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言葉なんて後からついてきますよ。

卒業後、グラフィックデザイナーとして24時間、土日も関係なく働いていた時代があった。今では考えられないが、とにかく仕事が楽しくて、家に帰るのも忘れるぐらい仕事に没頭していた。オフィスは青山の一軒家だったので、シャワールームもあり、キッチンもあり、当時246沿いにあったピーコックで買い物をして自炊までしていた。まるで青山の住人だ。

30歳になった時、ふと思った。このままでいいの良いのかと。。。ちょっと思い悩んでいた時に、当時お付き合いのあった代理店の営業が東南アジアの小国に赴任すると聞いた。その時は今までお世話になりました〜程度だったが、赴任後半年経ったあたり、クリエイティブの強化がしたいので、こっちに来ないか?との悪魔のお誘い。悩む必要はなかった。

当時お付き合いしていた方(今のカミさん)には、一年間思い切りやらせてほしい。その国で続けられると確信したら呼ぶ。と言って、小国での生活がスタートした。

小国といっても、東南アジアでは最も進んだ国で、生活自体は駐在員という事もあり全てが快適だった。
クライアントも大きなビジネスを行っており、小国に身を置きながら、東南アジア、オセアニア、中東、ロシアまで飛び回った。そしてキッチリ一年後に結婚。

3年程度の駐在と聞いていたが、蓋を開けてみれば、17年もその国にいた。
そして、その後また別の国に赴任をして、役20数年の海外生活。

今の若い社員には、積極的に海外へ行けと言っていた。
なぜなら、発想が変わるし、視野が広くなる。
学生英語だったのに、すぐに喋れるようになる。
言語は追われるとキチンと身につくと実感。
みんな言葉を気にするが、日本で習う文法重視の英会話はほとんど役に立たない。言葉はコミュニケーションの一部なので、伝われば問題なしと腹を括ればちゃんと通じる。

それに、なんと言ってもその時お付き合いした周りの方、お客さんは自分と同じように歳をとる。海外駐在経験者は帰任したらある程度のポジションまで行く人が多い。そんな人たちと、海外という特殊な環境で、同じ方向を向いてプロジェクトを成功させてきた。この絶対的なコネクションは日本でサラリーマンを続けていたら手に入れることは出来ない。

若いうちにやってきたことを、50代以降に最大限使えるか否かは、30代、40代の働きで変わってくる。

若者よ海を超えろ。

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