文学的センチメンタリズムなのか(しかも昭和)
泥棒猫です。
前にも書いたことがあるけど、彼の好きなところに「素直」、「褒める」というのがある。これはいつも見習いたいな〜と思ってる。
一緒のタイミングで眠るというのも、毎日「今日もありがとう、時間を合わせてくれて」とか、「ううん、私こそありがとう」と返すと「ううん。俺が嬉しいから。俺のエゴだから」とか。メッセージが行き交う。
彼はロマンチストなんだろうな。そして私も、自分の中の乙女を持て余すぐらい輪をかけてロマンチストだったんだな、と気づいた。彼といることで。
でもこれってある意味、不倫ならではの刹那的な感情の盛り上がりなんじゃないのかな。泥棒猫的立ち位置ならではの、と思っていたら親友曰く、
「いや、あなた達二人はもうそれ文学だから」
・・・そうなの?
「しかも昭和の。太宰とかそうゆうやつ。」
だそうです。あ~なんか、妙に納得。
私たち二人はヘンに古風なところがある。言葉の応酬とか大袈裟だし。
そしてそこがお互いに合い過ぎるほど合致してしまったんだよね。奇跡的に。
文学的センチメンタリズムなのね、しかも昭和の。
いいとか、悪いとかじゃなく。
その表現がとてもピッタリだな、と腑に落ちた連休でした。
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