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予期せぬ不首尾

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あらすじ

春先に失職した青年は生きる無意味さを経験し、この世への復讐の為に崖へ身を投げる。
一方、高校生活を迎えた羽能線涙滌はのせるあらは謎の化け物に理不尽な悪夢を見せられた後に契約を結ばされてしまった。
青年と少年は互いに交わるはずのなかった人生を過ごす事になってしまう。
二○二二年、二人は課せられた新年度をどう過ごす?


突き付けられた現実


  二○二一年。
  日本にはかつて四季が存在していた。
  今はもう中間が無い。
  もしかしたら先人の知恵に欠陥があったのではと勘ぐってしまうほどに。

「・・・さん・・・残念ですが今日限りで・・・」

  漸く見つけた就職先を春に学生服を来た集団を眺めた後に失った。
  ウイルスによる影響が無くてももしかしたら働き口を失っていたかもしれない。
  机上の空論がずっと頭の中で渦巻いていた。
  今振り返ればショックを受けていた反応だったのかも知れない。

  学歴社会というのは有機物が生み出した謎のルールでもあった。
  今を生きる生物は基本的に過去から何も学ぶことはない。
  発展の為に教育は必要なのは分かっているが、基本的に頭の狂った優等生が老いてまで金と権力に縋っている以上、落ちこぼれは生まれて馬鹿にされ続ける。
  たまたま家がお金持ちで顔が良く、数字が取れる器用で五体満足な人間は造られた世界へ所属する。
  これはこちらの妄想ではなく目に映る現実が証明している。
  男性の多くは生まれて歩き初めてから女性抜きの八百長レースで出世するぐらいしか何も出来ない。
  頭が良くても精々捻出できるアイデアは独りよがりで気色が悪い。
  自分もかつては夢を見ていた。
  社長やリーダー・・・どれも自分には適さなかった。
  大好きだった自然や隣街のレストランもゲームも全て虚構の裏技を編み出せる才能、いや違う。
  ただの選択肢を持つ人間が衰退させてしまった。
  もし有識者が力を持っていたら道は違ったのかな。
  自分も綺麗事は嫌いではあるものの、それすら成功者によって歪められた現実でしかないのかもしれない。
  当たり前などないのに。
  秀でると言ったって運の匙加減でしか何も決まらないのに。
  職を失い、選択肢の無い人間には明日は無い。
  どうせ誰かにこの事を話しても「お前が悪い」や「夢があったはずだ!」など綺麗事や叱咤激励という憂さ晴らしをされた後に絶望の言葉で蹴落とされるだけ。

  言葉を話せるぐらいしか取り柄のない人間は実に醜く、多様で生死だけが平等の劣等種族。
  自分も含めてもうこの世に未練はなかった。
  そのため、早速車を走らせ旅立つ。

恵まれて偏った者の末路と


  何故、自殺を止めるのだろうか。
  答えは倫理によるもの。
  守る人間なんてそう居ない。
  人間はそこまで賢くはないからだ。
  肯定するわけではないが自分の思考を整理して導き出した答えとしては、人間は造られた希望と夢へ反抗する感情があるらしい。
  死にたいと願う本能が備わっているのだ。
  何も出来ない現実でリセットは出来ない。
  なら首を吊るのは悲しい選択肢ではない。
  当然の反応だ。
  動画やインターネットでは若者の自殺だけが嘆かれる。
  コメントを書く人間もおかしな思想に縋っている弱者に過ぎない。
  いや、強者なんて見た事が無い。

  自分はこの世に生を受けて暴力で育てられ、本能で教養を知りこの世の厳しさに適応しようとしていた。
  しばらく経ってから、思春期で好きだった者が集団で虐められているのを見て助けたかったのに動けずに泣き寝入りをし、傍観者としての報いを受ける。
  それ以降見る夢はその子が自分を渦潮へ引き摺るビジョンばかり。
  無言で水底へ誘うのが生々しくて辛かった。

  しばらく車を走らせて崖へ向かう。
  途中おじ様が止めようとした。

「あんたこの先走っても道はない。ブレーキをかけなさい!」

  綺麗事ではなくて正気を保っている人間なら当然の言葉だった。
  久しぶりに声をかけられたからか言う通りにした。
  行動だけは。

「悪いけれど自分に先も後もないから。
死にたくなかったらそこをどいてください!」

  エンジンをかけて威圧する。
  こんな事もあろうとバットくらいは所持していた。
  もう少しマシな道具も欲しかったがそれだけ自分は死ぬ為の準備しかしていない。
  おじ様はどうにも出来ずに下がっていく。

「貴方は俺を見殺しにしたわけじゃない。
事故ということにしてくれ。
海へ突っ込んだらどうなるのか・・・体現したかった奴がいたってだけだから。」

  時速六十kmなどとっくに振り切って勢いよく崖へと自分は落ちていった。

  これまでに絶望の果てで志し半ば死んでいって恩人の世界へ逝ける。
  それだけが自分だけの目的だった。
  痛みなど怖くはなかった。

・・・その恨み気に入った

  脳内ではない声が僅かに聞こえた。
  そろそろ死ねるな。
  その後の現実などこの瞬間はどうでもよかった。

幸先悪く夢を見る


  生まれた時から「羨ましい」と声が聞こえたかも知れない。
  まだ十五歳、けれど今年で十六。
  いつの間にかインターネットがあって、コンテンツも多くて、兄妹も多い。
  物に溢れた世界を生きて高校生になった。
  自己紹介から始めようか。
  俺は羽能線涙滌。
  十七も離れた兄が付けた格式高い、というより意識が高めな名前。

「はのせるあら」

  それが俺の名前。
  兄は突出した才能と噛み合わない扱いを受けて  いる有名人で、選べない家族と世界の中で生きている男子高校生と覚えておいて欲しい。
  別に俺にとってはこれが当たり前だから。

