算命学余話 #U74「己の実りを考える」/バックナンバー
前回の余話では曲財局を挙げて、ギャンブル依存を誘発する要因を命式と環境の両面から考えてみました。曲財局はヨコ線の相剋関係が特徴でしたが、これがもしタテ線の場合はまた別の局法に該当し、意味合いも異なってきます。いずれにしても宿命だけでは「必ずこうなる」と断定することはできず、その先天因子が症状となって発現するためには環境要因、つまりその人がどのように生きて来たか、人間関係やそれまでの価値観が決め手となってきます。
繰り返しますが、宿命と運命は違います。宿命は生年月日のことなので死ぬまで変わりませんが、運命はその字の如く「命式の運動」のことなので、どう運動するかは生き方次第でいくらでも変えられます。努力をすれば当然しない人より向上しますし、得意な分野なら尚更伸ばしやすい。苦手な分野なら人一倍の努力をして点数を上げるか、いっそ分野ごと切り捨てて得意分野にのみ注力するという選択もありえます。得意・不得意は宿命に書いてありますが、その得意を磨くか放置するか、不得意を克服するか切り捨てるかまでは書いてありません。それは本人が実生活の中で取捨選択して進む道のりのことだからです。
毎度同じ主張になりますが、宿命だけみて自分はこうだと断定する人は賢くありません。そんな単純に人の人生を判別できると思っている時点でアウトです。それが恋に恋する年頃の乙女の自己陶酔ならまだ可愛げもありますが、いい歳した大人がこの程度の人間認識だとすればお粗末としか言いようがなく、そんな大人が子供をつくって育てる社会の未来は暗いです。
占いが一般に眉を顰められる社会は、そういう意味では健全です。算命学は確かに宿命を中心に運勢を占う技術ですが、それだけを見ているのではなく、依頼人の現在までの履歴を訊ねてそれと宿命を照合し、どの分野が伸びたのか、どの能力が錆びついたのかを炙り出した上で鑑定しています。従って、現実に生きている依頼人が年齢相応に成長を遂げているか、命式の消化を年齢相応にこなしているかを見極める目が必要で、そうした目を同じく年齢相応かそれ以上に養っていることもまた、鑑定者としての必須条件になるわけです。端的に云えば「常識」を備えていることが不可欠です。
「算命学余話」は鑑定者を志す中級レベルの学習者向けに書かれた読み物ですが、鑑定者に求められる技術と能力については、今後も思いつく度に繰り返し語って参ります。宿命だけですべてが判る、的確な助言ができるという認識は大変危険です。誤った助言は「返し」があるので鑑定者本人の寿命にも影響しかねません。くれぐれも宿命と運勢の違いは正しく把握して下さい。
さて今回のテーマはやや基礎的な内容です。自然思想を基に組み上げられている算命学では、宿命を自然風景に置き換えると判りやすく、私はそれをそのまま「あなたの山水画」として描写する作業を請け負っています。このお絵かきをただの遊びと考えても構いませんが、それは無料鑑定の範囲だからであって、有料鑑定に進むともっと細かく風景の意味を探る作業となります。その作業に時間と労力が必要なので有料としているのです。
算命学陰占は十干十二支の組合せ全60種、これを年・月・日の三本柱に並べて60×60×60通りの命式を用意しています。これだけの数の命式を丸暗記するなど到底できませんし、そんな勉強法など誰も勧めません。ではどうやっているかというと、十干も十二支も五行で成り立っているので、五行=木火土金水の風景に置き換えて、それが自然に則しているか、自然が穏やかか、荒れ狂っているか、等を判断しているのです。
今回は木火土金水のうちの土性の陰である己(きど)を例に挙げて、己を日干とする宿命とその下に来る日支との組合せを論じながら、自然の風景に置き換えることで命式を読み解く技術について考えてみます。なぜ己を選んだかというと、陽土の戊(ぼど)が山岳を表すのに対し、己は田園を表し、その性質は作物を実らせることだからです。この場合の実りとは即ち人生で積み上げた成果のことですから、己を日干とする人の命式は人生の充実度や結果を出せるかどうかが比較的判りやすいのです。
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