ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な9

「自作釉の調合、だいぶまとまってきた」

ぐい飲みとかコップとか茶碗とか、そういううつわものを作るとき、外側は自分の好き勝手な絵付けでコーティングしてたけど、内側は釉薬一色にしていた。使う側が何も気にせず使えるようにという気持ちがあったからだ。でもそうすると皿類の内側の方が表として見える形態をどうしようという葛藤があり、それは結果的に絵付けそれ自体への自信をつけることにより精神的にオッケーにしてしまおうという実に曖昧な形で決着させた。そして、それはそれとしてコップ類の内側に使っていた釉薬が基本的に陶芸教室の公共釉か、貰い物の釉薬ばかり使っていたので、さすがにそろそろ自分で調合した釉薬を作っておかないとなみたいな気持ちになった。ちょうど今年度から磁器土を主体にした表現を考え出したというのもあり、釉薬との相性をより強く考えないといけない状態になってきた自覚があったので。今回のテスト調合で最低限の及第点は超えたかなぁという実感はありーの、ローカルな変更はしていきつつ、とりあえず表の展示に使って良い感じの釉調にはなってきた。


「俺が俺でなくなってゆく」

磁器土が今まで使ってた陶土と勝手が違いすぎてとまどいながら制作をする日々が続いている。陶土は10年以上扱ってきたので、さすがの僕でもある程度どういう状態ならどういうアプローチがあるかみたいなのは探れてきてるけど、磁器土はほとんどゼロに近いので、何をやっても想像の下になってしまう。というか、「粘土ならこうやればうまくいくのに、素材感が違うからうまくいかない」という制作工程上での細かな認識のズレが、小さなストレスとして蓄積されていって、単純に制作していてイライラしてきてしまう。難しい。陶土で造形するときと同じ動きをしていると良い結果にならないという気持ちがある。僕が陶土で形をアプローチするときはもっぱら紐つくりなので、まずはそのアプローチを避けてみるべきなのかな、と思った。となったところで、凡人が真っ先に思いつくのは塊からのアプローチで、まぁそんなわけでくりぬいただけの土紐をまとめてオブジェ態に重ねるというやり方になっていき、結果としてツイッターにあげてる画像や動画のような今までより若干きしょい感じのオブジェが出来上がったのであった。


「はらへったけど何食べたいかわからんから無限にぼーっとしてしまっている」

そもそも料理するの億劫だからやらないに越したことはない人間というのがあり、さらに何でもいいから口に入ればそれでいいっていうタイプでもないので、明確に今の自分が食べたいものを自覚してから食材を買ったり惣菜を買ったりして満足しながら食事がしたいめんどくさい人間なのである。で、何が食べたいのかわからない場合、めちゃくちゃ腹が減っててもぼーっとしてしまって、更に腹がへって、でも何が食べたいかわからないからぼーっとしてしまって……のループが発生する。でもまぁそういうときはたいがい最終的に塩っぽいもの食べて酒飲んだらそれだけで満足するんですけど。30超えて不健康な夜を過ごすのは本当にまずいよなぁという気持ちを抱えながら。


「食葬、倫理が進んで安全可能になった世界でなら少しやってみたい感ある。」

尊敬する親族や、愛する人に先立たれたときに、その人の一部を身体に宿して供養できるなら、かなり良いのではとか思ったりした。倫理的に大丈夫な世界になって葬儀の場で「食す選択肢がありますが、如何なさいますか?」って聞かれたら、たぶん食べると思う。そしてたっぷりと泣くんだと思う。


「プリングルスの塩味は塩がきついので腹減ってるときに酒と一緒に食べるとキマってしまうし、何をどう考えても身体に悪いことがわかる」

腹の肉がまじで溜まってきて、本当にやばいなという気持ちでいっぱいになっている。やばい。

いいなと思ったら応援しよう!