも、口からは無意識に「楽しい」の三文字が出てきた。
「すごいですね、ダブルダッチって」
「でしょ。良太郎くん。すごい楽しそうだった」
梨子は喜んで笑っていた。おれもそれを見て笑みがこぼれた。彼女の微笑みが、おれの胸の中でまた何か違和感を覚えさせた。
それと同時に、僅かな記憶であるが、彼女と跳んでいる時のことを思い出した。彼女がおれの手を掴む。強引だったけど、柔らかい手だった。
おれは女子と手を繋いだことがない。女の手って案外柔らかかった。そしてスベスベしていた。そしていっしょに跳んでいるとき、彼女のショートヘアーから甘い香りがした。そのことを思い出すと胸の違和感がより一層強まった。リコさんはいい人だな、と思った。
「良太郎くん、もう一回跳んでみる?」
おれはうんと頷いた。もう一度この楽しみを味わいたい。結局、その日は夜の六時まで跳ばせてもらった。楽しい、と言うことしかできないおれの語彙力の無さを恨むが、本当に楽しかった。
「ありがとうございました。みなさん」
「いえいえ、また来てね」
「そうだ、良太郎くん」
リコさんはスマホを取り出した。
「ライン、交換しましょ」
おれは梨子さんとラインを交換してもらった。可愛いクマのぬいぐるみのアイコンが表示された。
おれはますます梨子さんがいい人だと思った。
「ありがとうございます」
「良太郎くんもね。ところでラインのユーザー名、『坊ちゃん』って面白いんだけど」
梨子さんはまた笑った。
「あだ名が坊ちゃんなんです」
「『りょーくん』とかの方が似合ってるよ。私、りょーくんって呼んでいい?」
「いいですけど……」
「はい、敬語もやめ。同じ学年でしょ。タメ口でいいのよ」
おれは驚いた。梨子さんは面白い人だ。
それにおれが考える前にいい答えをくれる。いい友達になれそうだ。
「おいっ、おれとも交換しようぜ」
ハーフの大がラインの交換をせがむので、大とも交換した。
「セーレン・サイード・ファルロフ」
知らない人がこれだけ見ると、ゲームが何かのキャラクターかと勘違いしてしまう。大も面白い人だ。というか、ダブルダッチ部自体個性派揃いでいて退屈しなかった。先輩も随分とおれに優しくしてくれた。バスケ部時代はやたらと上下関係が厳しかった。先輩のユニフォームを間違えただけで怒鳴られた。それと比べると、アットホームな雰囲気で、そこに違和感もあったけれど、先輩の優しさがありがたくも感じた。
ダブルダッチって、面白い。
おれは今日一つ、新しい世界を知ることができた、そんな気がした。バスケ部をやめて生徒会に入って早くも二ヶ月。退屈な日々から少しだけ抜け出せた満足感を片手に、おれはその日の帰途に着いた。
(続く)
〈桑島直寛プロフィール〉
松本深高校卒業。高校在学中には、応援団管理委員会と落語研究会に所属しながら作家を目指して創作活動に取り組む。『涙色のラピス』で長野県文芸コンクール佳作受賞。文化祭にてダブルダッチ部のパフォーマンスに魅了され、小説『青春ダブルダッチ』を執筆する。現在は明治大学に在学している。
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