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名馬紹介 トキノミノル

共同通信杯の副名は「トキノミノル記念」です。そのトキノミノル(1948年生 牡)のことを、紹介したいと思います。

◆ トキノミノルあるある
トキノミノルは昭和前半の生まれのため、直接に彼のレースを観たことはありません。
なので、彼の伝説を「あるある調」に以下で紹介します。

・デビュー前の評価は低く、初戦が終わるまでレース名が付いていなかった
・幼名は「パーフェクト」だった
・生涯成績は10戦10勝と、パーフェクト
・皐月賞と日本ダービーの二冠馬
・日本ダービーから17日後に急死
・10戦のうち7戦でレコード勝ち
・戦績と劇的な生涯から「幻の馬」と呼ばれる
・現在のJRAの発展の起点となった馬

◆ 皐月賞
8戦8勝で迎えた皐月賞、なんとコースレコードを6.1秒も更新する、異次元のスピードで走り切りました。当然、当時の日本レコードです。
なお、この時の単勝支持率73.3%は、今も破られていない、皐月賞記録です。
日本競馬史上、屈指のスピードスターです。

◆ 脚の不調
彼の最大の課題は膝痛をはじめとする脚の不調です。彼は常に3本の脚しか使わずに走っていたと言われていました。
それでも7回のコースレコードを出しています。

脚が全部快調だったら、どんな記録を叩き出していたのかと思ってしまいます。

◆ 日本ダービー
皐月賞後にも脚の不調が続き、一旦は出走回避に傾きました。しかし、関係者の必死の努力の甲斐あって、出走に漕ぎ着けます。

レースでは出遅れて10番手前後を進みます。向こう正面でスピードに乗ると、大外からまくり、3コーナーを回ると先頭に立ちます。
そのまま後続を寄せ付けずに、むしろ突き放して快勝します。
相当に粗い画像ですが、このレースだけはyoutubeで見ることができます。

◆ 急逝
前述の通り、日本ダービーから17日後に破傷風で天に召されました。
彼の死をきっかけに、馬にも破傷風の予防接種が義務付けられました。いまでは破傷風が死因になることは、見られなくなりました。

◆ 当時の国営競馬の状況
当時の国営競馬(いまのJRA)の人気は低かったのですが、トキノミノルの登場によって大衆の注目を集めるようになりました。
彼は大衆の心をガッツリ掴んだ、最初のアイドルホースでした。

日本ダービーの日には7万人を超える観客が集まりました。彼の勝利後の口どり写真の時には、多くの観客が柵を乗り越えて(壊して?)馬場に乱入しています。

観客がトキノミノルを囲んでいる写真が残っていますが、競馬が貴族やお金持ちのイベントから、大衆の娯楽になった瞬間を撮った写真と言われています。

今の競馬人気のスタート地点に、彼の存在があったと言われまる所以です。


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