見出し画像

【短編小説】憧れの地下芸人

 とんでもないものを観てしまった。私はしばらくスマホの画面を凝視しながら、身動きが取れなかった。やがて体が震えて、今までの人生で一番の大爆笑が始まった。衝撃だった。
 画面の中では、1人の女性芸人がネタを披露している。角刈りのヅラをつけて、恐らくは裸であることを表しているのであろう肌色の服を着ている。胸には「女」と書いた貝殻をビキニのようにつけ、赤いふんどしを履いている。盆踊りのような振り付けをしながら「男かな?女かな?」などと歌いながら登場し、「私の名前は、私の名前は〜」などと言って自分の芸名を名乗っていた。
 とんでもない衝撃だった。世の中にこんなヘンテコな芸人がいるなんて。そこからというもの、私は沼へと落ちていった。

「ねぇ、美佳」
「うん?」
「あんた最近変わったねぇ」
 大学の学食で、友人の優璃が私の顔をしみじみと眺めながら言った。彼女の言っている意味がわからず、聞き返してしまう。
「どういうこと?」
「なんか笑顔が多くなったというか。ちょっと前までAIもかくやとい無表情だったのに」
「そうかなあ?」
 と、言ったものの、確かに心当たりはあった。あの芸人さんが頭から離れないのだ。THE Wに出た時なんて、ヅラではなく地毛を角刈りにして現れた。挙句に、変なリズムで変な踊りを披露する始末。最高だった。そのネタとも言えないネタをアドバイスしたのが、その女性芸人さんと仲のよい破天荒芸人であったことも含めて最高に面白かった。
 ああ、ダメだ。また、あの時の光景を思い出してニヤついてしまう。
「好きな人でもできた?」
 優璃が探るような目つきをしている。
「まあ、そんなところかな」
「やっぱりー」
 確かに好きな人はできた。残念ながら、恋愛的な意味ででは全くないけど。でも説明が実に面倒だったので、もう肯定してしまった。まさかトリッキーなおばちゃん芸人が好きになったと言ったところで、双方気まずい思いをするだけだ。
「でも本当にさ、表情が変わって見違えるようにきれいになったよ。ミスコンにでも出てみたら?」
「ちょっと。からかってるの?」
 学祭の時期が近づいている。コロナ禍で中止していたミスコン・ミスターコンも昨年から再開された。もちろん私みたいな一般学生が参加するようなものじゃない。冷やかしと思われるのが席の山だ。
「うーん、今の美佳なら全然いけると思うけどな」
「はいはい」
「まあこの話は置いといてさ、今年のミスコンすごいらしいよ」
「すごいって、何が。所詮は大学のミスコンでしょう」
 ミスコンで優勝し、女子アナやモデルにーー、みたいなのは東京の有名私大だけの話である。私が在籍してる地方の私立大のミスコンなんて規模はたかが知れてる。得票数30何票で優勝みたいなことがよくあるのだ。要するに身内のノリでやっているようなもん。
「いや今年は普通のミスコンともう一つ、お笑いコンがあるらしいよ」
 『お笑い』と聞いて、思わず眉がピクンと動いた。興味がムクムクと湧き上がってくる。いや、ダメだ。まずは平静を装おう。
「お笑いコンって、何?お笑いサークルが出てくるの?」
「いや、お笑いサークルはサークルでステージがあるから。そうじゃなくて、ミスコンみたいにステージに出てくるんだけど、その時に一番面白い格好している人が優勝ってやつ」
「何それ〜」
 うちの大学も、そんなことをやり始めたのか。まあどうせ男子大学生が女装して登場したり、女子大学生がコスプレをしたりという感じだろう。混沌に混沌を塗りたくったカオス対決になりそうだ。
 その時だ。ふと、頭の中にあの芸人さんの格好が浮かんだ。頭に角刈りのヅラ。鼻の下にマジックでヒゲを書いて、胸にはダンボールで作ったような貝殻ビキニ。赤いふんどし。こんなのインパクト最高だ。優勝狙えるんじゃないか。
「いやいや、さすがにそれは……」
「何、ぶつぶつ言ってるの?」
 だが、一度浮かんだ思いは振り払おうとしても振り払えない。私はあの芸人さんの扮装をして「お笑いコン」に出てみたいという気持ちが抑えきれなかった。