『カッコつけてるね』

  とか言われても困る。
  別に誰も見下してないし精々ゲームかインター  ネットか生きていれば避けられない影響を受けて育っただけだ!
  そんなの、みんな一緒だろう。
  まあ、俺は打ち込む物があるから余計に誤解されている。

  俺は昔から格闘技をやっている。
  脚光を浴びたいと言うより例の意識高い兄を見たら一度くらいはやり返してみたくなったからだ。
  正々堂々と兄から見れば子供の俺がぶん殴ればそれだけで充分清々する。
  王道なんて物騒か感動か二つしかない。
  何だかんだ高卒ぐらいは皆と一緒に取りたかったから中学生活は無理ないくらいに勉強はした。
  今時好きを仕事になんて誰も目指さないからできる範囲の努力で楽しみたい。
  思春期はウイルスのせいで何も出来なくて今も厳しい。
  入学式も淡々と終わって、イベントらしいイベントも特に出来ず、同じクラスの女の子に一目惚れしたというだけで終わった。
  俺も見た目は気にしている筈なんだけどなあ。
  結婚しない人もいるし男はクソ野郎って歴史が証明してしまったから俺みたいな大家族はノーサンキューだろう。
  フィクションの恋は感動するが現実の恋は顔と力と身体で決まる。
  俺はどうやらまだ何か足りないらしい。
  だが顔より中身なんて押し付けたくはない!
  あの子にそんなこと言えないよ。
  せっかくの高校生活だ。
  デビューは慎重に行いたい。
  そう思いながら夜を迎え眠った。

クライキリノナカデ

  ここは海外だろうか?
  潮風の香りが太平洋とも日本海とも違う。
  そこには一目惚れしたあの女の子が砂浜を素足で歩いている。

「一緒のクラスだっけ?」

  俺は頷いた。
  凄い世界だな。
  これ何なんだろう?

「あのね、死の瞬間に見るイマジネーションって実は・・・」

  障子のように破けた女の子の身体から無数の腕が伸び、そこから自動車が向かってきた。
  なんだこのアグレッシブな展開は!

  ・・・良いカラダだ・・・じゃ、こいつとこいつを組み合わせてみるか!

  自分に囁く誰かの声。
  どうやら今見ているのは夢ではないのかもしれない。
  いや、夢の筈だ!
  夢であってくれ!
  無数の腕に掴まれた俺はゆっくり向かってくる自動車に怯えて目を閉じることしか出来なかった。
  どれだけ力を使っても振り解けない腕の力。
  こんなのタチが悪いホラーだ。
  いやサイコスリラーか?
  そんな主人公になったつもりは無い!
  離せ、離せ!
  俺の願いは届かずに自動車が俺の身体を跳ねる。
  その先に見える世界はなんだろう?
  少なくとも甘くはない。
  理不尽だ。
  赤ん坊の頃から気付いた感覚は正直だと悟る。

見えるものは見るつもりなし

 
  朝日が窓から差す。
  自分はもう死んだ・・・ここは地獄か何かだ。
  筋肉質の鬼が現れ、俺の人生の過程を無視した  暴力で苦しみを味合わせて罪を償わせる。
知っているぞ!
  何奴どこも此奴かしこも天に逝ける連中じゃないことを。
  それに天国も理想郷じゃない。
  それなのに朝日が眩しい。
  結局・・・産まれてくるんじゃなかった。
  そしてもっと早く死ねていれば!

「涙滌起きなさい。」

  女の人の声がする。
  なんだ?死んだ後に試すというのか。
  自分が鬼の誘惑に引っかかると思うか?
  詐欺に引っかからないがソーシャルゲームのバグの説明文は鵜呑みにしてアプリ削除をせざるを得ないぐらいしか俺には隙がない。
  起きるものか。

「涙滌遅刻するよ?アラーム鳴りっぱなしだし。」

  るあら?
  何だその名前は。
  自分は自分の身体を確認した。
  身体が軽い。
  毎朝来る憂鬱な感覚はゼロではないが少ない。
  まさか女性の身体では無いのかとある場所を確認したがそれは敢えて言うのは辞めよう。

「え?俺って?」

  この身体の人の親族、つまり母親?かお姉さんが声を掛けに来ていた。

「全く。
お母さんには恥ずかしいから起こすなだなんて言っておきながらアラーム設定ミスってるじゃん。」

  何故かこの身体は端末のパスワードを入力する事が出来て日時を確認した。
  そうか。
  ということは遅刻か!
  何故だが自分はこの身体の記憶を頼りに高校へ向かう。
  まさか男子高校生になるとは。
  死よりも恐ろしい仕打ちだ。
  近年の高校生はどんな生活を送るのか楽しみという感情はあまりなく、急かされるように向かった。

  久しぶりの教室を見て自分は何を思うのか

  この身体から教室の記憶を探り当てていたら高校一年生という事が分かった。
  変に高校三年生だったら危なかった。
  もう学習した内容なんて忘れている。
  遅れて見つけたクラスへ入ると一同が驚いていた。
  距離は駅を乗り継いで二つ先の高校。
  この身体は知り合いと会いたくないのだろう。
  少し苦労したが高校生の体力ならなんとか補えた。
  バツが悪そうな教師を尻目に席へ座る。
  思ったよりもこの身体へ適応している。
  自分は・・・そもそもなぜ高校生なんてやってるんだろう。

「羽能線君、早速遅刻?」

  隣の女の子が声を掛けてくる。
  なんだ?この胸の昂りは?俺の感情じゃない。
  この身体の感情が教えてくれる。
  だが自分には説明がつかない。

「あ、ああ。嫌な夢を見て。」

  周りが笑っている。
  夢か。
  確かに自分は何かをしていた。
  この身体は自分の物じゃない。
  この世界は一体?

