ナポレオンのコンプレックスと矛盾
ナポレオンと言えば、圧倒的な数学力を生かした天才です。
そんな天才の人生に迫った番組やってたので見てみました。
コンプレックス①祖国を売った父
ナポレオンの生まれはコルシカ島
生まれる3ヶ月前までほ独立国(おそらく本来はイタリア領だが、そのイタリアはハプスブルグ家が治めていた)
そんなコルシカ島は、ナポレオンが生まれる3ヶ月前にフランスの手に落ちる。
その際に父はフランスに内通をしていた。
ナポレオンはそん父が許せなかったそうだ。
結果的に父は出世した。
コンプレックス②田舎育ち
しかし、父が内通により貴族になれたことで15歳でパリの軍学校で学ぶ事ができた。
コルシカ島訛りが抜けなかったことで「田舎者」とバカにされる
休み時間は1人で図書館に籠る日々。
空いた時間はひたすら読書。
愛読はルソーやモンテスキュー。ひたすら啓蒙思想にのめり込む。
そして軍学校を歴代最短11ヶ月で卒業(通常4年かかる)
矛盾①嫌いだったフランス軍に入る
結果的に、故郷を襲い、憎んでいたフランス軍に入る。
17歳で共和側と王党側の戦争の総大将に。
王党側であったトゥーロンの解放に成功。
24歳でロベスピエールにパリの司令官を依頼されるも拒否。
ロベスピエール政権が倒れた後の第2次対仏同盟戦争にてわずか2日でハプスブルク家に勝利。
結果的に対仏同盟を決壊させることに成功。
兄ジョセフや弟ルキアンに新聞をつくらせ、民衆を熱狂させる
➡︎軍人でありながら、政治家の道も模索する
結果、300万票を集め、第1総統に
●ナポレオン法典の制定
フランス国内に30以上あった地域の法律をまとめたものを1800年に制定。
「自由・博愛・平等」のフランス革命の精神を全面に出す。
ルターやモンテスキューの精神を
矛盾② 男尊女卑
ナポレオン法典で平等を謳ったのに、実際はかなり男尊女卑思想。
ロベスピエール政権では女性が離婚を切り出してもよかったがナポレオン政権下ではだめに。
男子の浮気はOK、女性の浮気は重罪
おそらくジョセフィーヌを飼い慣らせなかったことによる不満ではないか?
矛盾③ 奴隷制の復活
1794年 ロベスピエール政権がアフリカの奴隷制を廃止
これは世界的に画期的なこととされている。
しかし、1803年にナポレオンは奴隷制度を復活させる。
金の為には背と腹は変えられなかったか。
優生学思想があったかもしれない。
アフリカ人には「自由・博愛・平等」などないと思ったのか
キリスト教的な排他主義な姿勢によるものか
コンプレックス③ できない後継ぎ
ジョセフィーヌと結婚するも14年間で後継ぎに恵まれず
そして自身の遠征中、ジョセフィーヌは浮気し放題
このことが前述の男尊女卑思想に繋がったのではないか?と想像する。
そして、40歳で宿敵だったハプスブルク家の皇女・マリールイーズを娶る。
翌年後継ぎのナポレオン2世が誕生
矛盾④ 皇帝へ
350万票の賛成を元に皇帝へ(あくまでこれは共和国の中での皇帝らしい)
自らの手で王冠を被る(元来はローマ法王に与えられるものだが、民衆からということで自ら被った)という演出も
そしてその際に兄ジョセフに言った言葉「父に見てもらいたかった」
色々と被る秀吉とのコンプレックス
即断即決や大軍の活用、機動力重視など基本的なことは織田信長に似ているナポレオン。
しかし、そのコンプレックス側をみると豊臣秀吉を思い起こさせる。
秀吉は父方は苗字が無かったそうだし、子種は持ってなかったし、高貴な女性を求めた。
そして最後に遠征に失敗して終わるところもなぜか似ている。