【自然の郷ものがたり#11】親から子へと受け継がれた、 自由な意志と確かな地域愛【聞き書き】
屈斜路湖畔に佇む、可愛らしい三角屋根が特徴的な「SOMOKUYA」。ここは小樽市出身の土田祐也さんと埼玉県出身の春恵さんご夫婦が経営していているアウトドアガイドと雑貨販売のお店です。
二人がこの町にやってきたのは、今から約20年前のことでした。ガイドとして独立した祐也さんの仕事を春恵さんが手伝うことになり、それをきっかけに結婚。2009年に「SOMOKUYA」を立ち上げ、今では高校2年生になる渉介さんと、中学3年生の英恵さんの家族4人で暮らしています。
移住者として弟子屈にやってきた両親と、この町で生まれ育った子どもたち。それぞれにバックボーンは異なるものの、そこには共通する地域愛がありました。
※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「自然の郷ものがたり 2」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。
ユースホステルから始まった弟子屈での暮らし
—土田さんが弟子屈で暮らし始めたのは、いつ頃ですか?
祐也 僕が弟子屈に来たのは1998年で、最初はユースホステルのヘルパーとして働かせてもらっていました。もともとは大学院へ行くつもりだったんですけど、やっぱり勉強は向いてないなと思って。かと言って、まだ就職したくないという気持ちもあったんです。
そのときにぼんやり考えていたのが、大学時代にやっていたカヌーのことでした。いろんな本を読む中で、どうやら釧路川が素晴らしいロケーションだというのを知り、いつかは行ってみたいなと憧れていたんですよね。それで、親とケンカし、「1年間だけ行かせてほしい」ということでなんとか説得して弟子屈にやってきました。子どもたちの前で、こんな話をするのもアレなんですけど(笑)。
春恵 私が弟子屈に来たのは、旅好きな姉に誘われたのがきっかけでした。そのときにユースホステルに泊まったんですけど、オフシーズンだったこともあって、スタッフの方がヤマブドウを採りに連れて行ってくれたり、カヌーに乗せてくれたりしたんですよ。それがすごく楽しくて、何度も弟子屈に通うようになりました。その翌年に彼がユースのヘルパーになって、そこで出会ったという感じですね。
祐也 当時、僕はヘルパーをしながらガイドのトレーニングを受けて、カヌーツアーをやってたんです。でも、弟子屈にいるのは1年のつもりだったので、この先どうしようかなと思ってて。そしたら、ユースのオーナーさんから「カヌーの仕事を自分でやってみないか?」ってお話をいただいたんですよね。
僕としては1年間ガイドの仕事をやってみてすごく面白かったし、まだ若くて勢いもあったので、やらせてもらおうと思って。それで翌年から独立して、ガイドの仕事を始めました。
春恵 私は彼が独立した後に開催していたキャンプツアーに参加したんです。もともとは関東で就職してたんですけど、仕事を辞めてしばらくは大好きな弟子屈でふらふらしようかなと思ってたところだったんですよね。そんなことをしていたら、彼のところでスタッフが必要になったと聞いて、「じゃあ、ひと夏やってみようかな」ってことになって。結局は、そのまま居着いたような感じです。
祐也 なんか暴露大会になってきたね(笑)。
一同 (笑)。
—移住されてきたお二人は、地元の人との関係性をどのように築いていったのでしょうか?
祐也 ユースホステルのオーナーのご両親が、地元のつながりをとても大切にされている方だったんですよね。その方のおかげで僕らも空き家を借りることができたり、地域の方々とつながることができました。
小さな地域の特徴かもしれないですけど、結構地元の結びつきがあるんですよね。自治会の集まりもいろいろあるし、「焼き肉やるからおいでよ」って近所の方から誘ってもらうこともあって。そうやって移住してきたばかりの頃から、周りのみなさんに助けてもらって今までやってきました。
—弟子屈に根を下ろすことを決めたきっかけはあったのですか?
