ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な17
「SNS以外の表面」
誰もいいねしていないけど僕自身だけがいいねする。そういうつぶやきが最も重要なものだったりするのではないかと思う。作品の表面を感じることはとてもとても大事で、それはSNSツールが主流になってるからこそ強くなってることだと思う。
「家のなかで体を動かすことが恐くなっています」
自分自身に対するストレスがすさまじいことになってしまったときとかに起こります。何をやっても、どこに何を動かしても、それが怒られになってしまうのではないかという恐怖や疑念や苛々になっていって、何にも動けなくなっちまうみたいな状態。たまに起こる。
「陶芸やり始めて10年近くはヘタクソ側にいた人間としては、陶芸教室でおばさまたちに「最初から上手い人」扱いされるのが若干のストレスにすらなってしまう。先生は最初から出来てたでしょ〜と根拠なく言われることで、10年近く頑張った過去を無かったようにされるのは個人的に辛い。」
これサバ読んでるんですけど、この記事書いてるとき33で、陶芸は18歳からだから15年やってるんだけど、自分が「下手ではない側に入れたな」と実感したのはここ数年の話なので、13年ヘタクソ側にいたというのが正しい表記ですね。そもそも僕は最終学歴こそ院卒だけど学部は一般私大だし、「美大出ました」の一言だけで勝手に才能メッチャある上手い人と思われるのは個人的な感情としては正直ちょっとしんどい。
「自分の元々あるセンスだけでやってける人なんて一握りだし、ほとんどのそうじゃない人は引き出しの多さと引き出しを利用する技術を外からひたすら学んで増やしていくしかない」
僕は自分が才能無い側に居ると強く信じているがこそ、出来る作品の攻め方があると思い、そういう制作を考えていった次第なのです。信じられるセンスなんて持ってないから始まる表現もある。
「陶芸という美術の一分野でオブジェものを作ってるだけの人間がそもそも偉いわけなんてないのである。」
トートロジーだけど、偉い人は偉いから偉いんですよね。美術だけやってる人が偉いわけないだろうが。みんなもっと他ジャンルの賢い人たちの様子を観測して絶望しよう!