さよなら青春の普門館
昨日、仕事の合間に普門館に行ってきました。
ご存知ない方の為に説明しておくと、この普門館は宗教法人「立正佼成会」が所有する杉並区のホールで、「吹奏楽の聖地」「吹奏楽の甲子園」と呼ばれ、1977年から2011年まで吹奏楽コンクールの全国大会が開催されてきました。しかし2012年に耐震強度不足が判明してからホールの使用が出来なくなり、地域の建築基準法の関係で同じ規模のホールの建設が不可能と分かり、今年の12月に解体が決まったのです。
今回は、立正佼成会が11/5~11までステージを一般開放する「普門館からありがとう~吹奏楽の響きたちへ」という企画を起ち上げたと聞いたので、思い出の場所を見ておこうと足を運んだ訳です。
僕は高校2年で転校してから吹奏楽部に入ってコントラバスを始めたのですが、吹奏楽強豪校のうえ東京代表は都大会本選からこの舞台に立てるので、2年間で4回このステージに来ることが出来て、恵まれていました。楽器を始めて半年足らずで、よく分からないままこの舞台で演奏していたのが懐かしい思い出です。
さらに、プロになってからも立正佼成会の吹奏楽団「東京佼成ウインドオーケストラ」のお仕事で何度か普門館で演奏する機会があったり、普門館のすぐ隣りにある佼成ウインドの練習場にはよく足を運んでいたので、一般の方よりは普門館に馴染みがあるといえるかもしれません。
さて、普門館へ行こうと丸の内線に乗ったら、既に車両には楽器を持った人がたくさんいました。方南町の駅を降りてからは、正直「懐かしい普門館!!」というより佼成ウインドのリハーサルに向かうような感覚のほうが強かったです。
そして見えてきた普門館。
なんか威圧感すら感じる写真になりました。高校時代に僕が抱いていたイメージが写真に表れたような気もします・・・
入口で普門館のポストカードと封筒に入った外壁を受取り、そのまま中に入っていくと・・ステージ到着!!
開館直後だというのに、既に多くの人が集まっています。ステージで顔が映えるように舞台床が黒いのが特徴で、この黒床の写真を撮影していらっしゃる方も居ました。楽器を持参して音を出している方も多かったですね。
おそらく全国大会で自分が演奏していたであろう場所に立ってみました。収容人数5000人、大きいですね。当時は響きなどよく分かりませんでしたが、プロになって佼成ウインドで演奏した時に「こんなに音響の悪いところでよくやっていたなあ」と感じました。コンサートホールとしては不向きでしたが、イベント会場として成立していたんですね。
ステージ後ろの壁には開放日の日付別に寄せ書きがありました。この写真はほんの一部。ここだけでも北海道、九州などから人が訪れているのが分かります。中には「全国には行けなかったけど今日この舞台に立てて嬉しい」といった書き込みも多く見られましたから、そんな人たちがこの開放日に「普門館で演奏する」という夢を叶えていたのかもしれません。おそらく普門館で開催されていたコンクールを知らないであろう現役の学生さんもたくさん来ていたのが印象的。
さて、寄せ書きを見ていたら高校の後輩や同業者に声をかけられたり、コントラバスの弓を持っている人に話しかけられたり、音楽の輪を感じました。
長居をする事は出来なかったので30分ほどで退散しましたが、帰り道にもこれから普門館に向かう人々とすれ違い、「普門館愛されているなあ」と感じました。なんでも、昨日までの3日間で1500人も訪れたそうです。土日は大変だろうな。
僕が音楽を始めて最初の大舞台で、音大に進むきっかけの一つで、その後仕事場としても関わり、たくさんの思い出の詰まった場所でした。ありがとう、そしてさよなら普門館。
最後に、この場所で演奏した高校時代の演奏を。
塩谷晋平/関東第一高等学校吹奏楽部
1990年:「華-吹奏楽のために」(田中 賢)
https://youtu.be/AzoQ_ZOCNEs
1991年:「トッカータとフーガ」(J.S.バッハ)
https://youtu.be/RbTfr0F3FF8