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ウズウズ渦巻く、刺激たっぷりカレーパスタ
私が働いているレストランには、常連のおじいちゃんがいます。
いつもお洒落なハットを被っていて、風のように現れて、そして差し入れをくれます。
男性スタッフが多い日にはウィスキー、女性スタッフが多い日にはシュークリーム。
暑い日にはハーゲンダッツ、寒い日にはタコ焼き。
はたまた高級食パンやドーナッツなどなど。
しかも最近に至っては差し入れだけに留まらず、自ら率先して食器やグラス拭きまでやってくれる優しいおじいちゃんです。
おしゃべりしてる時はいつもニコニコ楽しそうで、冗談を言っては私たちを楽しませてくれます。
食べ方が少々汚いのが玉に瑕ですが、私だけではなく、どのスタッフからも親しまれている人気のおじいちゃんなのです。
そんなおじいちゃんはカレーパスタが大好きです。
カレー風味の肉味噌と、本場イタリア産の唐辛子をふんだんに使った、刺激たっぷりのカレーパスタです。
「刺激的なパスタが食べたい」という、おじいちゃんのリクエストに応えて作り始めた、おじいちゃんの為の裏メニューです。
「オレくらいの歳になると、これくらい刺激がないと食べた気がしないんだよ」
そう言いながら、いつも美味しそうに食べてくれるので、私としても、とても作り甲斐があるのです。
どんよりしたある日の昼下がり、そんなおじいちゃんが急遽入院することになったと、人づてに知らされました。
どうやら血管の詰まりをとるための手術を受けなくてはならないようです。
もともとあまり健康的なおじいちゃんではなかったので、私も含め、他のスタッフも皆とても心配していました。
2週間ほど経ったある日のお昼過ぎ。
いつものように、おじいちゃんが風のように現れました。
昨日退院したと言うおじいちゃんは、顔色が悪く、ふらふらで、いつもよりも痩せて見えました。
実際に3キロ痩せてしまったらしく、もともとスリムだった体はさらに細くなり、強い風が吹いたらすぐに飛ばされてしまいそうです。
おじいちゃんはいつになく弱々しい声で言いました。
「あんな味のしねぇもんばっか食ってたら治るもんも治んねぇや」
どうやら病院のご飯が口に合わなかったようです。
更におじいちゃんは私の顔を見て言いました。
「シェフ、カレーパスタ作ってくれよ」
私はそれを聞いて、言葉を詰まらせてしまいました。
カレーパスタを作ること自体は何も問題ないのですが、退院したばかりで体が弱っているおじいちゃんに、刺激的なパスタを食べさせて大丈夫なものなのか分からなかったのです。
私はおじいちゃんに訪ねます。
「急に味の濃いもの食べて大丈夫なんですか」
するとおじいちゃんは言いました。
「退院したんだから大丈夫だろ。でも一応薄めに作ってくれよ。オレだってまだ死にたくないからな」
私はそれを聞いて、おじいちゃんが想像以上に弱っていることを悟りました。
いつものおじいちゃんだったら絶対に、「薄め」なんて弱気な発言をしないからです。
私は不安な心を引きずったままカレーパスタを作り始めました。
おじいちゃんはカウンター席に座り、布巾でグラスを拭いています。
もし食べてる途中で具合が悪くなってしまったらどうしよう。
そう思うと必然的に刺激物は排除され、味は薄まり、アルデンテは遥か彼方に通り過ぎていきました。
「お待たせしました。味薄め、刺激少なめ、麺柔らかめです」
私がカレーパスタを差し出すと、おじいちゃんはそうそうコレコレと喜び、早速フォークを手に取りそれを口に運びました。
私は仕込み作業をしながら、チラチラとおじいちゃんの様子を伺っていたのですが、無言で食べ続けるおじいちゃんの表情からは、何も読み取る事ができませんでした。
ただ、おじいちゃんが使っているフォークだけがなぜか、とても重たそうに見えるのでした。
いつもよりも時間をかけてカレーパスタを食べ切ると、おじいちゃんは席を立ち、勘定を済ませ、「ありがとう、また来るわ」と言って自宅のある方へと帰っていきました。
おじいちゃんが大きな交差点を渡り切るまで、私は後ろから見守っていました。
ビル風がひゅっと吹き抜けると、本当に飛ばされてしまうんじゃないかと思うくらい薄っぺらで、まるで足の生えたトランプが歩いているようでした。
それから2日後。
おじいちゃんがまた風のように現れます。
この日のおじいちゃんはいくらか顔色も良く、前回見た時よりも、はるかに元気そうでした。
「いくらか元気そうですね」
私がそう言うと、おじいちゃんは言います。
「早くうまいもん食いたいからな」
相変わらずの減らず口に少しだけほっとしたのも束の間、おじいちゃんは続けて言いました。
「もう一回入院すっから」
そう言って、おじいちゃんは差し入れのサクランボを置いて、風のように去っていきました。
それからというもの、私の中でウズウズが渦巻いています。
早く元気になったおじいちゃんに、刺激たっぷりのカレーパスタを作ってあげたくて、堪らないのです。