  授業を終え、何事もなく帰宅しようとする。
  クラスで話せる事はそんなにない。
  けれどこの身体に友達が出来なかったらと思うと気が引ける。
  誰に話せばいいのだろう。
  考え込みながら駅へと向かう。

「あ、いた羽能線君。」

  クラスにいた女の子だ。
  この身体はモテるのか?
  恐らく新学期始まってすぐの交友関係。
  そんなもの二ヶ月もすれば直ぐに変わる。
  しかし第三者視点の胸の昂りを考慮すればこの身体にとって今の展開は一生に一度しかない好都合。
  それなら自分が一肌脱いで差し上げよう。

「この地域慣れてないからさ。オススメスポットとか案内して欲しいな。」

  女の子が何処から来たかは知らないがこれならば例えこの身体と女の子が幼馴染みでも初めて知り合った関係でも無難にことが進む。
  そう読んだ。

「私、いつも最寄り駅のグルメはチェックしててね。そこでいいなら話そうか。」

  まさか十代の女の子と話す機会が巡ってくるとは。
  自殺を試みた俺 自分へ神だか仏だか知らないが縁を運ぶ。
  この時、自分の意識を破ろうとする意思が働いている事を知る。
  こう言うとおかしな人間に思われるがそうとしか説明が出来ないのだ。
  だが自分は今を選択するしかない。

「そうしよう。」

━━━お洒落な店にて


  女の子の感覚は追いつけないことが多い。
  自分の高校時代で女の子はどんな遊ぶをしていただろうか。
  女の子同士で勝手にイベントは進んでいたのかも知れないが自分は女の子と一緒に居る事なんて  精々義務教育ぐらいだった。
  恋愛なんて興味無いし、実際は身体で味わう恋も頭で考える愛も女の子は求めていないのだ。
  そう言えば二十を超えたらみんな結婚だとか出産だとか、いや十代から考えていたっけ。
  なんて夢の無い本能だらけな青春なのだろう。

「あれ?羽能線君、もしかして用事があった?」

  どうやら女の子は俺に話しかけていたらしい。
  すっかり自分は考え込んでいた。
  この身体に慣れていないのか?
  そもそも自分は誰なんだ。

「ごめん。ここのところ疲れが取れなくてさ。」

  女の子は会話に詰まっている。
  気を遣わせてはいけないか。
  男として選択を誤ったか。

「お詫びに今日の食事代払うから。」

  女の子はいいよと手を振る。
  優しい子だな。
  余計辛い。

「俺、上手く話せないんだよ。こんな事言うのも良くないかもしれないけど、人間関係きつくて。」

  女の子は顎に手を当てて次の言葉を考えている。
  これではまるで俺が女の子の店選びに文句を言っているようだ。
  すると意志の力が俺を追い出した。
  あまりにも聞いていられなかったのだろう。
  そこから自分の意識は途切れた。

━━━自宅?にて


  自分は確かに死んだ筈だ。
  職を失い、娯楽を失い、家族も無い。
  友も失って恋も消えた。
  俺に残された道なんて無でしかない。
  俺は朝起きた部屋に倒れていた。
  身体は高校一年生の男子のまま。
  自分はやっと鏡を確認した。

  誰だ?こいつは?

  生前に見た韓流と呼ばれるアイドルに似た髪型に現代アスリートの筋肉。
  細身だがしっかりと鍛えられていて少し親しみやすい風貌の男子高校生がそこに居た。
  やっと意識と記憶のアベコベに混乱する。
  するとドアが開いた。

「お前・・・ここにいたのか!」

  初対面だが意識はしていた。
  ついさっきまで『自分』だった存在。
  本物の羽能線涙滌だ。

二つの魂


「どういう事だよ!っていうか何遅刻してんだ!」

  本物の羽能線涙滌が捲し立てる。
  高校生は元気なんだな。
  中学生とは違ってそこまでの力は抑えられている筈なのに。

「ちゃんと授業は受けた。それに先生にも納得のいく説明をしたよ。俺は特にこの身体で悪さはしていない!」

  頭の中にいた意識の正体。
  逆に言えば自分は彼を乗っ取ったのだ。
  羽能線は一呼吸して話を整理する。

「細かい事は置いておく。
お前は俺じゃないよな?」

「ああそうだ。
何故か君の身体をそのままコピーしているけれど俺は死んだ筈の人間だ。」

「死んだ?まさか・・・俺が見てた夢は?」

  羽能線君は俺にこれまでの説明をした。
  夜寝ていたら腕に掴まれて自動車に轢かれた事。
  悪魔らしき声が聞こえた事。
  話は飛んであの女の子とライン交換をした事。

「まさかな。
俺が崖から落ちた時に君が寝ていたのか。」

  俺は誰も人が少ない夜を狙って崖へ向かったら止められた。
  そして振り切って落ちた時に何か声を聞いた。
声?
  そして羽能線君も声が聞こえていたという。
  なんらかの取引が行われたのか?

