20代最後の年、僕は異邦の地を歩いた (1)
2017年春 会社を辞めた
「20代最後」という響きに惑わされない人はいないだろう。
生物的に登る一方だった人生は、ある日下り坂を下っていることに気づく。
体力的にも衰えを感じ始めるようになり、同い年のスポーツ選手は既に引退どきを考えていた。
特にベンチャー上がりのIT企業に勤めていた僕は野心に満ち溢れた同僚が多く、「30歳までに起業」という言葉で辞めていった人は多かった。
そして例に漏れず、僕も新卒で入った会社を辞めた。
もともと色々な会社を見てみたいという思いがあったため、どこかで転職しようとは思っていた。
辞める理由として、周りには28歳が転職市場のピークだからという説明をしていた。
だけどそのとき辞めたのは、「20代最後の年」という単語の持つ影響がほぼ全てだったのは間違いない。
不満は言っていたものの、その時の上司や仕事に対して特別悪い思いがあったわけではない。
当時何があっても、今過去に戻っても、20代のうちに会社を辞めていなかった世界線はほとんどなかっただろう。
そういう意味では生まれる年さえ違えば会社を辞める年はもっと前にも後にもなっていたかもしれない。
サンディアゴ巡礼
辞めた後はまず有給期間でサンティアゴ巡礼に行くと決めていた。
サンディアゴ巡礼とは、スペインの田舎道を1日20km~30kmを1ヶ月間歩く、いわゆる自分探しの旅だ。
その道すがらの街にはアルペルゲという巡礼者専用の宿があり、そこで巡礼者同士交流しながらスタンプラリーのようにスタンプを押して回って行く。
旅行好きの昔の彼女の影響で、旅行メディアは定期的に読んでいた。
普段は流し見する中で、何度も読んでしまったのがサンディアゴ巡礼の記事だった。
忙しく仕事をしていながらも、その観光を超えた冒険のような旅に、ずっと魅せられていた。
そんな僕にとって、有給で約1ヶ月の休めるとわかったとき、他の選択肢は頭になかった。
挑戦する2月は最も巡礼者が少ないシーズン・オフで、宿も巡礼路も閉まっていることが多いとの話だった。
考えてみれば1人で海外に行くこと自体初めてであるし、1人でどこまでできるのかは自分にとっての挑戦でもあり心が躍った。
Mont-bellで準備する日々は、まさにダンジョンへ向かう前に街で装備を整えているような感じでとてもワクワクした。
余談だがモチベーションを上げるための幸福度上昇は旅行計画中の最大8週間が全てで、旅行後は急激に下降してしまうらしい。
つまり脳科学的には8週間先の計画をたて続けることが一番モチベーションアップに繋がっていくとのことだ。
この科学的な根拠抜きにしても、この計画中の期間が物凄く充実して楽しかったのは言うまでもない。
旅の始まり
出発当日は飲み会の朝帰りだった。
案の定寝すぎてしまい、空港に出発30分前のギリギリに到着した。
チケットカウンターでもう搭乗開始してるから急げと煽られるも、何とか搭乗までに間に合うことができた。
意外と何とかなるもんだ。
行きはロシアを経由してパリ=シャルル・ド・ゴール空港までの長旅だ。
経由地ロシアで値段をよく見ずに1000円以上する水を買ってしまう
飛行機では、これからの旅路に心を躍らせながらダニエル・ラドクリフが水死体になる映画を見ていた。
周りに居る日本人は、会話的にも大学生の卒業旅行だろうか?
社会人のほとんどいない飛行機に乗っている背徳感は非日常感を演出していた。
半日以上の旅路を経て、フランスのパリ=シャルル・ド・ゴール空港に到着した。
到着が遅かったため、初日の宿は空港から近い順で適当に予約していた。
どうやら空港内にホテルがあるようだった。
しかし、どんなに歩いてもGoogleMapの指し示す位置にたどり着けない。
立体的な建物と平面的な地図に惑わされながら、2階から地下までひたすらに往復した。
到着自体深夜なので人が居ない中、車道や何時間も歩く。
しかし、そこに辿り着くルートがない。
散々歩いた結果、出発口からしか入れない宿だと言う悲しい結論に行き着いた。
もし仮に辿り着いたとしてももはや入れてもらえるような時間ではない。
経験不足の失態で、初日空港泊という幸先悪いスタートを切ることとなった。
ソファーは空港泊している人で埋まっている。
空港は寒く、麻薬犬が黒人に向かってひたすら吠えていた。
しかしこんな状況も、20代最後の一人旅が始まったという変な高揚感に包まれていた。