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【自然の郷ものがたり#18】弟子屈の自然を体験するアウトドアの拠点へ【聞き書き】

弟子屈町には豊かな自然を体感できるアクティビティが豊富にあります。この地で自然や町の魅力を、自転車を通して感じてもらいたいと活動を続けているのが、Okku Outdoor Challenge代表の奥村利之さん。

摩周湖や屈斜路湖、硫黄山など弟子屈町を代表する観光地を巡るサイクリングイベント「グランフォンド摩周」には開催当初から事務局として携わってきました。前職である教育委員会在職中は青少年健全育成事業を担当し、弟子屈町の子どもたちに「生きる力、生きぬく力」を育成したいと「てしかが冒険隊」を企画し、多くの子どもたちと関わり続けています。教育委員会在職中から現在の事業立ち上げまで、自転車事業にかける思いについて伺いました。

おくむら・としゆき/弟子屈町生まれ。釧路工業高校を卒業後、釧路市で就職。その後、弟子屈町に戻り、教育委員会非常勤職員を経て弟子屈町職員に採用、弟子屈町教育委員会社会教育課にて「アドベンチャーツーリング」など野外教育や冒険教育に取り組む。また、サイクリングイベント「グランフォンド摩周」の運営などサイクルツーリズム事業の推進に尽力する。町職員を早期退職後は、Okku Outdoor Challengeを起業、サイクルツーリズム事業を中心に町内のアウトドアガイドと連携した滞在型アウトドア体験ツアーづくりを進めている。

※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「自然の郷ものがたり 2」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。

仕事の環境が変わったことで、自然への価値観が変わった

小学生の頃は、学級行事などで屈斜路湖にキャンプに来ていましたね。でも弟子屈の自然について意識することなんてなかったです。だって、それが普通ですから……。摩周湖があるのも普通、屈斜路湖があるのも普通、弟子屈や川湯でも温泉があって入浴できる、それがごく普通なことなんですよ。

たまに親が「川湯に風呂入りに行くか」と連れて行ってくれてホテルの風呂に入ったりすることもありましたが、僕の目当ては風呂よりもゲームだったかな。屈斜路湖の砂湯近くにあった「いなせレジャーランド」にはジャングル風呂があって、当時はそれも楽しみでした。

中学2年生から本格的にバレーボールをやりはじめて、高校は全国大会を目指せる学校にと釧路工業高等学校を受験しました。3年間バレーボール部に所属してインターハイに出場することもできましたので、卒業時には実業団や大学から誘いもたくさんあったんですけど、なにか違うことがしたくて全部断り、釧路で働きました。

19か20歳の頃、縁あって弟子屈に戻り、教育委員会で職を得ることができました。仕事の内容は町営プールの監視員やスケートリンクの担当とかでしたね。26歳の頃には正職員に採用になりまして、農業委員会、文化センターなどいくつか係を異動した後、教育委員会生涯学習課(当時)に配属され、社会教育主事の資格をとらせていただきました。ここでの仕事は土日もなく、休みも少なかったけど楽しかったですね。

その間もバレーボールは続けていました。若いころは勝負ごとが大好きで、試合で勝てば満足、負けると悔しくてブーブー言ってましてね(笑)。38歳の頃、社会教育主事の先輩の勧めもあって、野外教育の世界へ足を踏み入れることになります。自然の中で活動を始めたら「どうして今まで自分はこんなに勝ち負けにこだわってきたんだろうなぁ?」って、自分が小さく思えたんです。すっかり価値観が変わりましたね。

こんな身近に、こんな広く素晴らしいところがたくさんあるんだから、これをなんとか社会教育活動に取り入れたい、人に伝えたいと思うようになりました。当時はカヌーや登山、トレッキングなどの体験を通して、「なにを感じ、なにを伝えられるか?」と自分が感じたことをとにかくたくさんポケットに詰め込みました。

