名馬紹介 ナリタブライアン
【名馬紹介 ナリタブライアン】
「シャドーロールの怪物」と呼ばれ、史上5頭目の三冠馬となったナリタブライアン(1991年生 牡)のことを紹介します。
また、彼を「ナリブー」という愛称で呼び、愛してやまないファンも多くいました。
◆ 前後半に分かれる現役生活
彼の現役生活は、4歳3月に股関節炎を発症するまでの無敵の前半期と、怪我が完治しなかった後半期に分かれます。
戦績も前半期が15戦11勝に対し、後半期は6戦1勝に留まりました。
◆ 前半期の成績
私見ですが、ナリタブライアンの前半期、言い換えれば全盛期は、歴代のどの馬よりも強かったかもしれません。それほど他を圧倒していました。
(1) 2歳
彼がデビューする時には、一つ上の兄ビワハヤヒデが大活躍しており、彼への期待も否応なく高まっていました。
彼はその期待に応え、G1の朝日杯を制するなど活躍しました。しかし、この頃は未だ成長途上で、取りこぼしもありました。
(2) 3歳
完璧な一年でした。G1での勝ちっぷりを書くだけで、その凄さ、強さが分かります。
・皐月賞 3.5馬身差 レコード
・ダービー 5馬身差
・菊花賞 7馬身差 レコード
・有馬記念 3馬身差
(3) 4歳
阪神大賞典も後続を7馬身引き離して快勝しましたが、その後に股関節炎を発症しました。
秋には復活するも、古馬三冠レースに3連敗と、往年の輝きがありません。
想像するに、賢いナリタブライアンは、痛くなるのを怖がって本気で走っていなかったのかもしれません。
◆ 後半期の成績
股関節炎を発症した後は、全盛期に戻ることはありませんでした。全部で6戦し、勝利は2連覇を果たした阪神大賞典だけです。
その阪神大賞典は、前年の菊花賞と有馬記念を制したマヤノトップガンとの一騎討ちとして、戦前から大変な盛り上がりを見せた、有名なレースです。
(4) 96年の阪神大賞典
レースは好位4番手につけたマヤノトップガンを見ながら、ナリタブライアンがその後ろにつける展開で淡々と進み、レースが動いたのは残り800mからです。
マヤノトップガンが楽な手応えで外から先頭に並びかけ、このままマヤノトップガンが突き放すかと思われるも、ナリタブライアンも一緒に上がっていき、残り600mで2頭が馬体を併せました。
あとは後続を突き放して2頭による激しいデットヒートが繰り広げられました。残り200mで一旦マヤノトップガンが抜け出すも、100mでナリタブライアンが追いつき、最後はアタマ差抜け出しました。3着馬を9馬身突き離す、熱い戦いでした。
周囲の興奮状態を理解していたナリタブライアンは、このレースだけは怪我を恐れず本気で走ったのかもしれません。それでも全盛期の姿ではなかった気がします。
◆ 臆病な性格
彼がとても臆病な性格なことは有名です。自分の影にも驚いてしまうので、足元の視界を遮るためにシャドーロールを付けていました。
しかし、実のところ後年は、そこまで臆病ではなく、シャドーロールは不要だったようです。
◆ ハードなローテーション
彼の性格でもう一つの特徴は前向きということです。彼を管理していた大久保調教師は、発散させるべく多くのレースに出走させたとのことです。そのため2歳、3歳共に7戦ずつ走っています。
その影響もあったのか、4歳春の阪神大賞典勝利後、春天に向けた調教中に股関節炎を発症しました。
また、5歳時には3200mの春天の1ヶ月後に、今度は1200mの高松宮杯に出走、これがラストランになりました。
それらのハードなローテーションには、批判がありました。
◆ 幻に終わった史上最強の兄弟対決
94年の有馬記念では、ビワハヤヒデとの最強兄弟対決かと、とても盛り上がっていました。
しかし、レース前にビワハヤヒデが屈腱炎を発症し、引退してしまったため、世紀の最強兄弟対決は実現しませんでした。
◆ 完璧な競走馬
彼はゲートから出るのも、二の脚の加速も速く、いつも余裕で好位につけます。3コーナー過ぎからロングスパートをかけて、4コーナーでは先頭に立ち、そのまま直線は1番の末脚で駆け抜けて後続を突き放します。
負ける要素がゼロの完璧な競走馬でした。
ただし、種牡馬入りした2年後に早逝しており、子供たちは僅か2世代のみです。