「けど意味がわからない。
なんであんたが俺の身体をジャックした上、やっと追い出したと思ったら俺の身体とあんたが産まれてるんだよ?」

  ますます意味が分からない状況だがその通りなのだから仕方が無い。
  やはり俺は本来の肉体を失ったのか?
  だとしたら羽能線君を模したこの身体はなんだ?
  羽能線君は俺が考え込んでいる間に台本を渡した。

「俺は明日学校へ行く。
あんたはこの台本通りに行動してくれよ。」

  流石近年の若者。
  柔軟かつ的確な行動をしていると共に、彼にとっては鏡以外で自分を見るのはいい気分がしないのかも知れない。

「双子って設定も無理があるから今度俺があんたの髪を染めて区別させるよ。
言っておくが事が解決するまで余計な行動禁止。」

  その言葉に俺は従うしかなかった。
  あの後何があったのかは分からないけれどこの子は人より語気が強い。
  自殺者にとっては辛いが冷静に考えれば彼の意識を一時的に乗っ取った俺の責任だ。
  咎められるのは俺だけだ。
  俺は羽能線君の台本を手に取り勉強する。

深層心理の奥底で


  ━━二〇二二年某月

  目覚めた時、涙滌は病室にいた。
  身体が重く、頭痛が酷い。
  視界は普段裸眼だった涙滌からすれば乱視でぼやけている。

「お目覚めですか?」

  看護師が声を掛けてきた。
  成程。
  ここは夢の続きではないらしい。
  しかし身体が違う。

「いやああんた凄い生命力だね。」

  今度はおじさんが話しかけてきた。
  このニュアンスだと身内じゃないか。
  一体全体何がどうなっているのだろう?
  涙滌は自分が高校一年生として惚れた女子生徒と共に面白くは無い勉強をし続けてプロ格闘家になり、専門のオフィスを構えてSNS時代に培った加工技術を応用しイラストデザイナーになる目標を瞬時に失った。
  溜息が溢れる。

「あのぉ・・・大変言いづらいのですが・・・」

  何故こんな雰囲気が暗いのだろうか?
  事故からの生還は九死に一生じゃないのか?

「看護師さん、それ以上はいい。綺麗事や理想論を押し付ける訳にはいかないからなあ。」

「い、いやそれもあるんですけど・・・」

  と間を置いてから説明された。

  今、涙滌の身体となっている人が自殺を試みたこと。
  そしてかすり傷が少しだけの状態でほぼ何もなかったように岩場で見つかったこと。
  しかし一週間寝たままの状態で、引き止めたおじさんが結局止められなかった事を悔やんでずっと無事を祈っていたということを簡潔に伝えられた。
  流石看護師。
  そして容態のチェックも終わって退去命令が出た。

「このご時世、死ぬなとか生きてりゃいい事があるなんて軽々しく言いたくないしどうしようかと思ったけど・・・」

「ど?」

「そ、そのお・・・思ったけど!」

  なんだ?
  なぜ続きを気にかける?
  腫れ物に触るような対応も充分失礼な気がすると考えた涙滌はおじさんの胸倉を掴んだ。

「すみません。信じて貰えないかもしれませんがこの身体は俺の身体じゃないんで。」

  自殺については深く話す事は出来なかった。
  しかし涙滌にも覚えはあった。
  友達が誰にも助けてと言えずに首を吊った事。
  経済状況が悪くて一家心中に巻き込まれた女の子もいた。
  人の命は地球より重いという言葉と反対に値段があるという現実。
  昔の漫画とかでも自殺するやつは勝手だとか神様キャラクターに言わせてたヤツがあったなあ。
  あれぐらいシビアなら、というかフィクションだから別にいいか。
  あのキャラクターも資本主義で苦労してたし。
  とおじさんから手を離して落ち着いた。

「そ、そんなに怒っていたなら悪かったよ。
安易に引き止める必要はなかったかも知れない。けどさあ、そりゃあ引き止めるぜ?
おじさんも人間だから!」

  言葉を選んで発言しているおじさんの息苦しさが伝わる。
  しかし悪い人じゃない。
  そしてこの身体の持ち主はおじさんしか知り合いがいないのかもしれない。
  知り合いというかなんというか。

「けどあれだけ派手に突っ込んでこれだけ無事だと運というのは難しいね。」

  そういえばそうだった。
  問題の本質はここだ。

  何故入れ替わった?
  その原因を探らないと元に戻れないのか?
  ただ外に居てもしょうがない。
  おじさんは釣りはいらねえよと言って缶コーヒーを渡してくれた。

  そしてこの身体の人が何をしようとしていたのかをただならぬ気配で察して観察していたらしいので家まで送ってくれた。

  誤解がないように言えば涙滌が記憶を手繰って
「送っていくよ。」
  というおじさんの善意に甘えさせてもらった。
  生き辛くなるだけの世界だと思ったけれど損得とか関係なしに優しくしてくれる人が居ることに安心した。
  この身体の持ち主である魂にはもう届きはしないか。

アクマのささやき


  典型的なアパート暮らし。
  この身体の性格的に、一人で過ごしたいよなあと思ったのでゆっくり過ごすのにはちょうどいい。

  思ったよりと言えば失礼だが家賃は良いお値段をしてそうだ。
  きっと素朴で真面目に仕事をしていたのだろう。
  それ故に趣味がなくて悩んでいたのかと部屋の綺麗さが生々しくて怖さを感じた。

「幸せじゃないから死ぬとは限らない・・・けど一つくらい頭空っぽで楽しめる趣味があれば違うのかな?」

  死ぬ為の準備にしては物が余りにもない。
  趣味を作る環境もないほど働くというのは欲の深い俺には考えられないことばかりだ。
  あの時自殺した子も辛かったのか、幸せだったのか。

『コタエハ、神のみぞ・・・というよりワレは知ってるけどなあ!』

  部屋に瘴気が充満し、俺は連れ去られる。
  こいつは夢らしき世界で何かを呟いていたやつか?
  なんて呟いたかは覚えていないが。

『へっへっへっ!』

  古典的でイタズラ気質の何かに振り回されていく。

━━━目的は?