「ね、ねぇ、ちょっと本気なの?」
 それから数ヶ月が経って、私は「お笑いコン」のための準備を着々と進めていた。今日は優璃を家に呼んで、あの扮装の打ち合わせをしようと思っていたのだが、彼女は「ドン引き」していた。まあ客観的に考えればそれはそうだと思う。
「ごめん、私が『お笑いコン』の話をしたから悪かったのかな…?」
 優璃のテンションがドンドンと落ちていっている。なぜか責任も感じているらしい。
「いや、悪かったなんてとんでもないよ。私はこれ、最高のチャンスだと思ってるよ」
「最高のピンチじゃないかなぁ…?」
 優璃はずっと戸惑ったままだ。確かに今までの私はどちらかというと地味で目立たないタイプ。友達は優璃と他数人しかいないし、恋人もいたことない。飲み会で羽目を外したこともないし、15回の内、3回欠席したっていい授業も15回全部出てる。そういういわゆる優等生が、奇天烈トリッキーおばちゃん芸人の真似をしようというのだ。自分でも狂っていると思う。
「私さ、今までずっと真面目に生きてきたし、これからもそうありたいと思う」
「うん、そうだよね」
「だからこそ、1回だけでいいからさ、全力でぶっとんだことをやってみたいの」
「それがわからない」
 真顔で優璃が言う。私は笑ってしまった。そりゃそうだ。我ながら、理論の飛躍が凄まじい。だがその理論の飛躍こそが、私の憧れている「地下芸人」という人々なのだ。
「別に芸人さんになりたいわけじゃない。私はこれから普通に就職するし、普通に生活していくんだと思う。だけど、さ。その前に、一回だけすっごい跳び抜けたことをしてみたいの」
「あれか。就職する前に1回すっごい色に髪を染めてみる、みたいな感じなのかな。あの感覚みたいなもんなのかな?それなら少し気持ちがわかる…かも…」
 無理やり自分を納得させて、頷く優璃。不承不承を具現化したような顔をしていた。
「まあ、いいや。私はもう考えるのやめた!とにかく美佳は、そのお笑い芸人さんの扮装でステージに立ちたいんだね」
「うん。そうなの」
 私が取り出したのは、角刈りのカツラ。これがなかなか無くて大変だった。推しの芸人は、THE Wの時に地毛を角刈りにしていたが、さすがにそこまではやれない。
「あんたさ、これどういう意図で被るのよ」
「意図とかないよ。角刈りって面白いじゃん。……うーんと、これ髪をまとめてから被んないといけないから大変なぁ」
 髪は長い方だ。束ねて入れると、カツラが不自然に浮いた。鏡で見ていると、とてつもなく滑稽で、最高だった。
「うっははっ!何これ!意味わかんない」
 隣で優璃が大爆笑していた。そうそう、これなのだ。面白いトークが浮かばなくても、ギャグを持っていなくても、平凡な人間が角刈りなだけで面白い。ディテールが甘くて、カツラが浮いているのも、これはこれで面白さに拍車をかける。
「どう?これ」
 私は敢えてセクシーなポーズをとって見せる。
「あ、それは面白くない」
「厳しい……」
 お笑いというのは実に難しいものだ。
 急に真顔になった優璃を尻目に、私は服を脱ぐ。あの芸人さんは下に肌色の服を着ていた。私もそれに倣おうとしたが、流石に学祭の場で露骨に裸を表現するのは憚られた。そこで普通の長袖の厚手の服を着た。下も揃えて白の長袖のズボンを履く。少し趣旨がズレてしまうのは悲しかったが、まあここは穏当にしたほうがいい気がする。
 その上に、ダンボールで作った貝の形のビキニをつけて、更に赤いふんどしをつけた。
「どうかなぁ?」
「セーフかアウトでいったらアウトだと思う」
「なんでー!?」
 もはやいつもの私の面影はない。後はメイクも仕上げれば完成だ。恐らくこのままステージに出て、多くの人の目を引いても誰も私だとは気づかないのではないか。ファンキーな格好をした謎の女性。いい、いい、最高だ。これが地下だ。
「なんか、あんたが遠い存在になった気がするわ」
 そう言って優璃は目を細めた。それは心配の中にほんの少しだけ羨望が混じった不思議な表情だった。

「はい、次はいよいよ今年から始まった『お笑いコン』の時間です」
 学祭実行委員が、ステージ上で声を張り上げる。やや声が上ずっているのが、緊張を表している。今年から始まった、お笑いコン。学祭実行委員会だって、今までのノウハウがないから展開が読めない。そこに私は飛びこもうとしている。世界一面白いと信じている格好で。
「じゃあ、私はここまでだから。後はもう楽しむだけだね。頑張って」
 舞台袖まで来ていた優璃が、そう言ってほほ笑んだ。戸惑いながらも今日の準備をずっと手伝ってくれた。
「どう、この格好?」
「ふふ、最高。思いっきりスベってきな」
「嫌なこと言うねぇ…」
 舞台袖には他の出演者たちもスタンバイしている。それぞれがそれぞれ、中々トリッキーな姿をしているが、そんなトリッキー集団の中でも今の私は異彩を放っている。明らかに浮いてる。最高だ。
「はい、それでは出場者の皆さんに登場してもらいましょう!」
 舞台上の実行委員が声が聞こえる。囃し立てるような出囃子と共に、私は舞台へと歩んでいった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?