自転車と取り入れ、自然を感じる体験を

その後、教育委員会で、青少年健全育成事業として「てしかが冒険隊」を企画しました。弟子屈町内を中心にした野外活動なんですが、当時は活動場所から次の場所までの移動は、バスを使っていたんです。でもこの乗車して移動している時間が、ただ座っているだけでもったいない。参加している子どもたちも寝ているかケンカしているかなんですよ。そんなときに、「移動に自転車を取り入れたらどうだろう」という意見があったんです。なるほど!と、そこから活動に自転車を取り入れるようになりました。自転車だとバスに乗車しているだけでは見えないものが見えるし、風や空気の匂いなども感じられる。それが自然からの醍醐味かなって思いましたね。

最初は子どもたちも「こんなに長い距離を自転車に乗るの?」と、そんな感じでした。でも自転車を取り入れて1年くらい経ったころ、子どもたちの中で火がついちゃった感じがあったんですね。「これだけ走れるんだ!」とか「自転車で走るのが楽しい」っていうことがわかってきたんじゃないかな。それからいろいろな事業の中に自転車を取り入れるようになりまして、そのうちその延長で、すべての移動を自転車のみにした企画を実施したんです。町内のみを旅する事業でしたが、走行距離は100キロを超えていましたね。

今振り返るとこれがアドベンチャーツーリングの原点になったと思います。2008年度、「てしかが冒険隊」のプログラムを通じて、「夏休みに自転車の旅をしよう!」という呼びかけを行い、そこからアドベンチャーツーリングの取り組みが本格的に始まったんです。

当時、子どもたちを取り巻く課題の中に「仲間作りができない」とか「自己肯定感が足りない」などがよく挙げられていて、これらが社会的課題と言われていたこともあったんですが、アドベンチャーツーリングを通じてこれらを解決していく糸口がつかめないだろうかと考えました。この取り組みは、子どもたちが自ら旅のコースを決めるのが特徴なんです。

ルートだけでなく、キャンプ地の選定、決められた予算の中での食事の計画や体験活動の選定、みんなで楽しく旅を達成できるようなグループ分けなどすべて、子どもたち自身で計画を立てていく。でもなにしろ、話し合いも活動も主体となるのは子どもたちですから、僕ら運営するスタッフは、口を出さずにじぃーっと見守るだけ。おかげでスタッフも忍耐力がつきましたね(笑)!

これまで子どもたちにはいろいろなところに旅に連れて行ってもらいました。一番長い旅だったのは、旭川市の旭山動物園をスタートして、オホーツクの紋別市を経由して弟子屈町の公民館にゴールするという、360キロ、9泊10日が最高かな。大人の感覚では、自転車で数十キロの走行や連日の野外生活などで子どもたちが大変なのではないかと想像すると思いますが、ぜんぜんへっちゃらなんですね。それより「自分たちが決めたことなのでやり遂げたい」と思っていたはず。だからゴールした時にはみんな日焼けして、たくましい、達成感にあふれた顔つきになっているんです。その顔を見られるのが、毎年楽しみでしたね。

巣立っていった弟子屈の子供たち

弟子屈の子どもたちには、生きる力、生きぬく力を備えてほしいんです。自分のことは自分でできて、自ら挑戦できる。自ら切り開いていける。そのために大切なのは、日々の体験の量だと思います。普段の生活から得られるものもあるだろうし、親から培われるものもあるだろうし、地域の人たちから教えてもらうこともありますよね。僕は、教育委員会として行政の立場で、それから未来こども協議会や地域こども会の立場で、参加してくれる子どもたちに活動を通して伝えたいという思いで、アドベンチャーツーリングを行なってこられたんだと思いますね。

子どもたちはいろいろな体験を通じて、勝手に自分のものにしていけるんじゃないかな。それが教育だと思うんですよね。経験を活かすのは子どもたち。いつそれが実るかなんてわからないじゃないですか。だから、大人は子どもたちがいつか使えるようにポケットの中身をいろいろな経験でいっぱいにしてあげることが大事なんです。たとえば、活動でご飯を作ったから家で炊事の手伝いをしてくれるようになったとか、これまで自分で服を着られなかった子が自分で着られるようになったとかですかね。