  瘴気の世界で俺は項垂れる。
  謎の存在は宙を舞ってケタケタと笑っている。
  俺は質問をした。

「お前は一体何が目的だ!俺を早く元の身体に戻せ!」

  戻れないかもしれないだなんて絶望は抱かない。
  ここで屈してたまるものか。

『戻りたい…ねぇ。』

  含みがあるな。
  俺に死にたい理由はない。
  巻き込まれただけだ。

『マア俺の遊びで入れ替えただけだけどね。』

「なら戻せ!化け物相手なら容赦はしない。」

『ふぅーそんな身体で俺を殴れるのか?元は高校生なのに?』

  そうだった。
  俺は現実に引き戻される。

『入れ替えた!といってもただの入れ替わりじゃない。なんと!俺の手によって入れ替わったヤツは深層心理に隠されている持ち主の魂が反発をすれば自然と出ていけるのさ。』

「どういう理屈だ?どうせ戻れはしないんだろう?」

『そうやって決めつけんなよ。』

  トラブルの火付け役が理不尽にイライラしている。

「つまり入れ替わったというより俺とこの人の魂を分割してそれぞれ入れたってことか?」

『そうねえ。
だってワレは盛り上がる方が好きなんだもん。
ただ入れ替えて何もありゃしないなんて凡才のアイデアだもん。』

  こいつの言葉には裏がある。
  目的は子供のようなものだ。
  俺達の身体で実験している。

『それにネェ、絶望しているキミの身体の持ち主がもしキミの身体に宿ったらどんな行動をとるかなってさ。
死にたいヤツに若さを与えたらって気にならない?』

「てめえ!」

  化け物は俺のジャブを軽々と受け止める。

「キミは意思が強いからもうすぐ自分の身体に意識が持ってかれるよ。ほら、もう透けてら!」

  どういう事だ?
  確かに意識は薄れていく。
  何故だが身体が熱い。
  しかしこれじゃあ何も分からないままだ!
  そうしている内にまた意識が無くなる。

「わあっ!」

  駅中の人気店で俺は大声をあげて目覚めた。
  そこには同じクラスで出逢ったあの子がいた。
  自殺を願っていたあの人がどうやって彼女と一緒になったのか分からない、って分からないことだらけだ。

  ただ元には戻れた。
  あの化け物のことだから何かある。
  せっかくのチャンスなのに悩みが増える。
  すると彼女が俺の手を取る。

「羽能線君って本当に面白い人。」

  恥ずかしい!

「羽能線君。
ライン教えて?」

  勿論ここは素直に応じた。
  ここで俺が何を言っていたのか聞きたかったが  やっと戻れたし心を落ち着かせたかった。
  けれどその前に彼女の名前をやっと知った。

  梨堵と書いてリトと読むらしい。

  いきなり名前か。
  こんな状況で。
  本来ならもっと舞い上がっていたかったのになあ。
  けどこれなら別に何もないか。

「疲れたあ。」

  やり取り前後が不明な出会いなんてあるのか。
  しかも普通に喋ってたみたいだし。
  自殺を試みたあの人がまともで良かった。

  けど自殺する人を異常とか決めつける人間は遅れている。
  だからあんな化け物に遊ばれるのかも。
  脳が疲れているからかロードバイクを走らせて家へ帰る。

  姉がおかえりと声を掛けたことすら気付かずに部屋をあけるとそこにはもう一人の俺、いや追い出したあの人がいた。

  彼女に聞いたら遅刻したらしい。
  色々な怒りをあの人にぶつけてしまった。
  狼狽えるもう一人の俺。

  ったく…やはりただでは帰してくれなかったか。
  流石に怒りすぎた俺はあの人にさっき起こったことを伝え、紙のメモ帳にある程度どうしたらいいか台本を渡した。

  そして、あの人の髪色を変えることで区別するアイデアを提案した。

  あの人の身体は今どうなっているのか?
  もう一人の俺として生きるあの人をどうしていくか。
  話し合おうという結論が出るのはもう少しあとだった。

ゴールデン羽能線


  自分は今、新しい身体で生きている。
  行き場を無くした意思が肉体を得るなんてどういう事なのだろう。
  元の身体は…
  その辺については羽能線君から渡された台本にも聞かれた。
  そしてある化け物によって今の事件は起きたらしいという事を。

・強い意思が反発すれば元に戻る

  筈だったが元に戻れたのは羽能線君だけだった。
きっと自分には反発するだけの意思が無い。

  空っぽの肉体が部屋に転がっているだけ。
  どうやら所持していた自動車は大破していたが、自分の身体は傷が少しだけで一週間あの時の  おじ様が面倒を見てくださったようだ。
  なんて答えていたのかは分からない。

  若い羽能線君には綺麗事を言われてもどうとも思わないかもしれない。
  何故なら彼らから金だけが大事だと教えてしまったのが自分達だったからだ。
  幸せを見つける事が困難な時代にした自分達の報い。

  きっと辛かったかもしれない。
  生きたかったかもしれない羽能線君にとっては。
  という事は自分の目的は達成したのだ。
  空虚になった自分の身体。
  新しい身体を持ち、若さと強さを手に入れた自分。

  自殺とは違うが誰にも死体を後始末させ…いや、迷惑はかけてる。
  自分のエゴで羽能線君の時間を奪った。
  それに都合よく纏めかけたがこの状態は危険だ。
  化け物についてのやり取りは事細かに書かれている。

  いつ何時現れるか分からない。
  でも自分は残りの人生どうなるのだろう。
  戸籍も何も無い十五歳。

  身体だけは羽能線君のクローン。
  食っていくにも働くにも困る状態。
  せめて自分の家に帰れればいいが羽能線君の家から自分の家は遥か先。

  新幹線代もどうしたらいいのだろうか。
  台本には家でどうにか食い繋いで欲しいと簡単な家族とのやり取りがある。
  これは死ぬより辛い。
  いっそもう一度死んでみようかと思ったがそれだけはメモにやめろと釘を刺された。

