アダ名で呼び合わない大人たち
アダ名が欲しい。大人になるとアダ名文化が薄れて来る。ただ、アダ名で呼び合った方が絶対楽しいと思う。ジャイアンとかブタゴリラとか。いや、ブタゴリラはどうだろう。余談だけど、トンガリは本名らしい。
過去も現在も、オレの呼称は本名が多い。関係性によって呼び捨てにするか敬称を付けるか、と言う違いぐらい。しいて言うなら中学の頃、一時的に“エロメガネ”と呼ばれていた。ほぼブタゴリラだ。一応、そう呼ばれたキッカケを記すと、同じ剣道部の女子の先輩の胸を竹刀でつついたから。エロメガネ過ぎる。
そんなエロメガネはさて置き、もしアダ名を付けるなら多少のルールは設けたい。まず、自分から名乗って浸透させるのはアウト。これを許すと何でもアリになってしまう。この行為はウーチャカにしか許されていない。次に、本名をもじるのもアウト。なぜなら、事象を由来に持つ自然発生的な方がイケてるから。そう考えると、シブタクは酷い。そりゃデスノートに書きたくもなる。
しかしながら、過去に出会った中でそれをクリアしている人は意外と少ない。パッと思い浮かぶのは、“キャシー”と“セレブ”ぐらい。キャシーは、英語の授業で「Takeshi is〜」と言う文章を聞き取れず、「キャシーは〜」と訳したことが由来。ちなみに男だ。セレブは、学校の購買で「私、これしかないわ〜」と言って、その環境に似つかわしくないツェーマンを出したことが由来。また、ふくよかな体型が富裕層っぽかったのも所以だろう。ちなみに女だ。ルッキズムって言葉は当時浸透していなかった。
もしかすると、アダ名で呼ばないのは現代の風潮なのかもしれない。大人云々ではなく。そうだとすれば、差別意識を無くす上で非常に良い取り組みだと思う。素敵だ。とは言え、アダ名文化が無くなるのはちょっぴり寂しくもある。可能であれば、偏見に満ちた色眼鏡は外して呼び合いたい。いや、エロメガネじゃなくて〜。