ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な
「アドバイスをするっていうのは、相手を自分にとって理解のしやすい、自分の尺度におさまる人間に変質させてしまうリスクがある。」
陶芸教室で実技スタッフとしてバイトしている日常があり、通われているいろんな人たちに陶芸の技法や制作においての考え方といったことを教えるという仕事をしているのだけど。おじさまおばさま達は別に作家活動をしているといったわけではないのだけど、それでも教えてる立場として一番嬉しいのは、僕が思ってもみなかった才能を開花させて素晴らしい作品を作り上げる瞬間に立ち会えたときだ。それは制作しているその人自身が努力することで達成できることで、僕はあくまでそこに至るためのお手伝いをするというのが業務だと思っている。なのでアレコレ言葉を考えてアドバイスをしていくのだけど、人によってはそのアドバイス通りの動きしか出来なくなってしまうことがある。教える側としては「自分の考えそのままの制作をしているのでめちゃくちゃ教えやすい状態」になるのだけど、それはその人自身が持っていた独自の作風の可能性を殺しているのと同じである。その人その人に何を言えば最適な状態で制作ができるようになるのかを考えることはとても難しいけど、自分の予想通りの生徒に仕立て上げてしまうのは教育側の怠慢だと思う。
「休日の過ごしかたがあまりにも下手クソで泣いてるんだけどじゃあ上手な過ごしかたって何だととなるとはっきりなビジョンが無いし、上手な過ごしかたのビジョンが無いうちはいくら頑張っても休日の過ごし方が下手クソという感情は消えてくれないのだと思う」
休日ってまあぼーっとする時間が普段より多くなるものだけど、それしてると「今日なんもしてねえ〜〜泣」ってなってバッドになるし、「最高の休日にするぞ!」つって予定ギチギチに入れたらめちゃくちゃ忙しくて全然身体休まらんくてこんなん休日じゃないやろってなる。大学生のとき電車通学中に本を読むのが日常としてあったせいで、家の中でじっとしながらの読書がすごく苦手なので積ん読を消費するぞ〜〜ってのもなかなか出来ない。カフェ行けってことなんですかね。や〜なんもかんもめんどくさいよ。何もしたくない、そもそも休日の前日は明日は休みだーって夜に多めに飲酒するからだいたい二日酔いになってて身体も重いし。もうだめだー。今日なんもしてねえ〜〜泣
「猫、好きなんだけど子猫の造形バランスは苦手なんよな。不気味だなーとさえ思うときがある。」
猫に限らず動物の赤ちゃんは苦手な造形バランスしてることが多い。人間も同じ。バラエティ番組で動物の赤ちゃん特集とかしてて芸能人の人らがワァ〜かわいい〜って言ってるのぶっちゃけよくわからんかった。
「僕は他人のことを好きになるにも嫌いになるにも判断するのに何年もかかるというのがあり、好きか嫌いかわからん間は普通に仲良く関係をつくるし、あるとき何かのきっかけで「あっ僕この人のこと嫌いやな」となって会わなくなったりする。」
好きになった人のことを好きになるのに、その人のことを認識してから平均2年かかってる。あと大学のとき出会った友人のことを何年か前に「あ、こいつ嫌い」ってなった。それは9年かかった。でもこういうのはむしろ嫌いという感情が出来上がっても問題ないと判断したから嫌いという自覚を出したのかもしれんな。「僕はこいつのことが嫌いだから、こういう振る舞いをしてきたときに自覚的にイライラすることができる」ということを自覚できる、のは関係を円滑に保てるためには逆にとても効果的だと思ったりする。
「絵だ!」
絵がうまい人が描く絵はうまいんだね。と一言で言うのはたやすい。絵がうまい人が絵がうまいと言われるようになるまで、どれほど努力をしてきたかということを他者が想像するのはとても難しい。