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算命学余話 #U77「宿命消化と内なる声」/バックナンバー

 宮本常一という古い民族学者が著した日本人の民俗誌集『忘れられた日本人』には、実に興味深い記述があります。戦後の農地解放で農村の土地をどう処理・分配するか村民が集まって議論していたところ、誰もが自己主張を声高にするのでなかなか決まらない。すると老人が出て来てこう言うのです。

「皆さん、とにかく誰もいないところで、たった一人暗夜に胸に手を置いて、私は少しも悪いことはしておらん、私の親も正しかった、私の祖父も正しかった、私の家の土地は少しの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきり言い切れる人がありましたら申し出て下さい」。すると今まで強く自己主張していた人が皆口をつぐんでしまった。それから話が行き詰ると「暗夜胸に手を置いて…」と切り出すと大抵話の糸口が見出されたという。

 実に日本人らしい正直な、痛快な話ではありませんか。こうした役割を担った村の老人によれば、「人間一人一人をとって見れば、正しいことばかりはしておらん。人間三代の間には必ず悪いことをしているものです。お互いに譲り合うところがなくてはいけぬ」だそうです。戦後間もない頃の日本の農村にはこうした知恵がどこでも普通にあったのに、戦後七十年の我々は自分の権利ばかり主張することに慣れ、自己を顧みて譲り合うという賢い伝統を失いつつあるようです。それでも外国人から見れば日本人は飛び抜けて謙虚で優しいと評価されていますから、世界のスタンダードがいかにシワいものか自ずと知れるというものです。

 この話で注目したいのは、「人間は正しいことばかりはしていない」「三代の間には必ず悪いことをしているものだ」という部分です。こういう意味深なくだりは算命学学習者には見逃してほしくありません。これはまさに算命学が語るところの人間の真実の姿です。なぜなら陰陽五行でできたこの世界に住む人間は、陰だけとか陽だけとかの世界に生きることはできないからです。また同時に、本人のなす行為もまた、生涯いい事ばかりとか悪い事ばかりというわけにはいかない。そんな人生はどこにも存在しないのです。

 前回の余話では「宿命消化の優先順位」と題して一般的な宿命消化の順番と、宿命中殺の場合とを取り上げてみました。しかしこれだけだとかなり大雑把なので、少し補足すると共に、宿命消化とは一体何であるか、宿命消化をしないとどうなるのかといった、根本的な部分に光を当ててみたいと思います。
 このテーマは非常に奥が深く、また広範な技術にまたがる理論に係わるので、余話のような短い読み物では到底語り尽くせず、ほんの一部の紹介となります。それでも算命学の知識の浅い人にとってはいらぬ誤解を招きかねないテーマなので、意識の高い読者を見込んで守護神の回と同様の購読料とさせて頂きます。予めご了承下さい。
 参考までに、余話#U54~55をお読みの方は、そこで論じた十二大従星の陰陽や陰転陽転についてのメカニズムをおさらいされると、話が判りやすいかと思います。陰転陽転については十大主星についてもあるのですが、便宜上今回も十二大従星の話に限ってお話します。

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