ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な25

「LINEでしばしば二重人格みたいになる」

チャット系のツールではわりと脊髄反射で文章を打ち込んで送ってしまうので、送ったあとに自分で「これはちょっとまずかったかな」と思って自分の書き込みにツッコミを入れてしまう。自業自得が生んだ悲しきモンスターなんですな。


「作家という存在が何かをつくるという業に支配された人っていうのなら、僕は本当に作家に向いていない。そんな自分が15年も創作を続けられてるのは、ひとえにずる賢いから。」

文字どおり作品をつくり続けてる知り合いとか見てると、作家という存在に本当に業を感じる。僕は別に作り続けてるわけでもなんでもなく、運良く環境に身を置けているだけなので、そういう人たちを見てるとひたすらに畏敬の念が生まれる。そんなことを言ってると運も大事よ、と必ず言われるのだけど、自分で場所をつくる努力もせず他人の場所に点々と移動してるだけなので、金魚のフンをしてるだけだし、ただずる賢いだけなのよ。でも自分も作家としてちゃんとした活動を少しでもやっていくのなら、いつかはきちんと業を感じられる態度をとってかないといけないし、その覚悟を少しずつとっていく必要がある。


「ツイッターは、アートの高尚さを語る人とぽよんぽよんのおっぱいを描く人が同じTLに並ぶから尊いんですよ。」

ツイッターは情報のゴミ箱なので、すべての価値が等価に流れていく様が本当に美しいと思うのです。


「さっき見てきた展示、スペースが完全床暖房だったのでそれだけで100点!100点!100点!100点!100点!って叫んじゃった(本当は叫んではいません。ツイッター特有の誇張表現です。100点と思ったのは本当です。)」

ツイッター構文とオモコロのネタをただ引用して混ぜることでしかネタツイをすることが出来ない、スマートの欠片もない悲しきツイ廃のつぶやきですな。


「昔は「陶芸の焼成は一期一会だから一回しか焼かないよ!」って思ってたのに、わがままになったもんだ。」

つまりは焼く前から作品の完成ビジョンが明確に見えるようになってきたってことで、それはとても良いこと。暫定ゴールは頭の中に見ておくが、偶然生まれた焼き色に関しては全否定せず新しいゴール地点を見つけられる余裕を持っていきたい。ゲームのグッドエンドとトゥルーエンドみたいですね。


「液タブの泣き声が聞こえる」

知り合いとSNSでコミュニケーションをとることを利用して部屋の掃除をしていくし、そういう理由付けをしないと自分しか使わない空間の掃除が出来ないのであった。


「炭酸水の刺激と炭水化物による脳への気持ちよさでアルコールと同じ身体感覚を得られることが知られている」

これでいけるならいよいよ節酒が可能になってくるんだけど、どうなんだろう。特に意味のない場面の一人飲酒を抑制できるようになれればいいね。お酒は誰かとゲラゲラ笑いながら飲むから楽しいのだ。

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