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2024年8.10手記:「無自覚な殺人」
唐突ですけど呪いって、結構そこらじゅうにあるものだと思ってます。
たとえば僕がこうして喋ってる。
それだけで不快に思う人がいるかもしれない。
それって呪いに似てるのかなって。
あとたとえば、もっと身近なもので例えるとSNS。
そこに僕が何か書き込むとしますよね。
知らない誰かがそれを見て嫌な思いをする。
そのことをずっと考える。
無自覚な呪いだと思いませんか?
もしかしたらそのせいで死んでしまう人だっているかもしれない。
「無自覚な殺人」
僕はそう、考えるのです。
心霊グラインドハウス~ねむりめ~を見るきっかけになったナレーション。
人のことはあまり言えないうえ強くは言えないのですが自分にとっての無自覚の呪いは「自己啓発」と「自己実現」でした。
100円で買える本のそれ相応の要らない言葉だらけの本からもっとはやく固定概念の幸せを見限って置けばよかったなあとは思う。
元々うたがっていたのに。
あれだけケモノのように荒れていた連中がかかげ続ける幸せにこちらは巻き込まれているだけだって。
あれも無自覚な殺人と呪いか。
そうと分かっていても許せない。
その気持ちを抱えてもつらいけど、なしにすることは今更できない。
それは自分も人のことは言えないか。
SAW2のアマンダに殺されてもおかしくないくらいには長く罪を重ねすぎたのかもしれない。
なぜかそれを考える時間が増えている。
どうにかふりはらいたい。