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文から音、そして自主制作を目指して
※個人の目標です。
はじまり
ずっと悩みの種は何だと思っていたら「文章」でした。
考えてみれば読書も昔は好きだったのですが「売れる物語」というのをもう何十年も買うしかなくて飽きるようになりました。
というのも小明さんの「アイドル墜落日記」を読んでから他の書物が霞んで見えるようになりました。
「読書はやっぱり娯楽だな。」
と考えてしまったのです。
昔から「純文学を読んでる方が偉くてライトノベルは糞だ。」
または
「両方読んで速読出来る俺(私)凄い。」
というタイプがいて苦手になりました。
その後に「あの本のエロさは具体的なんだよ!」と楽しそうに手で形を作る人を見てそっちの方が聞いていると面白そうだったのですが間違って過激なBLを女子友達から借りて男子同級生に見られたんですよ。
「それ凄いエロいヤツじゃない?」
とだけ察したのに優しく言ってくれた男子友達には感謝している。
そして多分私は何か間違えている。
音楽の世界へ
それから私はジブリ版ゲド戦記の主題歌が気になっていました。
理由は恥ずかしいのでやめておきますが初めてCDを買おうと思ったのです。
漫画とか長編小説(※例えばハリーポッター)はいつ終わるか分からないしお金もかかるのでケチってました。
でもゲド戦記の主題歌を買って聞いていました。
思い出フィルターがかかると思うじゃないですか?
違うんですよねえ。
自分の場合は。
それからアニソンやゲームを取り扱っている店に言って好きだったコンテンツのキャラソンを買って音楽を好きになりました。
カラオケにも初めて行くようになったのもそれ程昔ではなかったので。
その過去を思い出しました。
授業中に夢中で読んでいた「神様家族」もほぼ内容を覚えていないのに周りの目を気にしなかった「勝利感」だけしか記憶に無いのに、キャラソンは今でも聞いております。
読書も好きは好きでしたけどどちらかと言えば漫画が好きで、
「金もかからないし想像力を養う為に読まなければ。」
という使命感だけで楽しんでいましたね。
涼宮ハルヒで朝倉涼子にハマった話を誰かにしたら「最終兵器彼女の実写版の悪口」で新たな世界を知ったのは幸か不幸か。
ここまで書いて私は
「文系統は普通の趣味」
という事が発覚。
しかも私が選ぶ本はメジャーからは全く逸れたものでした。
何故なら!
「メジャーモノは後からハマれる。」
「私は、人の少ないジャンルを進んで好むの。」
という趣味で生きているのでお笑い以外は流行を取り入れないようにしていました。
音楽にハマった時はもう流行りとかそういうのが特にありませんでした。
その時に思い出すのは亀田三兄弟の長男が謝罪会見をしていた場面と朝青龍氏の破天荒ぶりとFF1GBAリメイクでカオスを倒した事だけ。
他の思い出は既に友人だった相手に打ち明けた。
現実
バンドを組むのも苦手ですし、歌は自信の有無関わらず人前でやる時は閉じる方向と決めていました。
楽器に手を出したかったのですが値段も敷居も高くて泣く泣く諦めていました。
だからカラオケが好きなのでしょう。
採点システムに拘っていたのに今じゃ、採点無しが当たり前になっておりますが。
サブスク化まで達成したアーティストに感動したというのもあります。
昔から文学者は苦手です。
ハイパーメディアクリエイターの方がキャラ立っていて好きでしたし。
読書は低コストだから好きなだけで偉そうな上から目線の啓発本やHSPだかなんだか分からない本にポンッと二千円払うのも個人的に違います。
ですが自分の作品に取り入れられそうなら自伝もインフルエンサーの抱き合わせ本も受けることは永遠にない資格の本すら買う時はある。
読書は新たな縁を探す為の手段になりました。
好きな人には申し訳有りませんが、司馬遼太郎さんやその系統も好きにはなれません。
内田百閒さんの鉄道に対する想いだけで充分です。
文章を馬鹿にしている訳ではなくて時代を振り返ると自分の中では違った趣味ということになります。
(※それでもノベルゲーム、キャラゲー、歴史書物、私小説、ドキドキ!文芸部、小明さんの本、図鑑等は好み)
やはり格闘技とプロレス、映画とお笑い、ドラマと音楽がメインでその先にゲームやF1等があります。
他はマニアック過ぎて言えません。
耳コピに憧れているのですが、そこは保留にしてまずは弾けそうな曲を探したいと思います。
歌詞を書くのも小説や短歌、俳句と同じハードルの高さはあります。
こうして考えると絵もまた頑張りたいなあ。
コミュニケーションツールとしてではなく自分らしく、この世の生き辛さと共存していく葛藤を遺したいから。
それに目的はまた変わっていく。
文章も馬鹿にしているつもりもないですし、練習致します。
一つだけとかもっと多くとか、そういう事ではなくて自分の人生でやってみたいこと。
今は下手でも何もやらなかった頃よりは遥かに違うと絵で経験しましたし。
相手がいるから練習出来る事も知った。
今後も
独り善がりに生きる目的で消費をするのも、生産的な事をするのも経験した。
それも自分の夢でも目的ではなく、ただの妥協だった。
拙くても作品は創っていきたい。
そこで繋がりがあれば、文だけの孤高の世界よりも広くて、自分の知らない世界があるかもしれません。
映画関係やお笑い関係、音楽関係の集まりには昔から憧れています。
なぜなら、
「一人だけで生きてきた訳では無い苦労と食えなかった苦労も知っている」
から!
独り善がりの芸術を投稿系のサイトで思い上がるなんて、虚しいだけと知ったので。
(※自分が投稿している場合で他者の事ではありません。悪しからず)
自分の中で課題は多いですし、この社会で強いられて動いている場面もあるかもしれません。
それでも自分がこうして生きてこれたのは何だったのか。
出来ることでやっていくことなのか。
搾取ではないのは確定。
叶わなくてもいい。
いや、叶えてみたい。
死ぬ前にやってみたいことなら。