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【短編小説】ファン第一号

 小さな劇場で、初めてその芸人を見た。劇場とは名ばかりで、ただの小部屋みたいなところ。椅子はパイプ椅子で、信じられないことに音響をiPhoneでやっていた。圧倒的出力不足でありながら、劇場が小さいので意外としっかり聞こえる。客は私含めて3人。1人は競馬新聞を読みながら、芸人のネタをBGMとしているかのように悠々としていた。お客さんよりも出演芸人の方が多い中、彼は3番目に現れた。
「ども、遠山ファイアです」 
 現れた彼は、実に腑抜けた声で芸名を名乗った。iPhoneの音響に負けそうなくらい掠れ声である。それは大声を是とする地下芸人界には少し異色にも思えたが、しかしそれだけで差別化が図れるほど芸人界は甘くはない。私はパイプ椅子の背もたれに寄りかかり、お手並み拝見といった感じで腕を組んだ。
 彼のネタが始まる。
「私、この前までコンビを組んでました。でも、つい先日のことですよ。コンビ解散しようと言われまして」
 ツカミが始まる。彼は一旦息をついてそこから一気呵成に話始めた。彼の話は荒唐無稽だった。曰く相方は実はコンドル(鳥)で、飛び立つから別れたいと言い始めた。漫才コンビをまだ組みたい遠山ファイアは、それを止めようとして飛び立つコンドルの足に掴まろうとする。そのすったもんだを見ていた牛乳飲み干しおじさんが、両者を仲介。結果、遠山ファイアはそのまま芸人に、コンドルの方は茨城でタピオカ作りに励んでいるという。
 彼はここまでを実に淡々と話し上げた。実に滑稽な漫談でありながら、ショートショートを聞いているような気がした。
 会場は2、3回薄ら笑いが起きる程度のややウケだった。斜め前で競馬新聞を読んでたおじさんが、「訳わからんな、アイツ」と実に的確な講評を呟いていた。だが、私は衝撃を受けたような感激に見舞われていた。何だ、これは。淡々とした話し方、緊張のためかちょっと泣きそうな表情、変なタイミングで入る間、そして変なタイミングで終わる間、意味不明なストーリー、しかし最後に入るちょっと感動的な描写。これは、と思った。これは、面白い。
 私はその日から遠山ファイアのファン第一号になったのだ。



 その後、何度も彼の出ているライブに行った。芸人は実に多様であるが、ライブもまた多様である。ネタを次々と見せるタイプもあれば、MCが設定されていてフリートークの時間をしっかりとる場合もある。大喜利やパンスト相撲などの企画が入る時もある。ネタでは滅法面白いがトークがからっきしだったり、その逆だったり、トークもネタも面白い器用な人もいる。
 彼はネタ以外にも目立つ存在だった。大喜利の時はどんなお題にも魚の名前で答えるというよく分からないボケをした。MCがすかさず「ちゃんと書けや!」とツッコみ、他の芸人のヤジがとぶ。トークの時は、最初はテーマに沿った会話をしていたのに、終わりで必ず古畑任三郎のエピソードになるというボケをした。面白いかはどうかは主観的な判断になるが、どんな時にもボケて本性を見せないようにする彼の姿が好きだった。

 仕事で忙しい時も出来るだけライブには足を運んだ。東京に上京して一番良かったことはお笑いライブの量が桁外れていることだ。遠山ファイアのグッズが欲しかったが、フリー芸人でしかも知名度0の彼にグッズがあるはずもない。仕方なしに私は自分でうちわを作った。真ん中にデカデカと彼の芸名を書き、ギラギラと光るホログラム仕様の一品だ。狭いライブ会場で、なおかつお客は少ない。私はいい意味でも悪い意味でも目立った。遠山ファイアが出囃子と共に現れ、うちわを持った私と目が合った。彼はまさか自分の芸風にファンがいようとは思っていなかったようで、目をパチパチとさせて驚いていた。やがて彼は芸人として何か行動しないといけないと思ったのか、「いや、扇子やないんかい!」という意味不明なツッコミをして、場を変な雰囲気にした。私は彼のネタのペースを崩してしまったことを恥じ、それ以来はライブに行く際、目立つ行動はしないように心がけた。

 それからしばらく経過して、私はついに自分と同じように遠山ファイアを推している人を発見した。ファン第二号である。地下芸人界は無人の荒野である。その中に現れた同好の士。「ついに出会えたか!」という喜びと、「独占していた座を奪われた」という軽い嫉みの感情が交錯した。しかし私がファン第一号であることは変わりない。そう思うと優越感が芽生え、私はにこやかにその人に話しかける余裕まで生まれた。
 やがてファンは第三号、第四号と増えていった。サンダーバードもかくやといいラインナップである。増えていくファンを遠山ファイアはさしも嬉しいとは思っていないのか、淡々と奇抜なネタを繰り広げ続けていた。その悠然たる姿が、またファンを増やす要因となった。やがて彼はライブ界ではそこそこのスターになり、「知る人ぞ知る」という存在へとなっていった。

 ある日、ライブ会場に早く来すぎてしまった。まだ時間は有り余っている。こういう時は、近くの喫茶店で時間を潰すようにしていた。
 席でフラペチーノを飲んでいると、少し痩せ気味の男性が入ってきた。私は目を見張った。それは紛れもなく遠山ファイアだったのだ。勿論、フリーの地下芸人である彼の知名度は一般人と変わらない。店内は遠山ファイアが入ってきたからと言って、静寂を保っていた。だが、私は1人平静ではいられなかった。
「あ、ホットコーヒーを一つ」
 オーダーが聞こえる。何度も何度も聞いた声。ライブ会場では、観客と芸人という立場がくっきりと別れていた。だが、今は違う。彼も私も喫茶店ではただの一般人だ。心臓が早鐘を打つ。何か喋りかけるべきか。いや、喋りかけてしまえば、関係性が変わってしまうかもしれない。ファン第一号は、ファンであるから輝くのだ。踏み出してはいけない一線を越えてしまえば、もうファンと推しの関係には戻れなくなる。
 いやいや、理論が飛躍しているじゃないか私。ただただ声をかけるぐらいで、何か変わるというのか。「いつも見てます」「ファンです」。そのくらいの簡単な挨拶程度の言葉を言えばいいだけではないか。いや、でも……。
 思考の堂々巡り。話しかけたいという心と話しかけるべきではないという考えが同量で拮抗している。
 落ち着くためにフラペチーノを一口飲んだ。
 その時だ。
「あのー」
 少し掠れた声が聞こえた。顔を上げると、そこには紛うことなき遠山ファイアの姿があった。
「え、あれ、あの? え?」
「いつも見てくださっていますよね。ありがとうございます」
 彼はそう言ってはにかんだ。自らの芸風とは真逆の折目正しい言葉遣い。優しい笑顔。ただの一般人でしかない私に、自分から声をかけてくるなんて。ああ、彼のファン第一号でよかった。
「今度初めてテレビに出るんですよ。よかったら見てください」
 彼は番組名だけ告げて、そのまま店内の奥の方へといき悠々とコーヒーを飲み始めた。
 彼が教えてくれた番組は、有名とは言えない。深夜で細々とやっていて、コアな視聴者に支えられている番組。それでも3人ほどしかお客さんがいない劇場から、ついに地上波へと姿を現す。
 野に虎は放たれたのだ。



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