スカシカシパンから思い出す現実
(※内容が暗すぎるので界王様風でナレーション。
BGMはZのブウ編か超で)
釣ールはnoteを始めて一年が経過した。
「創作意欲も消えたし、長年の対立も決着が着いた。
そしてその場面も記憶。
もう思い残す事は無いのに、暮らしはまだ続くか。」
疑問に感じていた幸せも理不尽も味わい、幾つかの作品として記録した日々も波に飲まれるように過去となる生活が待っていた。
それを地獄への誘いと捉えていた釣ールは、残り少ない時間で新たな発見と開進を繰り返す事を誓う。
「再び怪奇に戻るか。
それともずっと同じ事を繰り返していただけだったのかな?」
何処にいてもひたすら孤独だと悟ったものの、宙ぶらりんな欲望と虚ろな日々に一喜一憂するリアルへ抗い、凹み、そして仮説を実証していくのだった。
(アバンが流れたあと)本編
自分が産まれてすぐに出会った海の想い出の始まりは「スカシカシパン」でした。
何を隠そうこのアイコンもモチーフはスカシカシパン。
海煎餅とか正式名称を知らなかったので海辺で又聞きしながら覚えた生物をだいぶ後に図鑑で知った。
今は引用ができるので使用してみます。
ウニに似てるとはちょっと思っていましたが仲間だったとは。
(※その供述も引用させて頂きます。)
海辺の面白さって海水浴だけじゃないと常々考えております。
貝殻や流れている木に物。
子供の頃は海辺を走ってるだけで楽しかった。
泳げなくて浮き輪を使って、海で流されないように見張られながら浮かぶのが私の人生で唯一の楽しみだったのに、周囲の人達が海で泳ぎまくっているのをみて無理な事を挑戦してしまった。
怪我があったわけでもなく、海水浴で泳ぐのも悪くないのですが違うのです。
何故なら泳ぐのならプールでできるから。
潜水はプールでは禁止されているので子供の頃はよく海の中を潜っておりました。
潮の流れが早すぎる海で波にさらわれて死にかけた事もありました。
生還してよかったのかなあ…
あ、それは置いといて危険だと分かっていたから泳がなかった過去もあったのに泳げてしまった事実があって今なら浮かぶだけでいいと割り切れる。
どうせなら脚も吊らずに優雅に泳いでいつのまにか眠りにつきたいとすら考える。
スカシカシパンを拾った時は誰よりも無邪気で、そして誰とも合わずに綺麗に生き絶えたいと考えていた。
陸に戻ればやれ勉強だ競争だの。
牧場も好きなのに割と海や池、川や湖に還りたがっているのはもう此の世に用がないからでしょう。
断言できる。
もう充分だと。
海で食べるなら海産物よりフランクフルトやかき氷やラーメンみたいなどこでも食べられる食事がいい。
成人過ぎて牧場へ行った時に、昔行った牧場じゃなかった上にやたら地方のくせに人がいて動物達が哀れになったのと同時に宗教があったり、肉を焼いたり。
そういうのが嫌なので海についたらかき氷を食べて眠りにつきたい。
海特有のヤンキーも、
海特有の危険生物も、
海特有の頭が悪そうな金持ちも、
海特有の心霊話も…
全部スカシカシパンを拾って海に興味を持った想い出に比べればただの景色にもならない有り触れていて、海の広さについていけない人の狭さをどの時代でもしる栞でしかないのだ。
悔しいねえ。
縋り続けへばり付き、何処にも意味を見いだせない事が自分にとってしっくりきてしまう。
悔しいけれど言って何かが変わるわけがない。
誰かを見ても「所詮そんなものか」
こんなつもりで生きてきたわけではないのに。
そう昨日までは考えていた。
それがこの記憶を頼りに、自身のルーツである一欠片を握りしめることで改めて意味を問わなくていい選択肢に安堵している自分もいるのだ。
この記憶も掘り起こされる可能性は無かったかもしれませんから。
波にさらわれる不安と明日の不安。
助かる確率の低い方へ縋れるならそうする。
自然に身を委ねられる事ほど光栄な事はない。
それが川なら岩に喰われるだけかもしれませんが、海なら恐れ、憧れていたサメ達に捧げられる。
あの日スカシカシパンを握りしめた事に意味は無い。
出来事に意味をつけているつもりはなかったのに、書けば書くほど涙腺が疼く。
強がっても意外と怖いなあ。
何せ上記の経験をする前にもっと醜いリアルしか想像が出来ない。
悪夢を辞めましょうと脳に唱えた所で止まりゃしない。
一人の少年が無表情で手に取ったスカシカシパン。
初めて海に訪れて良かったと思えたあの日。
何度もその姿を確認する度に、スカシカシパンの方が賢く、可愛く、素晴らしい生物にしか見えないや。
※こうは記したものの、基本的には透かしてる見方をしているかもしれません。
例えるなら地下チンチロ編のカイジが班長にリベンジする前の
『穏便に見逃そうじゃないか。』
と腕を組んで偽笑顔でやり過ごす。
忍耐だとかそういう話ではなくて獲物を捕らえた感覚。
だからこそ尚のことスカシカシパンは可愛いという結論に導かれるのです。