長いことやっていると、参加してくれた子どもたちが成長した姿も見られます。調理師免許を取得してシェフを目指している子がいたり、インターハイ出場して大学では全日本級で頑張っている子がいたり、パティシエを目指して東京で修行している子もいますね。みんな自分の道を切り拓いていっています。だから今でも、彼ら彼女らが帰省したときには一緒に食事をするんですけど、そのときには必ずアドベンチャーツーリングの思い出話になります。まあ、内容は失敗談とスタッフに頭にきた話が多いですけどね。でもそんな話をしていても、必ずみんなが言ってくれるのは、「あのときは本当に辛かったけど、頑張ったのが今、活かされているんだよな」って。「そんなことないべーやぁ」と言うんだけど、やっぱりそれはすごく嬉しいですね。

未来に向けてアウトドアの拠点を作る

子どもに向けた取り組みだけでなく、2013年にはサイクリングイベントの「グランフォンド摩周」の立ち上げにも携わりました。当時事務局を務めていた摩周サイクリング協会にイベント開催の話があり、協会の中で「開催してみよう!」と決まったんです。でもなんのノウハウもなく、すべてが手探り状態の中での開催でした。第1回目は108人から参加申込がありまして、なんとかスタートしたのですがトラブル続きでバタバタでしたね。参加者全員がゴールしたときには、ほっとした記憶があります。

ここ2年はコロナで中止になっていますが、2年前の参加者が延べ320名くらいかな。町内外の方々に支えていただきながら開催しています。弟子屈町は自転車人口が少ないから「自転車の町」という意識はあまりないと思います。ただ、若干ですが増えているのは間違いないですね。少人数ですがね。

2019年に、町役場を早期退職しました。自分が50代後半になって老後を考えたとき、このままでいいのかなって思うことが多くなったんですよ。ただ、老いていくのかなぁ~って。それだったら少し早く退職して、準備して、今までやってきたことを続けていったほうが楽しいんじゃないかって。自由人的な感覚だよね。その時点では、ぼやっと、なんとなくだけど、サイクルツーリズムの推進をしたいな、なんとかしたいな~という気持ちもありましたね。

ガイドという仕事は正直甘くないと感じています。でも、楽しさはあるね。知らない人と触れ合えるっていう楽しさと、その人からいろんなことを学んだり、ネットワークが広がったりっていうのが自分の宝なので、やってみてよかったって思いますね。アドベンチャーツーリングも2年間コロナでできなかったけど、「やってほしい」っていう子どもたちもいるので来年からまたなんとか実施できればと、今いろいろな方法を考えているところです。

それと町内のガイドの人たちとの連携も考えています。何ができるかっていうのは模索中ですが、例えばカヌーをメインに移動を自転車にするとか、自転車で移動して登山するとかね。自転車で移動して摩周湖や硫黄山の解説ができるガイドさんにバトンタッチするような、それぞれの専門性を生かした連携型のツアーっていいなと思っているんです。

現在はe-BIKE(電動アシスト付自転車)の普及によって、自転車に乗れれば、美幌峠や藻琴峠、摩周にも楽々行けるんです。移動の幅も広がっているし、より、弟子屈町の自然を満喫できると思うんですよね。

僕の立ち上げた事業所の名前はOkku Outdoor Challengeという名なんですよ。そこには、自転車とかサイクルとかは入っていないんです。自分は弟子屈の自然環境は最高だと思っているし、野外教育・冒険教育が大好き。だから弟子屈をアウトドアの拠点にしたいという思いがありますね。

だけど、そんな大きなこと、自分一人でできるものではないですよ。だから、いろいろな人が集まってくれて、いろいろなネットワークの中で弟子屈の観光が盛り上がっていけばいいなって。みんなでやって、どうする、こうする、って話して楽しみながらできて、その結果として何年か後にでも成果が出たら、最高じゃないですか。自分はそれでいいと思うんです。

取材・執筆:吉田拓実
撮影:中道智大



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