  生殺しか。
  これも復讐を試みた者の罰か。
  そう捉えていた。

  端末に連絡が入った。
  どうやら羽能線君は複数の端末を持っていて、自分に渡してくれたスマートフォンは昔使っていて愛着が湧いた端末らしい。
  何にせよ結構な金持ちの様で助かった。
  そのラインには

『ねーちゃんには言ってある。』

  とあった。
  その上で台本通りにしないといけない。
  学校へ向かった彼の為に籠る事になったが急にお腹が空いてしまった。
  自分には基本外食はさせない為かお金も無い。
  そしてこの羽能線君そっくりな自分の肉体は育ち盛り。
  やっぱり死のうか。
  そんな問答を繰り返していると部屋に羽能線君の姉が入ってきた。

「あなたね。
涙滌クローン。」

  お姉さんはやや黒い性格のようだった。

生かされている現実


  羽能線姉さんは大手のブランドメーカーで働く服飾デザイナー。
  実家で過ごしているのは羽能線君の高校卒業までに彼の資金を支払う為。

  誤解がない様に言えば両親からネグレクトを受けていたり、片親等という理由とは別で羽能線君とお姉さんにはお兄さんがいる。

  お兄さんは自活しているらしいが、職業柄家に戻ることは少ない。
  お兄さんとは歳が離れているが、兄弟というよりはお父さんのような関係で過ごしていたらしい。

  お姉さんは自分までやりたいようにやるのは不誠実と考えて職場を変えたそうだ。
  実家ならそれ程の外出もせずに済むとか。

「以上!私の話でした。」

  と、思いの外歓迎されていた。
  自分は何か裏でもあるのか勘繰ってしまったが、羽能線姉さんの手料理は世辞ではなく料亭に出せる腕前だった。

  それ程豪華な食事じゃないのに、余所者の自分を受け止めてくれるどこか懐かしい気持ちになって思わず涙が出てしまった。

「ちょ、ちょっと。そんなに不味かったですか?」

「いえ。暫く独り身でしたから、こんな手料理食べさせていただけるなんて。」

  新時代の金髪姿で高校生が自宅で食事に感動している。
  周りからそう思われるだろう。
  だが自分は一度は現世を憎み死のうとした人間。
  中身はいい歳のおっさん。
  こんな出来事は当たり前では無いのだ!

「涙滌にはそこまで求めてないけど見習って欲しいかな。で、」

  で?
  お姉さんが色々と掻い摘んで下さった後に質問を投げかけた。

「死のうとした理由は聞かない…けれど、せっかくだから良かった記憶とかありませんか?」

  何故そんな事を聞くのだろう。
  つい台本とは違う反応をしてしまったが外出していないし羽能線姉さんは私を嘲笑してはいなかった。

「良かった記憶…ですか。」

「別にこれなら自殺を引き止めてもいないし、後押しにもならないかなって。」

  彼女も色々な経験をし、乗り越えているらしい。
  なら、自分も一つくらいポジティブな話を…
  しかし思い出せない。
  もう何年も良い出来事だなんて…

「すみません。
せっかくお食事をいただいたのに。」

  羽能線姉さんは何も言わずにジュースを注ぎ、次の食事を用意してくださった。
  心はおっさんでも身体はアスリートの羽能線君であるからだろうか。

「生きたいって思う気持ちと死にたいって気持ちに違いはないよね。こういう時なんて声をかければいいか…もし涙滌にも何かあったらってちょっと考えてね。」

  そりゃそうだ。
  見た目は彼なのだから。
  変な気を遣わせてしまった。

「私、涙滌から貴方のことをちょっと聞いてどうしたらいいか分からなかったけれど、兄の事とか自分の事とか…そういう余裕の無い家庭で生まれて競って生きていて、偶に何処か歯車がズレていないか心配でね。

涙滌も何とか高校生になってくれたけど・・・
下手にテレビ番組とかで話題になったから道を踏み外さないかって不安で。
更に貴方の誕生。
でも・・・」

  随分疲れている様子の羽能線姉さんだったが、話を続けた。

「こうやって話し相手が出来て私は嬉しい。今の世の中って、条件付きの付き合いが多いじゃない?
学歴や職歴、見た目とかエトセトラ。
そんな世界じゃ生きていたくないのが私だけだと思っていたから。」

  そうか。
  自分だけでは無いのか。
  何度この気持ちを味わいつつ目を背けていたのだろう。
  彼女もまた人間。
  それに羽能線君も色々と事情があるようだ。

「まだ元の身体に戻りたいとかないですか?」

  戻りたいというより、前より不自由で余計困っていることは話すのはやめた。

「料理とか、トレーニングマシーンはあるから余っ程のことがない限り涙滌は貴方を外には出さないでしょうね。けど…」

  黙って話を聞いたからか羽能線姉さんの気持ちは落ち着いていた。
  手を握られ耳元で

「ドライブくらいなら良いよ。」

  と囁いた。
  妙に艶やかなイントネーションで興奮してしまった。
  身体は血が繋がっていても自分は他人。
  いつの間にか羽能線姉さんを一人の女性として見ていた。

「あ、ありがとうございます。」

ヒッヒッヒッヒッ

  脳内に何か声がする。
  一度部屋に避難した自分はその正体を羽能線君から聞いていた。

「化け物…いつの間にかこんな存在と契約を交わしていたとは。」

  化け物は瘴気を纏い、ランプの魔人のようにスマートフォンから現れた。

「死にたいと崖へ落ちてほぼ無傷で助けたのは何処の…だーーーれだ?」

  ウザイ。
  そして恩着せがましい。
  ここは落ち着かねば。
  フリだとしても。

「実験しているのか?何の為?」

「随分細かいね。
だから死にたくなるんじゃない?

