道徳科って何する教科なの?
今日は、そもそも道徳科って何を学ぶ時間なのか?ということを考えていきたいと思います。
国語であれば言葉のこと、算数であれば数字、理科であれば自然科学など、他の教科は何かしらの学ぶものがはっきりとしているような感じがします。
では、道徳科で学ぶものは?
僕なりに考えていることを書いていこうと思います。
まずは、文部科学省が出している学習指導要領を見てみましょう。学習指導要領は学校教育の最も大本となる指針を示したもので、いわゆる小中高等学校の授業のカリキュラムはこれに基づいて作成されています。
これによると、特別の教科道徳での目標はこのように書かれています。
第1章総則の第1の2の⑵に示す道徳教育の目標に基づき,よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため,道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を多面的・多角的に考え,自己の生き方についての考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を育てる。
道徳的な「判断力」「心情」「実践意欲」というのが特別の教科道徳において育てる物です。それぞれどのようなものかというと、
道徳的判断力は,それぞれの場面において善悪を判断する能力である。
道徳的心情は,道徳的価値の大切さを感じ取り,善を行うことを喜び,悪を憎む感情のことである。
道徳的実践意欲と態度は,道徳的判断力や道徳的心情によって価値があるとされた行動をとろうとする傾向性を意味する。
道徳的実践意欲は,道徳的判断力や道徳的心情を基盤とし道徳的価値を実現しようとする意志の働きであり,
道徳的態度は,それらに裏付けられた具体的な道徳的行為への身構えと言うことができる。
すごく簡単にまとめると、善悪の判断がきちんとできて、道徳的価値が大切なものであることを感じていて、道徳的に価値ある行動を取ろうとする意志や身構えを付けていこうということになります。
・でも、小学生ぐらいの子どもであれば、善悪の判断は大抵間違えません。(人の物を取ってはいけない。人をたたいてはいけないといったことは子どもでもわかります。)
・道徳的価値の大切さも知っています。(物を大切にしないといけなかったり、ゲームの時間はほどほどにしないといけないということも知っています。)
・道徳的に価値ある行動を取ろうとする意志や身構えも親や学校での躾がしっかりとできていれば、ある程度は身についているでしょう。
では、道徳科の学習なんていらないのでは?ということになりそうです。
でも、大人も含めて(これを書いている私も)本当に道徳的な「判断力」「心情」「実践意欲」が身についているのでしょうか?
例えば、このような場合はどうでしょう。
とても礼儀正しい中学校の野球部の青年がいます。彼はグラウンドに入るときには必ず大きな声で、しっかりと頭をさげて一礼をしてから入ります。出るときにも必ずそのような礼は欠かしません。
そんな彼に聞いてみました。
「君の行動はとても素晴らしいね。どうしてそうしているの?」
「こうしないと監督に怒られて、試合に出してもらえないから。」
一見すると「判断力」「心情」「実践意欲」が身についているような彼ですが、彼が礼儀正しくする理由は監督に怒られるのが怖いことと、試合に出られなくなることです。
おそらく、これを聞いて、この子は本当に素晴らしい子だ。もう何も言うことはない。と言うことができるでしょうか。
ここでの礼儀(グラウンドへの一礼)というのは、本来、自分がプレイする場に対するリスペクト、共にプレイする仲間や監督に対するリスペクト、場所が使えるということに対する感謝など、といった意味があるはずです。
そのようないつも当たり前にやっているけど、それってどういう意味や目的があるのだろう?
そもそも、どうしてそんなマナーやルールがあるのだろう?
といった当たり前を疑って、「やっぱりそうだな。」「この理由だけだと、思っていたけど、実は他の理由もあったんだ。」といったように、自分なりの理由や価値観を身につけていくのが特別の教科道徳の学習です。
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