ツイッターに書いたつぶやきの補完つぶやき的な12

「頭がむにむにする」

起きてからしばらくあった頭痛は二日酔い的症状なんだろうけど昼過ぎてからもずっと痛かったのはたぶん気圧のせい?だったのかどうか、結局よくわからんけど、珍しく一日中頭痛があったので思わずバファリンをぬんだ


「ふつうに休日を過ごしちゃってるよ、やることいっぱいあるのに」

休日なんだから休日を過ごすことに罪悪感なんて感じなくていいはずなのに、何にもしてないとなぜかめちゃめちゃ嫌んな気持ちになってしまう。いやまぁバイトが入ってないってだけであって自分の制作はしなきゃいけないので、それはむしろバイトのある日以上に仕事の日だろというあれなのですが。家で自分の制作をやってる日々の合間にバイトを行ってるという気持ちを忘れてはいけない。


「セルフポートレート皿」

正直絵付けのネタが無いから書いてみたって感じなんだけど、自分の展示の略歴ボードとかの側にこれ置いとくのはアリだなって思った。


「こういう日々を過ごして、謎に収入はたっぷりとある謎のオッサンになりたい人生だった」

今の自分の制作ペースでこういうのをやろうとするならば、作品がひとつ数十万でコンスタントに売れるみたいな状態にならないと出来ないなという気持ちなんだけど、本当にそれくらい売れるようになったとしたらそれはそれで国に申告するアレコレに振り回されそうで嫌だなぁ嫌だなぁという感じなのであった。金に関する悩みについて考えるのはマジマジのマジで嫌いだ。


「ジャーマンポテトつくるのだいぶ上手くなってきた」

つうか新じゃががうますぎるんだよな。


「板皿絵付けおわた」

依頼物その1。リクエストに応えつつ、書き方をほんのすこしだけ変えてみたりなマイナーチェンジをしてみている。板皿なので変な歪み方をしないことを祈るだけなのだわ。


「ごちゃごちゃしてるからややこしそうに見えるけどやってることは単純な作業の繰り返しなのでやる気さえあれば素早く終わる、つまりやる気が起こらなければ……」

僕の絵付けってフォトショとかでいうレイヤーを完成図から逆算して順番に描いていってるだけなので、順序を守ってネチネチと書けば誰でもこの程度の多少の複雑さが見える(ように錯覚させる)絵付けはできる。個人的に思うこととして、自分のやってる技法なり道具の選択なりっていうのが、僕だけに許された評価という風になるのではなくて、同じやりかたでも他人がやればこんなに雰囲気の違うものができる!楽しいね!って感じに普及していく方に評価されていったらいいなぁと、最近はとくに思う。だから技法のことなんて秘密主義にするつもりなんて全くないし、いろんな人(特に他分野の人)に話していきたい。


「側に置いてるコーヒーに羽虫がジャンジャン飛び込んでくる」

暗めの土間でスポットに当てられて光が反射しているミルクコーヒーは、小さな虫たちにとっては希望が光る甘美な池に映ったのだろうか。


「日本の現代陶芸は現代美術的扱いに慣れてないから値段も抑え気味みたいなのもあるとは思うけどそれはそれとして現代アートの天井作品が高すぎる」

ツイッター的おどけ文体で書いたから誤解を招くんだろうなぁと思いつつ、まぁいいかとそのまま投稿するなど。陶芸はクラフトという生活雑貨ジャンルがあるから、なかなかどうしてバカ高い値段でマーケットに出すことにためらいが出てしまいやすい構造なのかも、とか思う。めちゃくちゃ上手なうつわを作る人たちが全然リーズナブルな値段で売りさばいてるんだから、畑は違うと理解はしていても、なぁ〜って感じ。もちろんそれ以外にも色々と理由はあるけど。


「次に絵付けするやつたち」

そして、依頼物2へ・・・

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