祐也 何か特別なきっかけがあったわけではないんですよね。移住者って、長年の思いを形にするべく、固い決意をもって人生をかけて移り住んでくるみたいなイメージなんですけど、僕はそういう感じではなくて。やってみたいこと、行きたい場所に向かってアクションを起こしたら運よく拾ってもらって、いただいたお話に乗っかってお仕事をさせてもらい、それがきっかけで出会った人と結婚して、勢いのまま家を建て、流れるままに今日まできただけなんです。
この町も人も好きだし、ガイドの仕事も楽しいので、別の場所で違うことをしたいとは思わなかったというか。
ガイドって案内した人に喜んでもらう仕事だと思うんですよ。僕は「誰かに喜んでもらう」のが好きなので、それが仕事になっているのがまず幸せだなと思っています。
「楽しかった」と直接言ってもらえるのはもちろん嬉しいですが、その場の空気やゲストの雰囲気から楽しさが伝わってくる瞬間があるんです。それって、自分がその空間全体の中でいいバランス役でいられたときなんですよね。山や川や草や木。鳥のさえずりや水の流れる音、森の匂い。自然のリズムとゲストの呼吸。瞬時に変わっていく状況の中で、ガイドとしての自分がなにをするべきか。言葉の量や質、声のトーンや間、距離感。
前に出て説明することもあれば、全然しゃべらないでちょっと引いてゲストを見ていることもあります。冗談を言うときもあれば真面目な話もする。ツアー全体を通じて足りない部分を補い、必要かどうか判断して調整する。その足し引きが参加メンバーの心地よさと上手くマッチしたときに、「今日はいいかたちでガイドができたな」と感じるんです。あまりうまくいかなかったなぁと思うときはしゃべりすぎてることが多いかな(笑)。程よくが難しいんですけどね。ゲストの表情や言葉遣いから伝わってくる柔らかい空気や雰囲気を感じられたときがとても嬉しいですね。
ツアーでなにを大事にするかには、ガイドの個性が出るんですよね。いろんなタイプのガイドさんがいて、いろんなガイドスタイルがあるので。だからこそ、僕たちはツアーの様子や仕事に対する思いなど情報発信して自分たちのカラーを出していく必要があるし、そこに興味をもって来てくれた人たちとのご縁を大切にしなきゃいけないと思っています。
—ガイドの仕事をしていく上で、阿寒摩周国立公園というフィールドについてはどう思われていますか?
祐也 ゲストの満足度が高く案内していて楽しいし、仕事のしがいがありますね。フィールドが豊かで、春夏秋冬それぞれの景色もある。そういう素晴らしい自然環境の中で暮らし、仕事ができることに感謝しています。この自然の中で全体の調和に重きを置いた生き方やガイドをしていきたいですね。
子どもたちが見据えるそれぞれの未来
—弟子屈で生まれ育った渉介さんは、地元に対してどんな思いをもっていますか?
渉介 弟子屈のことは好きですね。人も温かいし、景色もいいですし。都会じゃないっていうのが、結構大きいかもしれないです。都会は行くだけで疲れちゃうので。
小さい頃は、ずっと外で走り回ってました。小学校は1学年にひとりずつしかいなかったので、妹と2人で遊ぶことが多かったですね。あとは、カヌーに連れて行ってもらうこともありました。今は自分でカヌーもできるようになったし、自転車でツーリングするのも楽しいです。
—周りにもアウトドアが好きな友達は多いですか?
渉介 いや、ほとんどいなくて、普段はゲームをやってる友達が多いです。でも、友達と川下りをしたときに喜んでくれたのは嬉しかったですね。本当はもっとアウトドアをする人が増えてほしいので。
—将来はガイドの仕事に興味があるそうですね。お父さんが働いている姿を見てきた影響が大きかったのでしょうか?
渉介 それもありますし、やっぱり自然が好きなので。自然と触れ合いながら仕事ができるのはいいなって。今は弟子屈がいいと思ってますけど、いろんな土地を見てから、最終的に自分がガイドをやる場所を決めたいですね。最近は自然環境が破壊されたりしているので、そういうことも伝えられるようになれたらいいなと思ってます。
—渉介さんがガイドに興味をもっていることについて、祐也さんはどのように思っていますか?
祐也 いやまぁ、嬉しいですよね。押しつけはしてないつもりだけど、どこかで誘導してないといいなとは思いますが。
これは、彼にプレッシャーをかけるわけではないし、もちろん他の人でもいいんですが、僕としてはやっぱり次の世代が出てきてほしいんです。この地域から。この町にはガイドという職業があって、それで食べている大人がいるってことを認識してもらって、そこから「自分もなってみたい」という若者が出てきたら、ガイド業として持続可能なものになっていくんじゃないかと思うんです。他の地域から人が入ってくることも大事なんですけど、ガイドに興味をもつ人が地元から出てくるかどうかは、これからの重要な地域課題だと思っています。
弟子屈で生まれ育ち、弟子屈の自然を案内するって素敵ですよね。進学や就職でこの町を離れても、いつか戻ってきたくなる風景がある。地元でガイドの仕事に就く人が現れるというのは、町にとっても明るいニュースじゃないですか。外でいろんな経験を積んでから、地元に戻ってガイドの仕事をするという生き方は、若い人にとってひとつの道しるべになるかもしれません。
そういう人がひとりでも2人でも出てくれば、アウトドアガイドとしての事業は続いてきますし、このエリアの環境も守られていくはずです。だから、次の世代の人たちがガイドという仕事に興味をもってくれる状況をつくっていくのも、自分たちの世代の重要な役割だと思っています。
そしてこの素晴らしい環境を次につないでいくこと。場を荒らさない。もし変化に気づいたら、反省し元の姿に近づけるよう努力する。少しでもいい形でバトンが渡せたらいいなぁと。そういうことを今のガイドたちは率先してやっていく必要があると思うんですよね。
地球環境がものすごい勢いで変化する中で、若い世代の環境意識はものすごく高い。そんな彼らがこれからの自然とどう向き合っていくのか。ガイドという仕事がなにを求められ、どんなふうに変化を遂げていくのか。すごく楽しみな部分だし、なにか役に立てることがあれば嬉しいですね。
—英恵さんは、地元に対してどんな思いをもっていますか?
