推しが夢を叶えた日
平野歩夢くんのファンである。ソチ五輪の頃にカッコいい子だなぁと思いはじめ、平昌前くらいに本格的(?)なファンになったが、ファン=応援しているという図式にはどこか違和感を持っている。
応援とは?
頑張れ!!!
→いや言われなくても歩夢くん頑張ってるし。
お前がもっと頑張れよだし。
同じスポーツでも野球選手なら観戦したりグッズ買ったりすることで選手への課金になってる自覚はある。好きな音楽ならライブ見に行く、CD買う、グッズ買う、それが推しへの課金になる。
歩夢くんの場合は彼を支えているのはスポンサーの各企業様である。歩夢くんが掲載されている雑誌を買い漁り歩夢くんモデルのユニクロのウェアを買うくらいはしているが(平野歩夢後援会にも2年ほど入会していた)まぁ応援なんて言葉はおこがましくて使えないワード。歩夢くんの「これからも応援よろしくお願いします」をどうゆう形で応援とするのか未だに私はよく分かっていない。私が歩夢くんに対するファン心理はフレーフレーではないので自己満足のみだ。
そんな(どんな?)私の推しである歩夢くんが金メダルを取った。実にめでたい。記念すべき2022年2月11日を振り返ってみる。
決勝のランは3本。問題提議された2本めの滑り。
祈りを込めてテレビの画面を凝視した。ルーティンを完璧に決める歩夢くん。ヨシ!!と思った。
点数が出た。
2位。
2位?????
2位????????
え???????????
頭の中が疑問だらけでぐるぐるした。画面に映る歩夢くんは得点を一瞥してさっさと後ろを向いて歩き出していた。平昌でショーンホワイトに逆転された時と似た冷静な素振りに見えた。(後のインタビューで怒りでイライラしたと発言。それはまた後ほど書きます)
この時の私の心中はというと「またかよ…」と。
何をもってまたなのかは自分でも謎だが往々にして主観だけで得点をつける競技には常にえこひいきが付き纏い実際何度もそんな場面があったと思う。どんなに選手が優れた競技をしても正当に評価されなければ選手は何のために4年に1度しかない大舞台に立っているのか分からない。がっかりし呆れ果てていた。私が審査員なら歩夢くんを100点にして他の選手は全員80点にするけど、私みたいなヨコシマなジャッジは国際スポーツの審査においては許されない。2本めまでは全選手の滑りをちゃんと見ていたけど、とにかく不貞腐れちゃって3本めはまったく見る気がしなかった。それでも歩夢くんの番になったので歩夢くんの3本めはしっかり見守った。見守るつもりだった。
・・・・
うおーーー!!!サブチャンネルの切り替えで見守れなかったー!!
チャンネル変えたら滑りは中盤になっていてあっという間に滑り終わってしまった。どんなランだったのか何が起きたのかさっぱり分からなかったけど、画面の歩夢くんはジャッジが出るのを待っていた。点数が出る。96点。金メダル。優勝。ボードを掲げる歩夢くんの姿が映った。推しが小さい頃からの夢を叶えた瞬間だった。全身の力が抜けてヘナヘナした。ホッとした。よかった…よかった…よかった…。今度はちゃんと評価されてよかった。怪我なく終わってよかった。夢が叶ってよかった。ただただ安堵。涙が滲んだ。
優勝インタビューで歩夢くんが2本めのジャッジに怒りという言葉を口にした。私は一介の場末のファンだがあの歩夢くんが「怒り」という言葉を出したことに驚いた。「イライラした」とも言っていた。相当なことだ。歩夢くんはこの業界を牽引していく、そして広告塔になっていくという自覚を持っている人。だから今後のために自分事として終われない、終わらせてはならないと強く感じたのだと思う。
もう1つ。歩夢くんは金メダルを取ってからようやく「金メダル」という言葉を口にし出した。それまではただの1度も「金メダル」というワードを出さなかった。そこに何か意味があるのか。無言実行の美学だろうか。金メダルは目標の1つであり夢の1つではあるけれど、それと同時に通過点の1つでもあるんだろう。
スポーツにたらればは禁物だが、2本めのランで正統なジャッジがされていたら新技が見られたかもしれない。でも歩夢くんの競技人生はこれからも続くから近い将来いつかどこかで見られる機会はあるはず。オリンピック特有の喧騒は少しずつ落ち着いてゆくだろうが、私の平野歩夢推しはまだまだ続く。
最後に歩夢くんオリンピック金メダルおめでとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします(一方的に)