ダブル・リミテッドを超えて

音楽が拓く子どもの可能性

とある法事での出来事だった。
お世話になっている身内の方と話している時に、
その会話は始まった。

12歳の子どもの話で、かいつまんでいうと、
母語、第二言語の両方ともが不自由で、
いわゆる学習不適応という状態になっているという話だった。

私は、音楽家としてのキャリアの傍で、
日本にあるインターナショナル・スクールのアシスタントをしていた時期があり、
その頃、発達に困難を抱える児童のサポートをしていたこともあり、
直感的に”ダブル・リミテッド”の状態にある、ということがわかった。

しかし、なるほど会ってみれば、
その子は非常に聡明で、
心が優しく、いい意味で機転の効く「賢い子ども」であった。
言葉はなかなかうまく出てこず、
考えるよりも早く反応してしまうため、
口から出てくる言葉は必ずしもその子の
心の中を反映はしていなかったけれど、
その子が何を言わんとしているかは
誰よりも伝わってくる、そんな子どもであった。

だけど、
学校や社会では、自分の気持ちを言えない子どもや、
自分の気持ちをうまく相手に伝えることができない子どもは
あっという間に「よくわからないやつ」というレッテルを貼られる。
おかげでその子は、自分より低い学年の子とは付き合えるけれど、
当該の学年の子どもたちとはなかなかうまくやっていけず、
このまま中学校に進学するなら、、、、ということを口にするようになり、
びっくりしたご両親からの相談だった。

この時私に咄嗟に分かったのは、
その子が、言葉ではうまく伝えられないことを、
別の方法であれば実に器用に伝えることができる、
ということだった。愛嬌があり、人との距離の取り方も上手い。
相手の理解に寄り添う力も十分に持っている。
手振り身振りを大きく使い、
擬音語や擬態語を自由自在に使うことで、
なんとか自分の意図を相手に伝えようとする姿や、
相手の話を理解していなくても、理解している事にして
先の話を聞く事で、話の全貌を掴もうとする姿は
その子がコミュニケーションに苦労してきた歴史を
まるで払拭するかのように、
生き生きと輝いていた。

その子と、民族楽器を通じて交流するようになり、
改めてその子の本当の力を見るような気がした。
リズム感が良く、器用で、物覚えも早い。
あっという間に簡単なフレーズなら覚えてしまい、
合奏になったら、わからなくてもなんとなくで
演奏についてこれる。

そうこうしているウチに、
その子はみんなから愛されるようになった。
学校という枠組みから外れた瞬間に、
その子はありとあらゆる手段を使って
コミュニケーションをとることができた。

言葉は伝わっていなくても、
学校全体が醸し出す雰囲気のようなものの中で、
その子なりに「許されること」と「許されないこと」を
感じとった結果、学校の中ではその子は
「つたえようとすること」も、「つたわること」も
諦めるしかなかった。

その学校という機構が崩れ、
一人と一人の人間という関係になった時、
その子は水を得た魚のように生き生きと
世の中に対峙し始めた。
そこにいるのは、「できない子」ではなく、
「どんな状況でもなんとかしようとする」子だった。

そして、その起爆剤になったのは、
「音楽」という私のごくごく身近にあるものだった。
ここが、私の研究の原点だった。

• 音楽が「言葉に頼らないコミュニケーション」の代替手段となるのはなぜか?
• 音楽的活動がどのように自己効力感や社会的承認を高めるか?
• 学校の枠組みが特定の子どもの可能性を制限する要因とは何か?

それを求めて、私は研究の船出へと旅立ったのである。

いいなと思ったら応援しよう!