英恵 自然は好きだけど近くに友達が少ないので、私はちょっと都会に出てみたいと思ってます。高校は釧路や札幌に行くという同級生も多いんですよね。その影響もあるかもしれませんが、一度都会に出てみて、自然豊かな弟子屈の環境がどれだけいいものなのかを確かめてみたいなと思ってます。
—「都会に出てみたい」ということについて、ご両親はどう思われていますか?
春恵 一度は弟子屈を出てみたほうがいいんだろうなって思うし、都会の暮らしがよければそれを続けるのもいいと思ってます。そこは個人の選択なので。私も自由にしてきましたからね(笑)。
祐也 自分も含め憧れだけで終わる人が大半だと思うんですけど、そこに踏み出す準備をしてるのは凄いことだと思いますね。本人が行きたいっていうのはそれ相応の覚悟と考えがあってのことでしょうし、それをちゃんと自分で選択していくっていうのはなかなか大したものだなと。僕も親に反対されて弟子屈に行くのを諦めてたら後悔してたでしょうから、彼女が都会に出たいという気持ちも応援したいと思ってます。
町に支えられてきた土田家の現在地
—弟子屈での子育ては、ご両親にとってどういうものでしたか?
祐也 仕事柄、夏が忙しかったので、夏休みにはあまり遊びに連れて行けなかったんですよね。それは申し訳なかったなと思いつつ、自分たちができる範囲で遊びには行けたので、親としてやれることはやってこれたのかなって気もしています。
あとは、自分たちが動けないときに、地域の方々が自転車のツーリング企画(アドベンチャーツーリング)をやってくださったり、サッカー少年団の活動に参加させていただいたりもして。そういうのに参加させてもらえたのは感謝しかないですね。親が連れて行くのと、他の人と一緒に行くのとでは、経験としてもずいぶん違うでしょうし。
春恵 やっぱりもっと手をかけてあげたいって思うことは多々ありました。仕事を優先しちゃった部分もあったので、そこは申し訳なかった気持ちもあります。でも、立派にここまで成長してくれたので嬉しいです。近くで助けてくれた方々もいて、みんなに育ててもらった感覚があるので、本当に周りの環境には感謝しています。
—そう考えると、地域の方々にとっても渉介さんと英恵さんのことは他人事じゃないのかもしれないですね。
祐也 本当にそう思います。そういう意味でも弟子屈に来てよかったですね。
—渉介さんと英恵さんは、ご両親が忙しく働いている姿を、どんな気持ちで見ていましたか?
渉介 僕にとってはそれが普通だったので、別に嫌だとか寂しいとかは何も思わなかったです。夏は友達と遊んでたし、自転車旅に連れて行ってもらったりもしてたので。ガイドの仕事をしているときの親は常に楽しそうだったし、「楽しみながらできる仕事っていいな」って思ってました。
英恵 私も、いろんな人と触れあえて楽しそうな仕事だなと思って見てましたね。お客さんたちと話すのも楽しかったですし。
—では、最後にみなさんの展望を聞かせてください。これから、どんな暮らしをしていきたいと思っていますか?
祐也 いや、僕は特に何もないです(笑)。まぁ、今まで通りでやっていきたいですね。明確に何かしたいことがあるタイプではないので、とりあえずは今のスタンスを続けていくことかなと。基本は変わらず誰かのお役に立てれば嬉しいなと思ってます。それが今はカヌーやスノーシューなどのガイドですけど、もっと違うかたちになるかもしれないですし。
春恵 私は、今よりもっと自然に近い暮らしをしていきたいですね。畑で土をいじったりとか。自分が自然に入れば入るほど、仕事につながってくることもあったので、これからもそういう暮らしをしていきたいなと思っています。
渉介 僕はとりあえず大学を目指して、いろんな世界を見て、弟子屈をもっと活気づけられたらなと思っています。観光だけじゃなくて、ここに住む人が増えていったらいいなって。人口が増えて、人と人とのつながりが増えていけば、また新しい観光が生まれたりもしていくと思うので。
英恵 私は都会も見てみて、自分に合った生活を探したいと思います。生まれ育った弟子屈を出ていくことには少し不安もありますけど、外に行くのはすごく楽しみですね。
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