 あんたは落ちる前に世の中を恨んでいた。
そんな窮地に立たされている人間と恵まれているが窮屈な高校生とイミテイトしたらどうなるのか気になっただけさ。」

  イミテイト?
  専門用語か。
  まさかこんな存在に弄られるとは。

「羽能線君の生活を元に戻して欲しい。」

「へえ、さっきお姉さんといいムードだったのに。どうせ元の身体に戻っても死ににいくのだろう?」

  確かにそうだ。
  そうなんだ。
  元の身体に戻ればお互い運命を全うしないといけない。
  しかも羽能線君とは友達ではない。

「空になったあんたの身体。
そして新たな身体。
ま、あんたはそういう意味では死んだのかもな。」

「確かにそうか。
このままなら、職について悩まなくて済むのか。」

  けどそれでいいのだろうか?
  自分の人生はこんな形でいいのか?

「まあいい。」

「はあ?」

  化け物は苛立ち始めた。

「自分は一度でも大事な選択を自分で決めた事があるのか悩んでいた。
けど、ここでぬくぬくしているのは違う気がして
ね。そして、化け物の言いなりになるのも。」

「ほお。死にたがりが随分ご立派な大義を掲げたようで。」

「悪魔の掌で踊るよりも、涙滌君に恩を返すようにしないとね。」

  そうだ。
  ここで匿ってもらうようなままでは駄目だ。
  ちゃんと元の自分の身体を確認しないと。
  しかし資金が無い。
  こうなりゃヤケだ!

  自分は羽能線姉さんに少し嘘をついて出かけた。

  化け物はよく分からない反応をする。

  この辺りの地域はスマートフォンで調べれば分かる。
  家に戻れば選択肢はある。
  何の確証も無いがやる事はただ一つ。
  自分の家に帰ればいいということだけだから。

涙滌るあらは走る


  涙滌は死にたいというあの人の気持ちが分からなかった。
  いくら高校生と言えど、いや高校生だからこそ考えたくなかった。
  しかし思い当たらないわけではなかった。
  涙滌の家庭はある意味他とは違っていたからだ。
  兄は半分芸能人のアスリート。

  その為よくメディアに駆り出されていた。
  偽りと綺麗事に競い合うばかり押しつけあって基本的には他人事。
  華やかだろうと大した場所ではない現実に早く気付いてしまった。

  それでも周りからは羨ましがられた。
  確かに欲しい物は兄に買って貰ったこともある。
  だが大半は自分の格闘スキルで獲得した資金やこれ迄の若者なりの知恵で生きている。
  友達は居ないわけではないけれど、やはり何処かで自分と友達になっている人は涙滌の家庭や特別感に対して付き合っているのではないかと考えるようにはなってしまった。

「こんなんで高校生活がやっていけるのか不安だ。」

  つい愚痴がこぼれる。
  独り言なんて気味が悪い。
  しかしもっと気味が悪いのだ。
  金髪に染めたもう一人の自分。
  厳密には化け物の悪戯で生まれてしまった元社会人の魂が涙滌の身体を模したのだ。
  姉には彼が何かしたら連絡するように言ってあるが特にない。

  やはり大人だし勝手な事はしないか。
  けど今の状態になる前は崖に自動車を突っ込ませたぐらいだから安心は出来ない。

  高校生活初の彼女と繋がれたものの、順調に行かない人生というのは歯痒く辛いものだ。
  そんな事を昼休み中ずっと考えていた。
  今日はジムで練習もある。
  兄を超えたい目標を抱えながらもう一人いる金髪の自分の管理。
  我ながらハードな高校生活だ。
  もし涙滌はあの人の様に暗い性格だったら動けなかったかも知れない。
  別に同情している訳じゃない。
  個人主義に資本主義が罷り通って衰退していく人類の歴史の渦中にいるのなら・・・それはそれでチャンスかも知れない。
  幸い涙滌は自殺しようとしたあの人を助けるつもりはない。
  そんなのはあの人の問題だから。

「うおおおおおおお」

「おいおい涙滌。
めっちゃサンドバッグ殴ってるけど打ち方違うぞ?」

  基礎なんてどうだっていい!
  ぶっ倒したい人間なんて誰もいない。
  だが兄を超える前にあの化け物は殴りたい!
  梨堵ちゃんとあれから連絡を待っていてもお互い余裕が無くて逢えずにいた。

  あの人だけが彼女と一緒に居たのだ。
ずるい。
  不幸な境遇なら恵まれていいのかよ!
  その分こっちがどれだけ重圧がのしかかっているのか分かってるのか?
  勝手だよな、みんな。
  段々別の方向へと怒りが湧いていく。
  汗を拭き取りにバッグに手を伸ばし、スマートフォンを握ると姉から連絡があった。

「ったく。」

『涙滌クローンが家を出た』

  今のあの人が目指す場所なんて自分の家しかない。
  もう一度崖に突っ込みそうだがそれはそれで関係ないかとも考えてしまった。

  しかし化け物の契約的に身体や意思が離れていて、涙滌は元に戻れていてもあの人が死んだら自分の身にも何かあるかも知れない。

  悩んでいてもしょうがないがここは放っておく。
  念の為あの人にメッセージを送った。
  すると梨堵りとちゃんからも連絡が来ていた。

『助けて』

  今度はこっちか。
  涙滌は彼女が居場所を送ってくれたので急いで自転車に乗って向かう。

ゴールデン羽能線は一人向かう


  自分はレンタカーを探していた。
  といっても見た目は未成年。
  免許証も本来の身体の中でスマートフォンすら羽能線君のサブ端末。
  どうやって帰ればいい。
  とぼとぼと歩いていても仕方がないのは分かっている。
  だが背に腹はかえられない。
  こんな事もあろうかと羽能線君には悪いが交通費をくすねてしまった。
  自宅に帰ればいくらでも彼には返せる程貯金はあった。

