ヒトが進化成長する仕組み
このマガジンのスタートから2年。紆余曲折あったけれど、前回「読む人に何らかの揺らぎを起こすこと」がマガジンの目的だと整理できてスッキリしたライター古澤。
読む人に何らかの揺らぎを起こせばOKと考えたら自由に伸び伸びと書ける…と、何ともいえない心の広がりも感じました。
ところが、すぐさま頭の中で声が響いたのです。
「自由に伸び伸びと書くって、ちょっと無責任じゃない?」
え、そう?
「そうだよ。大勢の人に向かって書くって、責任があるんだよ」
もちろん、それはわかっているつもりだけど…。
「たとえば、うつで苦しんでいる人が、『自分のコンフォートゾーンを抜けるチャレンジをしましょう』なんて読んだら追い込まれてしまうでしょう?」
う、うん…でも、今まさに挑戦するための一押しがほしい人が読むかもしれないよね? あらゆる状況の人にフィットすることを書こうとするのはさすがに難しい、というか不可能じゃ?
「でも、だからこそ、いろんな人が読む可能性を考え尽くして書くってことが大事なの!」
そ、そうなの?
「そうだよ。プロとアマチュアの違いはそこ!」
…プロであることにこだわる必要はあるの?
「えっ!?」
自由に書いていいって言われているのに?
「そ、そうだけど…」
そもそもさぁ、あなたがいうアマチュアの人たちこそとんでもない数のフォロワーがいて、すごく読まれていたりするよね?
「か、数の問題じゃないの!質よ、質!責任を持って書くってことが大事なの!!!」
これまでと違う視点こそ受け入れてみる
勘のよい皆さんはもうおわかりかもしれません。私の頭の中で響いていた声は、固定観念という名のフィルターです。
たまたま筆者の例になりましたが、ある程度キャリアを積んだ人であれば、多かれ少なかれ似たようなフィルターを持っているかもしれません。
プロとして長年やってきた、しかも、そのやり方である程度実績も出してきたという自負。
もちろん、自負する気持ちがあることは素晴らしいことです。
しかし、自負と高慢は紙一重でもあります。
もちろん、高慢であってもいいといえばいいのです。
ただ、高慢でいると、自分の今持っている考え以外の視点をインプットする機会は激減します。
インプット・プロセス・アウトプット(知覚行為循環)という生命のシステムの仕組みで見ると、インプットの視点が多様で豊かであるほどアウトプットに変化が起こって進化成長が促されます。
つまり、高慢は進化成長にとってはありがたくない状態なのです。
それでも、若いうちはそもそも経験値が少なくてインプットの視点が圧倒的に少ないから、大げさに言えば生きているだけで新しい視点を獲得できます。
でも、年齢を重ねていくと、知らず知らずのうちに、自分が蓄積してきた知識・経験という視点に固執しがちになるんです。
それはヒトが備えるごく自然な仕組みでもあるのですが、だからこそそれを自覚して、あえてこれまでと違う視点を入れることができるか?
時として知識や経験は固定観念となって新しい視点を入れることを妨げていることにどれだけ意識的であれるか?
年齢を経てもなお進化成長する人と、そうでない人の差はそこにあるのではないでしょうか。
異なる視点を入れるために大事なこと
では、新しい視点をインプットするとは、どういうことでしょうか。
筆者の例でいうと、「無責任に書きたいことを書く」ことを頭の中で“あり”にすればいいと言えますが、それだけではインプットを変える力としては少し弱いんです。
できれば、その新しい視点に立って、小さなことでいいから、何か一つ実践してみる。
すると、その新しい視点は体の情報までを含めたより大掛かりな新インプットとなるので、そのぶん、アウトプットが大きく変わる可能性が高くなるんですね。
ただ、その際に知っておきたいのは、インプットを大きく変えるほど揺らぎも大きくなるということ。
つまり、インプットを変えた後は、しばらくの間、不安定な感覚、嫌な感じ、違和感が出てくるものなのです。
でも、それは、新しいインプット情報を脳がプロセスして新たに最適なバランスを構築しようとする神経ネットワークの働きゆえ。
だから、新しいインプットのせいで調子が悪くなったと早急に是非を判断せず、しばらく様子を見るくらいの余裕を持てるのが理想です。
余裕を持つためには、生命のシステムはいつだって自分がインプットした情報に基づいてベストなアウトプットを出すようにできているという仕組みを知っておくこと、そして、その仕組みを信頼することも大事になってくるでしょう。
信頼するということは、何があってもベスト(自分はもちろん周りの環境も含めてのベスト)が起こっているという前提を持つことと同じ。
ヒトの脳は前提にのっとって出来事を解釈しますから、実際に“確かにベストかも”と感じながら進化成長をしていく、そんな世にも楽しいプロセスが待っています。