受け取り力の高い人は発信力も高い。そしてさらに受け取るのだな。
泥棒猫です。
ここ1年くらい、ずっと考えてる。『受け取る力』について。
私はこれまでの人生で誰かに惜しみなく愛を注いだことがあるかな。あるか。その時その時、好きになった相手を全力で愛したつもり。愛情表現が下手すぎて間違っていたんだったとしても。
では、逆にこれまでの人生で愛を受け取ってこれたか。これは・・・・自信がない。というより「そもそも誰からも愛されなかったし」と思っていたこともあるし。そう思うほうが楽だったから?そうかも。
好きな人に思いが通じ、相手もこちらを好きになってくれる。その瞬間から「嫌われたらどうしよう」「おいていかれたらどうしよう」と不安になる。でもその通りになったら予定調和に満足。というか「やっぱりね」と諦める。その繰り返しを飽きずにやってきた。
恋愛だけじゃないな。むしろ仕事でもそうだ。抜擢されるとフリーズして「失敗したらどうしよう」「私には無理」となり、それを埋めるため人の倍の量をこなさないと追いつくわけない!と無理ばかり。そしてギブアップして「やっぱりね。私には無理って言ったじゃん」となる。
どうして、好きになってくれたときの自分、抜擢された時の自分にダメ出ししてしまうんだろうか。うーん、そんなややこしいことを、いちいちなんで???どうして???
それで「そうか!私、受け取る力がないんだ(または低いんだ)」と。
父に、プレゼントを渡した時のことを思い浮かべる。父の日の、還暦の、古希の・・・喜んではいたな。嬉しそうだった。
でも何か必ず金額に対するコメントが入るよなぁ。「高いんじゃない?」とか、逆に「安いやつ?」とか。または、「こんなにまでしていらんかったのに。」みたいなことも言うな。
そしてなかなか使わない。気に入ってないのか、それともあれは照れ隠しなのかな。でも可愛くないっ。そのくせ自分の誕生日にケーキがないとダメな人なのだ。娘と孫の誕生日ケーキはどうでもいいくせに。だから本当はお祝いして欲しがってるし、プレゼントも欲しいと思ってる。だって「娘からもらった!」と親戚の伯父さんに自慢してたし。
逆に母はプレゼントに対してあっさりしてる。「あ、ありがと」って感じで、もらったらすぐ使うし。「来年は財布がいいな」とかすぐ言うし。
それで、どっちが贈る側からしたら嬉しいかというと、やっぱり母のような人なのだ。母は受け取り力が高かったのか。今、知った。
私は父のようなタイプだなぁ。反省。受け取り力がない。たとえばサプライズされたら「きゃ~!うれしい!」とはならないで、わわわってなる。慌ててヘンな対応をしてしまう。貰いなれてないのもあるけど、恥ずかしいのかな。とにかく野暮ったい。
さて本題。彼はとてもうれしいことを言ってくれる人だ。褒めまくるし。今まで生きてきて褒められなかった分を差し引いても、多分もう一生分の誉め言葉を貰ったかもしれない。
昨日、体調が悪かった私を心配してくれたので「ごめんね、心配かけて」と言ったらこう返ってきた。
「いいんだよ。俺は心配できる立場にいるのが、一番のご褒美なんだから」
す、すごい。こんな言葉、出てこないよ。そしてこれまで見てきて思った。この人は、受け取り力の高い人で、今までたくさん素直に受け取ってきたんだ。だからひとにも発信できるんだ。
私は受け取り力が低いから発信力も低かった。でも彼からは全て受け取ると決めたので、これからはどっちも高めたい。
出し惜しみしないって、すごく難しい。すべて受けとるのも同じくらい難しい。どっちも人生で大切なことなのに、いまごろ気づいた。でも気づけて良かったな。
惜しみなく受け取ろう!!!奪うんではなくて。
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