ごみと自立と循環と。
少し前に『ザ・メンタルモデル』という本に出会って、そこからまた自分自身と向き合う時期に今入っている。
刺さる人には刺さるし、そうでない人には全く、という類の本なので手放しでおすすめはできないけれど、個人的には今の自分が出会うべくして出会った一冊なのかな、と感じている。
ずっと自立したくて、一人で生きていけるようになりたくて、独身でマンションを買ったり、なんとか生きていけるための仕事のスキルを身につけることに一生懸命だった、30代。人と深く関わることを避けて、恋愛でも友達でも、自分の一番深いところが傷つきそうになると自分からバッサリと関係を切っていった。そうやって失った人が何人かいるし、それも仕方のないことだと思っていた。
先月、ひょんなことから“ごみ清掃芸人”として活躍されているマシンガンズの滝沢さんという芸人さんにごみ収集や分別についてインタビューをさせてもらい、インタビューの準備のために滝沢さんの著書を何冊か読み、ごみについて初めて真剣に考えることになった。
マンションのごみ捨て場にごみを持って行った後のことを私は今まで全く考えたことがなかった。もちろん道で清掃車を見かけることはあったし、そういう仕事の人がごみを回収してくれているということは頭では分かっていたけれど、私が出したごみは、出した後は私の世界からはきれいに消えていたんだと思う。
滝沢さんのお話を聞き、当たり前だけどごみを出した先には回収してくれる人がいることを知った。そして回収されたごみがその後どうなるのかがだんだんと気になってきて、ネットで調べたら清掃工場が個人向けに見学会を開いていることを知り、今日、渋谷清掃工場の見学に一人で行ってきた。
回収されたごみは集められて均一に混ぜられて、超高温の焼却炉で焼却されて灰になる。灰になったごみは埋立地に運ばれて埋められる。一部はセメントなどの原料に再利用される。焼却時に出る熱エネルギーは電気に変換?されて、清掃工場の電力として活用したり、余った電力は売却しているそう。ペットボトルやプラスチック容器などの資源は燃えるごみとして出されると灰になるしかないけれど、資源として分別されればリサイクルされて何かに生まれ変わることができる、etc…。
突然なぜごみというテーマに惹かれるのか、自分でも不思議に思っている。たぶん、繋がっているところに惹かれているんだと思う。
自分の出したごみを誰かが回収してくれてそれを誰かが焼却したりリサイクルしてくれて、何かに生まれ変わったりただ灰になったりする。私の狭い想像力では一人前に自立して生きてる気になってたけれど、ごみひとつ取っても一人じゃ全然何もできなくて、大きな大きなサイクル、循環の中に小さな私がいて、そういう流れ、ダイナミズムみたいなものに、自分の中のどこかが共鳴しているような気がしている。
一人じゃなんにもできなくて、でも一人でなんとかしなくてもいいんじゃないかな、と思ったら、ずいぶんと気が楽になった。私ができるささやかなことを、この大きな循環の中で何かのために、誰かのために生かすことができたなら、それが私の生きている実感になるんだと思う。