過剰なことでいいことない


1999年、僕らが生まれた年にこの地球は
ノストラダムスというかつてのペテン師の
「世界滅亡論」によって世界は滅ぶとされていた。
そんな年にそんなことを信じずに子作りに
せっせと励んだ僕らの親世代のおかげで
地球が終わる年のミレニアムベイビーとして
僕らがこの世界に生まれた。

そんな僕らが歳を重ねて22年。
僕らは来月から社会人になる。
新しい、厳しい世界に身を放り出される。
まるでライオンの親が我が子を谷に突き落とすように。
ガーブがルフィをジャングルに置いてけぼりにする様に。
可愛い我が子をうねり狂う大会に突き落とすように僕らは社会という危険で狂っている場所に放り出されるのだ。

怖い。知らない世界は怖い。
怖い。夢や希望を語れなくなるのが怖い。
怖い。夢や希望を持てなくなるかもしれない自分が容易に想像できてしまうのが怖い。

日々、テレビに映るアイドルや俳優、
映画監督、エグゼクティブプロデューサーという立派な肩書きを持っている人々も
悩みを抱えて生きているのだから、と
自分を鼓舞するのだが、それは人のことなのだ。

「よそはよそ。うちはうち。」
親世代にたくさん言われて来たこの言葉を
社会に対しても投げかけてやりたい。

誰かが頑張っているんだから。
誰かだってきついんだから。
みんながこんなにやってるのに。

違う。よそはよそ。うちはうちだ。
僕らは誰かのために頑張る前に自分のために
頑張るし、誰かのためじゃなく、自分のために
サボるし、甘えるし、笑うし、歌うし、泣く。

それが結果的に誰かのためになる。
それが一番理想だと思う。

ある大社長が言った。
彼はもうすでに成功しており、巨万の富を築いていた。しかし、まだ働き続ける。
なぜ、働くのかを聞かれたところ

「楽しいから」

楽しいから働く。嬉しいから働く。
そんな言葉を本気で心から吐ける日は
来るのだろうか。
仕事は楽しいものなのだ。

かつては水を飲むためには井戸に水を汲みに行く。飯を食べるために畑を耕し、タネを植え、収穫する。

成果と努力がわかりやすく直結していた。しかし、今はどうだろうか。働いても自分の利益に真っ直ぐにつながる訳じゃないから働く理由が見つからなくくなってしまった。
やりがいを失い、便利な暮らしを得た僕らは
本当に幸せなのだろうか。

便利になると余暇が増える。
余暇が増えると支出が増える。
支出が増えるともっと働かないといけなくなる。
もっと働くと便利が増える。
やりがいもなく、便利だけが増え続けてしまう。

余暇は労働で得た富を消費するだけの時間。
僕らは原始人に戻るしかないのかもしれない。

余暇が増えると心配事が増えるらしい。
僕が就活の時期、ちょうど実家の居酒屋は
緊急事態宣言で営業ができなかった。
その頃、僕の大変な状態を少し知っていた母は
不安に苛まれていたらしい。

やはり暇はよくない。
生きている意味がわからなくなるほどの
激務も良くないが。

いつだって、どんな状況だって
過剰な時でいいことはない。

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