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豆と、お焦げと、かくれんぼ
残り物というと、やはりどことなく物悲しい雰囲気がつきまといます。
どこの家庭でも、冷蔵庫を開けてみれば1つや2つあるのではないかと思われる残り物は、大きく分けると2つのタイプに分類できます。
「あっ、これまだあったんだ」というラッキータイプと、「げっ、これまだあったんだ」という、げんなりタイプです。
前者は多くの場合、冷蔵庫の手前から拳一つ分ほどの距離にあり、味噌のパックの裏側などに潜んでいることが多くあります。
左右どちらかの側面に接していることが多く、ほとんどの場合は2〜3日のうちに発見されます。
後者の場合は、奥の方においやられていることが多く、完全に死角に入ってしまっている為、早くても4〜5日、長い場合だと物によっては2〜3週間発見されないこともあります。
げんなりタイプの中には、もともとラッキータイプだった物も多く存在するのですが、タイミングが悪かったために救助されず、気づいたら奥に追いやられてしまうこともしばしば。
例えば、食べかけの羊羹などがこの類いです。
「あっ、この羊羹まだあったんだ。ラッキー、後で食べよう」と思っても、次に冷蔵庫を開けた瞬間には、「今は羊羹って気分じゃないんだよね」となってしまい、そのまま奥の方へ追いやられてしまうのです。
私はこのげんなりタイプの残り物を見ると、子供の頃にやった「マンションかくれんぼ」を思い出します。
当時、友達が住んでいた大きなマンション全域を使って行われた、かくれんぼ大会で、結局、鬼が隠れている人間を1人も見つけることができずに、自然解散となってしまった思い出のかくれんぼです。
私がその日学んだのはかくれんぼで大切なのは、上手く隠れることじゃなくて、ちゃんと見つけてもらうことなんだということでした。
そんな幼き日の淡い思い出とともに、私はキッチンの乾物コーナーから、節分の豆の残りを見つけました。
どちらかと言うとげんなりタイプではありますが、我が家から鬼を追い払い、福の神を招き入れてくれた義理もあるので、私はそれを炊き込みご飯へと昇華することにしました。
浸水したお米と水を鍋に入れて、醤油、酒、みりんを加えたら、鶏肉、椎茸、人参、生姜、豆を満遍なく散らします。
そして蓋をして、やや強めの中火にかけます。
7〜8分ほどすると蓋がカタコト言い始めて、生姜の香りが漂ってきます。それを合図に火を弱めて、そのままさらに10分間、じっくりと加熱したら炊き上がりです。
「もういいかい」
「まぁだだよ」
今すぐにでも蓋を開けてしまいたくなる衝動をグッと堪えて、がまんがまん。
「もういいかい」
「もういいよ」
15分ほど蒸らしたら、いよいよ蓋を開ける頃合いです。
私は炊き込みご飯の蓋を開ける、この瞬間が大好きです。鍋の中に閉じ込められてられていた香りが、一気に解き放たれるこの瞬間が堪らないのです。
「みぃつけた!」
鍋の蓋を開けてしゃもじを入れると、そこには、きれいな茶色のお焦げができていました。