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まちづくり人材育成プログラム・JaLoGoMa(ジャロゴマ)で気づいたこと②

2024年7月、4年ぶりに対面で開催された、ポートランド州立大学の日本人向け特別プログラム「JaLoGoMa(ジャロゴマ)」に運営ボランティアとして参加させてもらった振り返り記事です。前回のものは下記からどうぞ。

2024年版 プログラムの日程

JaLoGoMa(ジャロゴマ)のプログラム内容は毎年変わりますが、参考に今年の日程をご紹介。

自己紹介とエンゲージメント(つかみ?)

多種多様な立場で街づくりに関わる人たちが、日本各地からここ、ポートランドに集まった。何事も、地球のどこでも、誰が相手でも、最初はやっぱり自己紹介だ。

これが既にとても面白かった。政治家のみなさんは、普段からいろんなところでいろんな人を相手にお話ししているからやっぱり上手だし、他の皆さんも、それぞれの想いと経験があり、自己紹介の時点でワクワクだった〜♡

私はポートランド州立大学で、ソーシャル・プラクティス(Social Practice)とかソーシャリー・エンゲイジド・アート(Socially Engaged Art、SEAと呼ばれることも)とか呼ばれるものを実践・研究している。(所属するプログラム名は”Art and Social Practice”)日本では九州大学がソーシャル・アートと呼んでいるので、とりあえず、ここではソーシャル・アートと呼ぶことにする。つまり「社会と関わるアート」だ。

この分野においては、当然ながらどうやって人やコミュニティとエンゲイジ(関係性を構築)するかということが鍵になる。その第一歩である自己紹介は、ソーシャル・アーティストにとって、いわゆるエレベーターピッチのチャンスのようなものだ。相手が聞く姿勢で、「知りたい」と思ってくれている時に、それをしっかり返したい。自己紹介は関係性のスタートラインであり、仲間を見つける最初のチャンス

JaLoGoMa(ジャロゴマ)は、さまざまな立場から社会活動を行なってきた講師たちが繰り返し、”パートナーを見つける重要性””対話の重要性”を語っていた。薄々感じていた自己紹介や、自分のプロジェクトについて話すことの重要性を再確認。自己紹介をもっと研究・練習しようと決心!

ちなみに、5歳から始まるアメリカの教育でいいなと思うのが、この「自分のことについて話す」機会に溢れているところ。日本での自己紹介は子どもの頃から「名前と所属と〇〇を言う」みたいに、型にはまっていることがほとんどだと思う。けれど、アメリカではさまざまなバリエーションを見た。

例えば、5歳の時には、家族に手伝ってもらって、大きな模造紙に自分の体の枠を描いてもらい、そこに自分にまつわるイメージ(写真やイラスト)を貼り付け、文字を書き、自分についてのポスターを作ってた。そしてそれを見せながら自分の説明をするというプロジェクト(?)があった。

10歳の時には、紙袋に自分の好きなものを5つ入れてきて、それを一つずつ取り出しながら紹介すると言う自己紹介をしていた。そして、高学年になるにつれて少しずつアカデミックなプレゼンテーションを行っていく。

そりゃ、話すのが上手になるよねw 今の日本の小学校ではどんなことをやるのだろう?(娘は10歳まで日本にいたけれど、不登校だったので知らない…)

もちろん、アメリカに暮らす全員が自己紹介が上手なわけではない。口下手で話すのが苦手な人もたくさんいる。私が指摘したいポイントは「自分が何者で、何をしたいのか」を考えて、言葉にする機会が日本よりたくさんあるということ。

日本では「主人公はどう思ったか?」を一生懸命に考えている時に、アメリカでは「自分はどうしたいのか?」を考えている。そんな印象。(別にどちらがいいとか言うことではなく、そういう違いがあることを認識することで視野が広くなるよね!)

行動することの力強さ

JaLoGoMa(ジャロゴマ)の講師の一人が「とにかく、ぐちゃぐちゃでもいいからやってみる。それで何かが起こったらそれに対応して、少しずつ進んでいく。めちゃくちゃでもいいんだよ。やめないこと、進むことが大事」と熱く語ってた。

国外では、日本の感覚からすると「いい加減」とか「無責任」とか「ガサツ」と思えるような言動をする人がたくさんいる。だんだん慣れてくるけれど、二つの文化と習慣に挟まれて、私はどうすればいいのだろう?どうしたんだろう??と悩むことも多い。

それが今回、私なりの一つの答えを得ることができた。(その話はまた次回。)

「ポートランド市民のリビングルーム」と呼ばれ、観光スポットの一つでもあるパイオニア・スクエア(正式にはPioneer Courthouse Square)。街のど真ん中にあるこの場所が、市民のレンガを購入する寄付金で運営されていることは以前から知っていたけれど、そこにたどり着くためにゲリラ的なアート制作が行われたこと、あの構造物がアートであることを私は知らなかった。

「ポートランド市民のリビングルーム」と呼ばれ、ハードパーク(草木や砂ではなく、構造物でできている)として知られるパイオニア・スクエア。この階段だらけの造形物は、”公園の機能”としては「手すりがない」などで許可が降りない。”アート作品”として設置することで実現しているそう!
たくさんの市民の寄付で成り立っていることを実感できる、名前の入ったレンガたち。
1951年、この場所は駐車場だった。周りは重厚な高層のビルに囲まれている。

パイオニア・スクエアがあるこの場所には、その昔、公立学校があった。その後、さまざまな所有者を経てホテルになり、その後、駐車場になった。2階建てだったその駐車場を11階建てにする計画が浮上した時、多くのポートランド市民から大きな反対の声が上がった。(確かにここに高層のビルが立つと死角も多くなるし、周辺は影になって街のデザインとしては居心地は良くないだろう…)それによりポートランド市は、その申請を却下せざるを得なかった。

これをきっかけに、この場所をどうするか考える「ポートランド・ダウンタウン計画」が始動。市による区画の購入、国際的なデザインコンペティションの開催、そしてデザイン案の選定のための、行政および政治的な交渉などが時間をかけて行われた。

全米の名だたる建築デザイナーたちから申し込みのあったデザインコンペティションで、最終的に選ばれたのはポートランドの地元デザイナーだった。彼らは、彼らのデザインを”ゲリラアート”として、実際の場所にペイントした。「この場所をどう変えようとしているのか」が視覚と体験を通じて市民に共有されたのだ。

市民を巻き込み、ゲリラ・アートとして駐車場にペイント。ビジョンとプロセスを共有した。停まっていた車も塗ってしまったとか。

つまり、かつて公立学校というパブリック空間であったこの場所を、ポートランド市民は自分達の力で、自分達のパブリック空間へと取り戻した。物質的にも、精神的にも。プロセスを共有することで、多くの人が自分ごととして関心を持っている。だから、寄付も集まりやすいだろう。まさに「自分達でこの街を作っていくのだ」という、ポートランドの精神を象徴する場所になっている。今更ながら「ポートランド市民のリビングルーム」という表現に、深く納得。

歴史や背景を知ると視点が変わり、見えるものが変わる。感謝や尊敬の気持ちが芽生えて、人生が豊かになることを再確認した。

そして、全米でも数少ない”ソーシャル・アート(社会的アート)”に特化した、先進的な大学院のプログラムがこの街にあることも納得した。

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