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ゲームセット

いやいや、笑っている場合ではない。ジタバタとボクは疎遠になっていた幼なじみにすがるような思いで助けを求めた。それぞれ別の高校に通っていた彼らは幼少を一緒に過ごして来たくせに、どういう訳だか結構出来がいい。もちろんボクが遊びほうけている間に机に向かっていたのだから「どういう訳」も「こういう訳」もない。

とにかく彼らに言い訳がましくこの難局をとうとうと訴えた。しばらく沈黙があった後、ひとりが鼻で笑うように「アホか」と。

解釈しようによっては身も蓋もないその言葉に、どれだけ救われた気になったのか知れない。その一言を皮切りに、こっぴどく説教され懺悔も一通り済せた後、絞り出すように「で?どないしょ?」とボクは尋ねた。すると皆が口をそろえて「勉強するしかないやん」と。。。

いやはや、ボクはこの時一体何を期待して尋ねたのか謎だが、彼らの言葉どおり逃げ道などは無く現実の問題はそう言うことで、ほとんど赤点しか獲れないオツムのボクに「そら無理やわ」と抗いようもなく、もう腹をくくるしかなかった。がしかし問題がひとつ。ボクをひとりにすると「どうせサボるに違いない」ということで皆の意見が一致した。

さすが幼少期を共にした仲間だ、よく分かっている。そこで、学期末に向けそれぞれの得意科目をボクにマンツーマンで叩き込んでくれる事と相成った。ボクの迷惑は昔からもう慣れっこになっていたのかも知れないが、彼らは嫌な顔ひとつせず、その日から来る日も来る日も交代で教えてくれた。嗚呼、ありがたい。

「タンベ(煙草)ハナ(一本)クッソ(くださいな)」そう言いながら手を伸ばそうとすると、真剣に怒られた。皆がまるで調教師のように厳しかった。だけど、何故かその厳しさに心地良い懐かしさを覚える。そう、むかし心斎橋そごうで迷子になった時、見つけてくれた母親に叱られながら味わった安堵感のようなものと似ている。

もうジタバタできない、まさに崖っぷち。やれるだけやってやろうじゃないか、エイエイオー!と、まぁ、九回裏10対ゼロの打席にたっている気分のまま、ケセラセラと未踏の地へと踏み出したのはいいが、どこからともなく漂い始めた金木犀の甘い香りに浸っていると、一時間もたたないうちに睡魔が襲う。

ふと、十年程まえ居眠りの中で嗅いでいた鍵盤のオイルの匂いが蘇る。「ようやく帰ってきた」そんな気がした。


***


いつの頃からだろう。鍵盤を叩きながら前触れもなくスッポリ削がれた記憶が突然に蘇り、とても不思議な気分になる事がある。

それは学校帰りの遠くにある風景の一部だったり、カラカラと笑っている友達の髪形だったり、彼女のシャープペンシルを握る指先だったり、あるいは自転車で走っている時に流れたセンターラインだったり、夏休みに鳴っていた不規則な風鈴の音だったり、いつか立った事のある交差点の点滅信号だったり、一見何の役にも立ちそうにない通り過ぎてしまうだけの記憶の断片が、匂いを帯びて現れる。

まるで自身を追体験するような感覚だが、けっして言語化できないフラッシュバックのような記憶なんだ。つまり16の頃のボクといえば、おぼつかない他者との関係に対して、どこか傍観者になることで身を守っていたのかも知れない。成績がどうであろうが、いつもヘラヘラとしていたのも頷ける。

そんなボクにあの時あきれることなく「ここにいても良いよ」と関わり続けてくれた人たちには、いくら感謝してもしきれないと思っている。ただ同時に彼らもまた同じ様にボクを必要としてくれていたに違いない。

同じ価値観、同じ主義、同じ毛色ばかりでは互いの成長が望めない事は、定規で引いたように人工的な街でしがらみ無く育ったボクらには逆によく分かる。君がそうするならボクはこうするよってな具合で、不服従なバランスが保たれていたに違いない。「居心地の良い場所」とはだいたいそんな感じじゃないだろうか。

あれから何年経ったんだろう?ボクは相も変わらず周りに迷惑をかけている。でもそれでも良いと思っている。この感じを例えて言うなら、88個ある鍵盤上へ右手クスリ指ひとつ加えるだけで劇的にコード感が変わるように、他人と繋がり合うルートの中で少しでも音色を深めたいと、好きな不協和音を奏でるため頑張っているとでも言っておこう。

そろそろどうだろう?半音だけでもいいから、立ち位置を変えてみるのも良いかもしれない。そうすれば、あの「九回裏」に待っていた学期末試験で、エッシャーの螺旋階段から抜け出したように、未踏の地(※)をまた拝めるのかも知れない。

その時には是非「ここにいても良いよ」と言って欲しい。


【おしまい】



※ 満点は一教科だけでしたが、その他の教科が85点以上だった事と補習授業や多くの教師達の温情でなんとか進級しその後無事に卒業できました。

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