  勿論惰性に生きる為のお金で、もう自分には必要が無い。
  といっても割と早くリソースは尽きる。
  スマートフォンで最寄り駅を探して時刻を検索するも自転車すらないから時刻に間に合わない。
  幸い羽能線君の地元が都会だからいいものの貴重な交通費を無駄には出来ないのだ。

  飛び出す時刻を間違えたようだ。
  自分は持ち出してきたペットボトルに入っている飲料水を喉に流して項垂れている。
  すると不良チックな人間が女の子を廃工場へ連れている。

  しかもあの女の子は見た事がある。
  いや、あの時話してくれた子だ!
  羽能線君に助けを求めようとしたがそんな事をしたらバレてしまう。
  ただ羽能線姉さんから連絡は言っているかも。
  このまま黙って引き下がる訳には行かなかった。
  自分は勢いで不良に立ち向かう。

「待てい!」

  不良達は自分の姿を凝視する。

「おいおい。
羽能線涙滌じゃんか!いつも黒髪なのに今回は金に染めたのか?」

「何故だ?何故お前達が自分の名を知っている?」

  不良達は羽能線あきらという人間について語り始めた。
  所謂羽能線兄さんだ。
  突出した格闘家で羽能線君も弟としてテレビや動画配信で有名らしい。

「俺達はただのファン。
だから見逃してくれない?」

  なんて理由だ。
  後、彼も生き辛さとは無縁ではなかったようだ。
  人の家庭にどうこう言うつもりはないが。

「だからといって女の子を連れ去るのは最低だ。」

  不良達は自分の話を聞いている内にイライラし始めた。

「はいはい。
富裕層の人間は上からだな。」

  あの時の子は黙って震えている。

「けどよお。
君はライセンス剥奪が怖いから俺らに手を出せないよな?」

  卑怯な奴らだ。
  無法者というのはいつだってそう。
  だから、だからなんだって言うんだ!

「確かにこの世は最低だし、自分は富裕層に見えるかもしれない。
けれどね。
本能に準じる姿勢だけが全てじゃないんだ。
壁にぶち当たってしまって吸盤のない自分達人間は乗り越える事は出来ない。
その抑圧を罪のない女の子にぶつけるのは違う!」

「綺麗事ばかりいいやがって。
死ね!」

  目を瞑れば殺られる!
  そう思っていたら腕が自然と不良の攻撃をガードした。

「反射神経は優れているのか。テレビで見た時じゃ、そんなに運動神経が良さそうに見えなかったが。」

「そうやって油断するから一手先読めるわけだよ。」

  拳だけじゃなくナイフ等の武器も集団で持っているはずだ。
  無法者に対する用心はキリがない。
  だが羽能線君の身体は思いの外、自分とマッチするようだ。

「バラエティ番組で彼が何をどう表現したのか知らないがあんなものは作り物。
格闘技に自信はないけど負けはしない!」

  気配が他にもある。
  どうやら陽動出来ているようだ。
  あの時の女の子に不良達は居ない!

「ライセンスがあるのは彼の方だ。
自分にライセンスはない。
だから相手してやる!」

「武器も持ってねえ癖に著名人気取りが!」

「そっちは無法者でしょうが。」

  なんとかやり取りしながら攻撃を交わして急所を狙う。

「おう!」

「格闘技は詳しくないけれど急所を隠せないのは痛いよね。」

  二人の不良が倒れる。
  倒れた二人は武器を持たなかったがもう三人はそれぞれ武器を所持していた。

「いくらファンでも殺すぞ。」

「いっそその方がいいかもね。
自分はもうとっくに命なんて・・・」

  勢いよく自転車が廃工場の入口を抜けて三人の不良に直撃。
  そこへ彼が女の子の元へ駆け寄った。

「大丈夫だったか!」

「う、うん。」

  羽能線君?
  やはりバレていたか。
  あと女の子はちゃんと連絡したんだね。
  自分はどっと疲れが溢れた。

                     ━━その後━━━


  俺は梨堵ちゃんにあの人の事と近況を話した。
  美味しい所はお互いに取ったぜ。
と思ったもののまさか梨堵ちゃんが襲われるなんて。
  そして梨堵ちゃんもすんなり状況を受け入れた。
  どうやら会話が噛み合わなくて悩んだいてらしい。
  しかしあの自殺したがりがあんな簡単に暴漢を倒すなんて。
  ライセンスについてはあの人が念入りに不良達へ圧をかけていた。
  というより金的を何度も攻撃して

「これは自分がした事で羽能線君ではない。ライセンスがある彼は何もしていない。
いいね?」

  と病的なくらい脅していたのだ。
  このせいで俺に双子の弟か兄が居た!
  と話題になったっけ。

  でも俺の身体を模したくらいであんなに強くなれるのか?
  少なくとも俺からあの人が交通費を奪った事はこれでチャラにした。

  むしろあの人には早く帰ってもらいたいがこう  話題になったらどうしたらいい。
それに契約の謎もある。
  化け物は案の定やってこないし。

  梨堵ちゃんは生き辛さを言葉にしながらも戦ってくれたあの人に夢中なのがイライラする。
  今では交通費を稼ぐために姉ちゃんの所で働いているが。
  最初からこうすれば良かったか。
  けど、いつまた何かあるか分からないしあの人の底知れぬ世間や風潮への反抗を梨堵ちゃんから聞いてどこか痺れている俺もいる。

  とりあえず今は様子見しよう。
  あの人の人生と俺の人生だ。
  少なくともあの人は俺に何かを押しつけはしない。
  していたのは俺の方だった。
  あの人の家を訪ねる時がもしあれば俺は迷わずついていくだろう。

  こうして俺の青春は始まった。

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